さらに突っ込んで
その時に見たり、聞いたりした現実があまりに重く、生々しかったので、自分の中で受け止めきれず、文章にできなかったんです。
たかが水、だと思っていた自分の認識の甘さが恥ずかしくなりました。大自然への畏敬の念を忘れてはいけない。そう言われている気がしました。
‥‥‥と、床が盛り上がるほどの津波の衝撃に見舞われたはずなのに、教室の一角には棚にきちんと机が並べられ、本や学用品が棚に収まっていました。
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これは一体どういうことなのか、佐藤さんに聞いてみました。すると‥‥‥
当時、ご遺体を捜索する任務についていた自衛隊の隊長さんは、瓦礫の中から、遺体だけでなく子どもたちの思い出も掘り起こせ、と司令を出されたそうです。瓦礫の中から見つかった本や学用品などはきちんと水洗いし、棚にしまわれ、教室内も整理整頓されたそうです。
当時の東日本大震災の他の捜索現場の過酷な状況を考えると、とてもそんな「余裕」があったはずがありません。
事実、瓦礫の洗浄や整理整頓まで行われた現場は他には一件もないそうです。
なぜそこまで手厚く作業をしたのでしょう?
実は、指揮を執っていた隊長さんをはじめ、現場で捜索活動を行っていた自衛隊員の皆さんは、被害に遭われた大川小学校の児童の皆さんと同世代のお子さんを持つ方が大半だったのです。
「遺体だけではなく、子どもたちの思い出も掘り起こせ」という隊長さんのお言葉。誰もが異議を唱えることなく任務を行う自衛隊員の皆さん。愛を感じるエピソードでした。
※注
このくだりを書いているだけで涙があふれて何回もやめてしまいそうになりました(汗)
震災以前、子どもたちは日常的に校舎の裏山に登り、しいたけの原木栽培をしていたそうです。
佐藤さんにご案内していただき、裏山に登ってみました。
裏山から校舎を見下ろしたところ。
あの日押し寄せた水位より高い位置まで登ることができます。
裏山に避難しようと言い出す児童もいたそうですが、実際にはそうなりませんでした。
避難をめぐる真実は闇の中で、事実を知っている当時の校長や、もう一名、生存した教師が口をつぐんでいるために真相はわからないそうです。
元教師である自分としてはこの不条理に、胸を痛めています。
8年目の南三陸その①
https://ameblo.jp/magician-lupin/entry-12494286479.html
8年目の南三陸その②
さんさん商店街へ
https://ameblo.jp/magician-lupin/entry-12490666289.html
本日も最後まで読んでくださり