大学一回生の秋。手当たり次第にいろんな公演を聴きに行っていた時期に、この人のヴァイオリンだけは聴いておきたい。リサイタルよりはコンチェルト、それもベートーヴェン・・・。そんな思いでチケットを購入した記憶があります。前半の「展覧会の絵」、当時は全く知らなかった背のバカデカい指揮者・ミッシェル・プラッソンが、それはそれは大きな(それでいて相当大まかな・・・)アクションで振っていました。音量もこれまた遠慮のないバカデカさで、腰を抜かした記憶が蘇りますね。後半のメニューインのベートーヴェン。技巧的にはかなり衰えていまして、当時の私は相当ガッカリした憶えがあります。この値段でこれなの?みたいな・・・。まあ当時は「枯れた」演奏には興味がありませんでしたから、それも当然だったんでしょうかね。それ以外のことは、帰りに三軒茶屋の「餃子の王将」で夜食を食べて帰ったことぐらいしか覚えていません。それでも、あの日の枯れたベートーヴェン、本当に懐かしいですし、私の「巨匠ヴァイオリニスト体験」の原点ともなった、そんな思い出深い公演と言うことで、取り上げてみました。(彼の生い立ちや人種などを詳しく調べたり知ったのは、随分のちのことになります。) そういえば、当時は「冠コンサート」花盛りの時期でもあったんですね。
大阪交響楽団の公開リハーサルの時に、森下さんにお尋ねしてみようと思って準備していたんですが、残念ながらそういう機会に恵まれませんでしたので、自分なりに思ったことを書かせて頂きます。
今年の「大阪クラシック2013」、会場で頂いたプログラムを眺めながら演奏を思い起こしていた時に、この第51公演の「プログラミングの妙」に気が付きました。第51公演については、以前感想を書かせて頂きましたが、振り返ってみますと、改めてこの選曲は実に素晴らしいですね。まず調性ですが、1曲目のベートーヴェンがト長調、2曲目のシューベルトが変ホ長調、3曲目のクライスラーが変ホ長調、そして4曲目のハイドンの基調がト長調。前半・後半で鏡になっているんですね。そういった「統一感」がこのプログラムには潜んでいるんです。それから、3曲目のクライスラーですが、「ベートーヴェンの主題による」と言う表記をプログラム上では削っておられまして、1曲目で演奏された曲が、3曲目の由来になっていると言うことを敢えて伏せ、聴者に音符を辿った「謎説き」をさせているんですが、こういう趣向はとても面白いですよね。森下さんのトークでも、このことについては全く触れておられませんで、「謎解き」は聴き手に委ねられたと言った感じです。当日聴かれた方のどれぐらいの皆さんがこの趣向にお気づきになられたでしょう。
1曲目と3曲目が「主題」でつながっている一方で、2曲目と4曲目はタイトル的には対極にあるんですが、4曲目の「ハンガリー風」と言うのは第3楽章由来の標題で、第1楽章は極めて晴朗な音楽であり、2曲目の「ノットゥルノ」と「ハンガリー風」の曲想をつなぐ中間的・橋渡し的な意味合いを持っているように思います。ロンドンで活躍したハイドンの曲のあとに演奏されたのが、アンコールの「ロンドンデリーの唄」であったことを含め、そういう意味深いプログラムを素晴らしい演奏でお聴き出来たことは幸せでしたし、今年お聴きしたいろんなライヴの中でも、総合的に出色のものだったと思っています。コンサートって、演奏・選曲のバランスが大切なんですね。どちらかが勝ち過ぎてしまっても、総合的に見て「良いコンサート」とは言えないんでしょう。こういう「お楽しみ」があるからこそ、コンサート通いはやめられないんです。
副題は「音が語るもの」。少し抽象的で、選曲された3曲と副題との関連が、私にはあまり良く理解出来ませんでした。
