88年のソウル五輪直後に起こった韓国を震撼させた「チ・ガンホン脱走事件」をモチーフにした作品。もはやお家芸と言ってもいい、韓国お得意の社会的事件の映画化。
実話「チ・ガンホン脱走事件」を通して、韓国法制度のゆがみを映し出す。
当時、韓国のテレビで生中継され、チ・ガンホンの発言が多くの人々の心に響き、記憶されることになった。
共感されなかったけど、日本でいえば浅間山荘事件のような感じかな。
時代背景として、「五共非理特別捜査部」の設置により逮捕されたハゲ(全斗煥)の弟が76億ウォンの横領(セマウル本部非理事件)で7年の刑ということに対し、保護監護法の存在により、単純な窃盗犯であっても本来の量刑より長い量刑を課すようになっていた。
このため無銭飲食のような悪質度の低い犯罪であっても、非常に長い量刑を課される一方、収賄など、政治家や権力者が課される可能性の高い罪では、非常に軽い刑が宣告されることが常態化していた。
「有銭無罪、無銭有罪」とはこのような不公平な事態を告発する言葉であり、この事件のモデルになったチ・ガンホンが実際の事件現場でメディアなど、周辺を取り囲む人々に叫んだ言葉。
1988年10月、オリンピックを終えて、韓国国民が高揚感に浸っていた頃、服役中のチ・ガンヒョク(イ・ソンジェ)と囚人たちが、刑務所を脱出する事件が発生する。
武装脱走に成功した囚人たち、韓国全土を騒然とさせた脱走劇は、各地を強盗して回り人質劇を繰り広げ、世間を恐怖のるつぼに落とす。
しかしマスコミの報道とは違い、人質になった人々は凶悪犯どころか、人間的で礼儀正しい囚人一行に情を感じるようになる。
囚人たちにとって脱走は「ホリデー」だったのか、楽しそう。
ソウル五輪のための都市開発の地上げ屋による立ち退きに反対した人たちの刑期が長い。
当時の大統領が盧泰愚たったことを考えると、全斗煥の時代を引きずっていたのは容易に想像がつく。
今の基準でいくと、盧泰愚も全斗煥も同じ穴の狢で違いはないと思うから。
鬼気迫る最後のガンヒョクの叫び
警察も裁判官も金で買える世の中
罪を犯しても金があれば無罪
罪がなくとも金があれば有罪
"有銭無罪 無銭有罪"これが大韓民国の法律だ!
これがきっかけで"有銭無罪 無銭有罪"という諺の起源となった。
鳥肌モノのイ・ソンジェの演技、人質役のチョ・アンも良かった。
イ・ソンジェは、この作品のために10キロも減量したらしい。
"有銭無罪 無銭有罪" という言葉は、この事件をきっかけに広まった。結果的にこのテーマは韓国映画やドラマのバックボーンになっているのではないだろうか。
実際に起きた事件の映画化はエピソードと結果が分かっているので、どうなんだろ、作り方としては難しいと思うけどな。
でも、そこにエンタメ要素や、史実と違う要素を加えることでエンタメに昇華させ社会に問う、みたいな作品に仕上がっている。
このモチベーションはどこからくるんだろ。
やっぱり、社会的に影響が大きかったことについては残そうとする使命みたいなものなんか。それとも光州事件を経験したからなんだろうか。
映画だから過度な演出は当然あり、多くの部分が脚色されたことで実際の事件と変わった部分が生じ、当時を知る観客が疑問を持ったらしい。
副刑務所長 キム・アンソク(チェ・ミンス)の演技は圧巻だが、延喜(ヨンヒ)洞の前職大統領邸宅襲撃などはすべて映画のためのフィクションらしい。
事件現場で籠城していたチ・ガンホンはビージーズの『ホリデー』を要求する。しかし警察が持ってきたのは、スコーピオンズの『ホリデー』だった。
チ・ガンホンは望んだ曲を聞くことができぬまま死ぬ。
それでか、映画ではビージーズの『ホリデー』が流れる。
エンドロールにでてくる、保安観察法(2005年廃止)とは、日帝時代の思想犯対策を引き継いだ法律で、主に政治的な思想犯罪に適用された。
1975年に朴正煕政権で社会安全法から改正されたもので、保安監護処分を廃止し、保護観察処分を強化する形で新設された。
保安観察処分を受けると、3か月ごとに主要活動を報告し、移転や旅行も報告が必要で、2年ごとに更新されるが、無期限で延長される可能性があった。
「窓格子のない監獄」と言われていた。