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『風立ちぬ』を観た。



最近、読者にならせていただいた方のBLOGで、感動の作品と勧められていて観に行った。


これまでのジブリ作品にはない、違った角度からの感動を与えてくれる珠玉の作品。



タイトルバックに「堀越二郎と堀辰雄に敬意を表して」とあるように、3つのモチーフがある。



一つは、実在の人物で、この映画の主人公である堀越二郎氏の航空機に賭ける情熱。



この実在の堀越二郎氏は、東京帝国大学を首席で卒業し、三菱で航空機開発に命を賭け、あの幻の戦闘機と呼ばれた「零戦」を設計した天才エンジニア。



そしてもう一つが、昭和初期のこれも実在の文豪、堀辰夫。


この映画のタイトル「風立ちぬ」は、堀辰夫の最も有名な小説。



この昭和の文豪、堀辰夫は実際に関東大震災で母親を亡くしている。



堀辰夫の小説の原体験には、この母親を震災で失った悲しみがあると言われている。


そして堀辰夫自身も、本当に結核にかかり、療養生活を送っている。


そして同じ病と闘っていた矢野綾子という女性と軽井沢で知り合い、富士見高原療養所に二人で入院する。


それから、二人は婚約するのだが、その年の冬に愛する婚約者を結核で失ってしまう。



そしてその実体験を基に書かれた小説が「風立ちぬ」で、映画のヒロイン・里見菜穂子のモデルがこの亡くなった婚約者・矢野綾子さんであるのは間違いないだろう。


但し、この小説「風立ちぬ」の主人公の名前は、節子という名前。


そして、最後の3つ目のモチーフは、実は堀辰夫はもう一遍、結核と闘う凛々しい女性を題材に小説を書いている。



それが、堀辰夫の最高傑作と言われる小説「菜穂子」である。



映画の中で、菜穂子がサナトリウムを抜け出し列車で二郎のもとへ駆けつけるエピソードは、この小説「菜穂子」の中のエピソードである。

つまり、宮崎監督はこの映画に1)堀越二郎の半生と2)小説「風立ちぬ」に書かれた堀辰夫の実体験、そして3)小説「菜穂子」のエピソードを交えて映画を構成している。



そして宮崎監督が、最も表現したかったのは、フランス語の副題、ポール・ヴァレリイの原詩にある「生きめやも」という言葉に凝縮されているような気がする。



「風たちぬ、いざ生きめやも」・・・・風が吹いてきた、さあ生きよう。


当時の世相は、関東大震災、第二次世界大戦、貧困と不景気な暗い世相だったに違いない。



関東大震災で母を亡くし、その当時の難病だった結核で婚約者を亡くし、立ち尽くした自分に風が吹いてきた。



苦悩を背負う女性が最後に見せた「個の輝き」、母や婚約者に愛された自分は、生きねばならない。



とても重いテーマなのだが、爽やかに描き切っているのが、さすがジブリ作品である。



そしてこの映画も、凄いことになっている。



先週のBOXオフィスでは、2日間で興収は9億6千万を叩きだし、堂々の1位。



この勢いは、92億円を稼いだ「借りぐらしのアリエッティ」を超える勢い。



それから世界3大国際映画祭のヴェネチア映画祭のコンペティション部門の選出された。



そして1番の驚きは、この映画の主題歌。


松任谷由実ではなく、荒井由実時代の30年以上前の名曲「ひこうき雲」がオリコンチャートのトップになるという社会現象までなっている。



できたら国際映画祭でも最高賞「金獅子賞」を取って、世界に日本のアニメの素晴らしさを理解してもらいたいものである。



いろいろ、理屈を付けたけど、なにも難しいこと考えず、素直に感動出来る作品です。



素敵な作品を紹介してくれて、キララさん、ありがとう。







『 キャスト・アウェイ』のDVDを観た。



あのロバート・ゼメキス監督とトム・ハンクス主演の秀逸なヒューマンドラマである。



トム・ハンクスは他にも、『フォレスト・ガンプ/一期一会』「グリーンマイル』等、穏やかな人間愛を描いた作品にも多く出演している。



運送会社FedExの管理職チャック (トム・ハンクス)は、常に時間に追われ仕事をしていた。



婚約者ケリー(ヘレン・ハント)を待たせ、自社の貨物機に同乗し、運悪く墜落事故に巻き込まれる。



奇跡的に無傷だったが、流れ着いたのは南太平洋の無人島。生き残ったのは彼1人だった。



救助を待ち続けて月日は過ぎ、彼は次第に極限状態のサバイバルに順応していく。



あきらめて自力で脱出するか、それすらもあきらめるかと葛藤し続ける。



ウィルソンと名付けた積荷のバレーボールを人物に見立てて自分を鼓舞し、5年後ついに無人島からの自力脱出に成功する。



だが脱出して社会復帰した彼を待っていたのは、待ち切れず結婚してしまった元婚約者…。




この映画のタイトル 「Cast Away」の英語の意味は、


1)見捨てる 2)時間を無駄に過ごす。 3)漂流する・・・という意味がある。



もちろん、この映画の主題となっている意味は、3)漂流する・・で無人島でサバイバル生活を強いられたこと。



しかし、飛行機の墜落事故で、死んだことにされ社会からも婚約者からも、1)見捨てられた・のである。



そして、5年間の無人島生活で、2)時間を無駄に過ごしてしまう。



それまでのチャックは、運送会社FedExでいかに荷物を早く届けるかという時間に縛られた生き方をしていて、彼の口癖は「時間に背を向けることは、大罪だ」ということだった。