プログラムは3曲、順にイ長調~変イ長調~(基調が)ト長調と、ちょっと意味深ですかね。C.P.E.バッハの「ロンド」、音の響き方が心地よく印象に残るような現代的なペダリングで、明るい気分にさせてくれるオープニングでした。ウェーバーのソナタですが、曲が世の中にあまり広まっていない理由はいろいろあるんでしょうが、この曲はロマンティックな佳品だとは思いますが、曲の内容に比べて幾分長目ですね。特に前半が。構成的に堅固な「ソナタスタイル」で書かれていないため、聴く方もいくらか散漫になりがちな曲だと思います。後半は興も乗って来まして、聴いている方も多少救われるんですが、いくら素晴らしい演奏であっても、ちょっと退屈してしまうと言った感じの曲でしょうか。演奏は、1曲目のC.P.E.バッハともに、とても心配りのある演奏だったと思いますが、曲の性質からも、それ以上でも以下でも無かったと言うのが正直なところです。
後半のシューマンですが、とても楽譜の推敲に長けた演奏ではなかったでしょうか。感情的な表出も過不足なく、曲の性格をわかりやすく描いていたと思います。デュナーミクは比較的狭い範囲ではありましたが、過度な演出的な場面は無く、大変知的・丁寧な演奏で楽しめました。どれも振幅の幅の大きい曲ではありませんでしたので、「ピアノ・リサイタル」と言うひとつの舞台と言うことを考えると、ちょっと物足りなかったと言うのもありますかね。玄人向けのプログラムでしたから、仕方ないのですが・・・。2曲のアンコールも、竹田さんのお人柄を映すような実直で心のこもった美演だったと思います。
演奏を通じてですが、彼女の最大の特徴は、音楽が清潔であり、迷い・曖昧さがありません。これは楽譜の読みが深い証拠でしょう。非常に繊細な音楽を奏でられますし、特に弱音時の美しさが素晴らしい。しかもその時に聴こえる音が決して書かれている音符そのものに負けていないと言うことです。これは、その音符の素性を十分に自身で咀嚼し、そして一音一音を適切なタッチとペダリングで弾かれていると言うことだと思います。
客席は割とにぎわっていたと思いますが、彼女やご家族のお知り合いの方がほとんどだったようです。本当の意味での「一般の愛好家」がこういう公演に足を運んで頂きたいものですね。せっかくの素晴らしいリサイタルなのに、一般の愛好家には、この公演自体広く知られていないですもんね。もったいないことです。
終演後、多くのお知り合いがロビーで待たれている合間、短時間でしたがお話する機会を頂戴出来ました。演奏でも感じましたが、とても知的で真面目なお嬢様ですね。今後益々のご活躍をお祈りしています。
コンサートの副題は「ヴォルフガング・シュルツ氏に捧ぐ」となっています。今年の春に開催された「第8回神戸国際フルートコンクール」を前にした時期に、彼の訃報に接し、多くのフルート・音楽ファンが悲しんだことを思い出します。今回の公演では、息子さんが代役を務められました。
演奏ですが、悪い訳がありません。それぞれの奏者が自分の実力を把握しつつ、変幻自在に音量の加減をしながら楽器を操り、それぞれがお互いを認めながらも、実力者同士が遠慮なくアンサンブルを繰り広げる様は、お見事と言うしかありませんね。どの楽器をどの音量で組み合わせると、どういう音が鳴って客席で聴こえていくのかがすべてわかっていて演奏なさっているんですよね。素晴らしいです。オーボエのシェレンベルガーさん、多少衰えた感もありましたが、それ以上に心に響く演奏でした。すべての楽章ごとに客席から拍手が起きてしまい、これにはちょっと弱りました。奏者が座ったまま立ち上がらないのに、いつまでもこれを繰り返しているのは、奏者に失礼ですね。アンコールは3曲。最後におなじみの曲まで演奏して頂き、この素晴らしいコンサートが更に盛り上がりましたね。「企業メセナ」の催しでしたが、奏者が手抜きなく精一杯のステージを務めて下さって、感謝しています。
