今でも思い出すのが、TSUTAYAでパッケージを見て勘違いして借りてきて、想定外の展開に驚いた作品。
タイトルの「バッカス」はローマ神話では”お酒の神”で、ギリシャ神話でのディオニソスと同じ。
勝手に「お酒の女神」のコメディと勘違いしてて「なんじゃこりゃぁ?」となったってこと。
「すごい」「最高だ」など比喩的な意味としても使われる「殺す(チュギダ)」。
原題を直訳すると「死ぬほど上手な女」となり、性的な意味合いを連想させるけど、扱っているのは高齢女性たちが歩んできた人生を描いた深い人間ドラマ。だから「お酒の女神」はどこいった?となったわけ。
邦題的には「バッカスを売る女」で、性行為を売っていた高齢女性たちが「バッカス」を持ち歩いていたことから「バッカスばぁさん」と呼ばれていたことによるネーミングだと思う。
高齢売春婦の一斉検挙があり、同じ時期に作られた「女は冷たい嘘をつく」と同じく、韓国の社会問題を可視化した作品と言える。
高齢男性から「殺してくれる...」と呼ばれ、そのスジでは”ナンバーワン”のユン・ソヨン(ユン・ヨジョン)たちが公園で並ぶ姿は今の歌舞伎町と同じで、なんだかな〜と思ってしまう。
意訳になってるから分からないが、作品中に以下の社会構造の歪みを象徴するキーワードが登場する。
・東豆川(ドンドゥチョン): 米軍基地の街で、女性たちが置かれた過酷な状況を象徴
・食母暮らし(シクモサリ): 搾取的な労働環境と女性蔑視を象徴
・工場: 低賃金で長時間労働を強いられる労働環境を象徴
・38따라지(サムパルタラジ): 社会の底辺に追いやられた人々への差別と蔑視を象徴
公園で客を探していたソヨンは、チョン・ポッキ(イェ・スジョン)という女性から本名の「ミスク」と声をかけられる。
かつての仕事仲間で、ソヨンが「東豆川レナハウス」、字幕では「キャンプ近くのレナハウス」となっているが、ここで「米軍慰安婦」だったことが分かる。
そして、恋人だった米軍兵士のスティーブに捨てられ、彼との間に生まれた子どもを海外養子縁組に出したことも。
東豆川は、米軍基地と周りを囲む基地村で知られた町。
常連顧客だった、脳卒中で入院中のソン老人(パク・キュチェ)から、自分を「殺して欲しい」という切実な願いを受けて、罪悪感と葛藤しながらも、彼を本当に”殺してあげる”ことになる。ここでタイトルの「殺す(チュギダ)」が意味を持ってくる。
しぶしぶ受けた「バッカス・ハルモニ」のドキュメンタリー取材では、後ろ指を刺されようが、食べていくために「シクモサリ」や「工場」で働いた後に、稼ぎがいいと「米軍慰安婦」になったと語る。
シクモサリ(食母暮らし)は、「裕福な家で働き、たべさせてもらうだけでも感謝しろ」の考えのもと、過酷で搾取的な労働環境を表す場合が多く、貧困や社会的不平等の象徴として使われる。
この作品では「お手伝いさん」で「密輸1970」では「家政婦」と訳されていたが、意味がわかれば受け取り方が違ってくると思う。
工場は、単純労働だったが、朝から晩まで、ときには徹夜で、ほとんど休憩もなく働かされる「給料が欲しければ働け!」と搾取の象徴としての言葉。
そして終盤、ソヨンはミノ(チェ・ヒョンジュン)、ティナ(アン・アジュ)、トフン(ユン・ゲサン)を誘って、38度線近くにある臨津閣(イムジンカク)までドライブをする。
国境線を見てティナの「お姉さんはサムパルタラジ(38따라지)だったよね?」、字幕では「お姉さんは38度線を越えたんでしょ?」との問いかけに対し、ソヨンは遠くを見つめながら「そう、超えたの」と答える。
サムパルタラジとは、社会的に低い地位にある人や、身分がはっきりしない人、無価値な人を指す言葉で、朝鮮戦争の終戦以降に38度線を超えてきた人に対する差別的な意味合いが強く、侮蔑的な表現で、冷遇・差別されて、北の出身という理由で厳しく監視もされた。
結局、警察に連行されたソヨンは「むしろ良かった、3食たべられるんでしょ。」といい、無縁仏として「食べること」だけが唯一の生きる目的だった人生を終える。
戦時中は「あなたたちこそ愛国者だ」と慰安婦たちを激励した歴史があるが、戦後は差別の対象となった。
戦後は日本も似たようなもので、日本では米軍男性向きの慰安婦だけではなく、女性兵士相手の慰安夫も養成され、稼ぎは女性より男性の慰安夫の方が良かった。
この他にフィギュア作家のトフンは義足。
母を韓国人にもつハーフの黒人米軍兵士。
韓国男性とフィリピン女性の間で生まれた子どもコピノ。
そして男女問わずの高齢者問題と、盛り沢山な映画です。

