朝鮮最初のカトリック司祭となったアンドレア・キム・デゴンの人生を描いた実録ドラマ。
「103人殉教聖人」とは、朝鮮王朝時代のキリスト教迫害(辛酉教難など)で殉教した信徒や宣教師たちのこと。
物語の背景を整理すると、「カトリック」とはローマ・カトリック教会を指し、カトリック教会は、キリスト教の一つの教派であり、ローマ教皇を頂点とする組織。
「司祭」はキリスト教における聖職者の職名で、「神父」はカトリック教会の司祭に対する敬称で、「神父」は「司祭」に対する尊称の1つ。
そしてカトリック司祭が宗教であるキリスト教をを広めるが、もう一つ大事なのがカトリックに異議を唱え宗教改革によって新たにできた宗派をプロテスタントといい信者がいる。
これはいいように言うと、共通の価値観になるけど、受け入れる国にはその国の文化・歴史に基づく伝統や教義があり、それに基づく生業があるので大きなお世話でもあるし、押しつけでもある。
朝鮮には儒教があったし。
文明開化は宗教からはじまるが武力もセットの現実
これが争いのもとになるんだが、この布教の背後には武力がいて、中国は酷いもん。そして植民地にしていく。
いわば布教の概念を海外進出と植民地支配を正当化するために利用した。
これが布教と正体ではないかな。
現実、フランスはアフリカ、イギリスはアラブをズタズタにしたし、アジアは言うに及ばず。
そもそも誰のために何を目的にした布教するんでしょうね。
終始被害者的美談にしてしまって、このあたりは中途半端に描かれているので感想も中途半端になってしまう。
日本も例外ではなく明治初年、政府はキリスト教の信仰を禁じていたが、後に黙認するようになった。
中国のカトリックの女神ズリン(ソン・ジヨン)は架空のキャラクターなんだが、朝鮮のカトリックが中国の分家から始まったというのが面白いな。
宗教は貧しいものから広まっていく、今の令和や参政党もそうやもんね。宗教はこころの隙間に入り生きる希望になる。
어린(幼い)キム・デゴンに見えてしまう危うさ
信者が1年で6000人から10000人に増えたことで神学生が足りない。
しかし神父になるまでには24歳に達していないといけないので8年待たなければならない。
そこでチョン・ハサン・バオロ(キム・ガンウ)が新たに神学生に任命される。
司教の任命権者は教会側でなければならないとという「布教保護権」が可能にした。
任命されたアンドレア・キム・デゴン(ユン・シユン)が西洋の歴史を学ぶシーン。
西洋を上に見るというのは自分たちがいろいろと遅れていて教えを受ける立場だから。
この時点で上下関係のようなものが出来上がってると思う。これが西洋かぶれの正体かもね。
西洋人が東洋人を見下すのも未開拓な劣等民族で、やはりこの布教する過程が影響しているのではないかな。
神父も信者も何がここまでさせるのか、そして最後は終わらせるために「天国であおう」。
ふと思ったんが韓国で自殺者が多いのは、この「終わらせるため」ではないのかな。だから逃げるのではない、死を乗り越え復活する。
ユン・シユンとチェ・ムソンがこの風貌ででてくると「緑豆の花」がダブってみえる。
韓国映画は多言語が当たり前なのに役者がなんなくこなしている。
これは日本の役者では無理やな、やったとしてもカタカナ発音やし。
キム・アギ・アガタを演じたチャ・チョンファさんは存在感あるね、この人は何をやらしても上手い。