この 「Cast Away」の3つの英語の意味を、うまく象徴しているストーリー仕立ては見事である。



僕たちは、文明社会の中で、時間に追われ、時間というものに縛られ、生きていることに改めて気付かされた。



そして無人島に流れ着いた荷物を開封して使えるものは使うのだが、ただ一つの羽根のマークの付いた荷物だけは最後まで開けず、持ち帰るのである。



おそらくは、あの羽根のマークの付いた荷物は、『希望』の象徴なのだろう。



あの荷物を必ず、生きて帰って届けるということが、唯一の生きる意味だったのだと思う。



そして荷物にあったバレーボールにウィルソンと名付け、ずっと友達のように話しかけるのは、孤独との闘いで、唯一正気を保つのに必要だったのだろう。



人は決して一人では生きられない。



だから、いかだで島を脱出し漂流している時に、ウィルソンが流されてしまい、「I‘m sorry,Willson!」と悲痛な叫びで呼ぶシーンは感動的だった。



この映画も、「生きる」とは?「孤独とは」?「愛」とは? いろいろ考えさせられる秀逸な映画である。



実は僕が映画会社に勤めていた時、ある映画の舞台挨拶にトム・ハンクスが来るはずだった。



ところが、この映画の撮影で体重が25Kgも減って、頬がこけて、別の映画のイメージを壊すからという理由で来られなくなったことがあり、思い出深い映画でもあるのだ。



それと無人島で5年間、婚約者の笑顔だけを想い、ようやく生き延びたのに、婚約者はさっさと結婚してしまっていて、子供までいる事をしり、身を引くチャック。

女性のほうが、恋愛に対しては切り替えも早く、逞しいのではないかと思えてしまう。



前回、書いた「華麗なるギャッビー」も、一途な男の「純愛」が根底にあるテーマだった。



結局、両方の映画とも、究極のテーマは『男はつらいよ!』だったのかな。


キャスト・アウェイ [DVD]



『華麗なるギャツビー』を観た。



ご存じの通り、F・スコット・フィッツジェラルドの金字塔、米国文学の最高峰と言われた作品。



1974年にもロバート・レッドフォードとミア・ファローで映画化されている。



今回は「ムーラン・ルージュ」のバズ・ラーマン監督、主演はレオナルド・ディカプリオとキャリー・マリガン。



公開を少し遅らせ、2013年カンヌ国際映画祭のオープニングを飾った作品。



1922年のアメリカが舞台。


大学卒業後、戦争から帰還したニック・キャラウェイ(トビー・マクガイア)は、ロングアイランドの高級住宅地へ仕事を理由に引っ越してきた。

その引っ越し先の隣りの豪邸では、毎晩のように派手なパーティーが開催されていた。


そしてその主催者が、ジェイ・ギャツビーという人物ということを知った。


間もなく、ニックはギャツビーにパーティーに招待されて参加をするのだが、驚いたことに、「誰もギャツビーについてほとんど知らない・・・」ということ。

ギャツビーは、元々陸軍将校で、親が大富豪だとか、皇族だとかスパイだとか、ギャツビーに関する噂はかなり多いのだが、謎に包まれたミステリアスな人物というところからスタートする。


そしてニックは、ギャツビーから本当の生い立ちと真の野望を打ち明けられる。



今回もパーティーのシーンの豪華さは圧巻である。


プラダやミュウミュウが、このシーンのために40着以上のドレスを制作したり、メンズの衣装はブルックスブラザーズらしい。


またジュエリーはティファニーが用意したり、サントラがビョンセら大物アーティストが参加と話題も充分。



それだけでも女性には、楽しめる映画なのだが、男性は観終わった後、悲哀を感じるだろう。



この映画は、いろんな解釈が成り立つ。


そして1974年版の映画とも、監督の意図で解釈も異なり、いろいろ考えさせられるだろう。



本作でのキャリー・マリガンが演じるヒロイン・デイジーはとても可愛く、キラキラ輝いている。



しかし、家柄の良い良家の娘で、ある意味、天真爛漫、無邪気ゆえに「残酷」である。



そしてギャツビーが最後まで貫こうとした野望は、「純愛」なのである。



特に禁酒法時代の1920年代の米国では、家柄の違いはよほど大きかっただろう。


戦争へ行った戦地でも一途にデイジーを想い続け、その間にさっさと富豪と結婚していたデイジーの愛を得るためにのし上がり、気を惹くために夜な夜な豪華なパーティーを開くギャツビーの愛。


そしてこの物語のもう一つのテーマが、このギャツビーの「華やかさ」と「孤独」の対比。



極上のミステリーであると同時に最高のラブストーリー。



決してお金では、愛は買えない。



しかし、お金でしか表現できない、愛もある。


見返りを求めないのが、愛だと頭で理解はしているが、このラストシーンはあまりに切ない・・。


華麗なるギャツビーの場面カット画像