ちょっと遅くなり、明日は仕事なので、詳しくは明日(以降)書かせて頂きますが、後半に行くにしたがって、良い演奏になりましたね。第3楽章の深さ・丁寧さは素晴らしかったと思いますし、第4楽章の折り目正しさ・手堅さ・堅実さは、この曲・版に良く合った演奏スタイルで、特にこの楽章の冒頭の弦の前打音の見事な扱いは、今までこの曲ではあまり聴いたことにないようなものでした。楽譜にはそう演奏するように書いてはあるんですが、これほどまでに忠実に演奏された記憶はないですね。一方で、前半は練れてくるまで時間がかかり、多少落ち着かない演奏と言う印象でした。出だしのホルンのいきなりの音程の狂いは残念でしたし、第2楽章はテンポ的にちょっと忙しなく、どんどん前のめり気味になってしまったのは惜しかったですね。管のピッチの悪さ、低弦の音程の悪さも目だっていたように思います。
以下、追記分。
会場の客席は、かなり空席が見られましたが、渋い1曲プロと、第1稿と言うのが嫌われたのかも知れませんね。この日も前回定期に続いてコンマスは林七奈さん。洒脱さやハッタリのあるような曲ではまだまだ役不足と言う感じもしますが、全体的には前回の定期よりは良かったでしょうか。堅実なトップサイドの里屋幸さんの存在も大きいと思います。曲ですが、中学生の頃に聴き始めたNHK-FMの番組では、ブルックナーの曲が放送される時は決まって金子建志さんの版の「聴き比べ」があり、第1稿も何度も聴かせて頂きましたので、この日の演奏会も耳馴染みのある曲として聴けたのは幸いでした。演奏ですが、ホルンとワグネルテューバ群が左右対称に配置されていましたが、これはあまり感心しませんでした。オルガン席からは舞台が見渡せるんですが、ワグネル群がオケ全体の流れに乗れていなかったですね。トップがザッツを出す訳でもなく、奏者が何となく雰囲気でめいめいが音を出していると言う感じで、パートとしてのまとまりを感じませんでしたし、器具を落として金属音が会場に鳴り響いたのも頂けなかったですね。この配置は「オルガンのような音」を出そうと意識した指揮者の指示だと思いますが、まとまりと言う点からも8人の奏者を同じ塊りにするべきだったと思います。第1楽章は落ち着かない流れが続き、加えて第2稿と異なる場所が必要以上に強調されてしまっている感じがあり(そこをことさら「張り切って」しまっていると言うような・・・)、全体的にバランスの悪い楽章になってしまいました。トランペット以下のブラスは非常に好調だったものの、弦と木管との融和が今一つで、テンポ的な面からも表面的に流れて行ってしまったような感があります。第2楽章も似たような印象。もう少し腰を落ち着けた演奏が聴きたかったでしょうか。主題を「野人(ミヒェル)」=“鈍重な田舎者”と説明したと言うぐらいですから、もっと1音1音の深み・歩みを感じたかったですね。「イ長調~ホ長調~変ホ長調~変イ短調~変ホ長調」と転調して行くモチーフの場所ですが、第2稿では、同音型での二度目は「イ長調~変ニ長調~ハ長調~ニ短調~ハ長調」で終止します。一方、第1稿ではトランペットの上向形が異なり、二度目の開始がイ長調では無く、嬰ヘ長調(変ト長調)から変ニ長調に展開して行くのはやはり違和感がありますし、第2稿の方が理に適っていますね。トリオはこれはこれでブルックナー的な素敵な曲だと思いますが、この異なるトリオを「聴かせよう」と言う意識が強く働いたのか、楽章全体から受ける印象はもうひとつだったですね。ここまではちょっといつもの児玉さんらしくなかったですかね・・・。以下の楽章は当日書いた感想と同じですが、もう少し前半が深堀り出来ていれば、全体的なバランスも良く、更に感銘を受けたんだと思います。この日は木管の出来が不安定で、特にフルート同士のピッチの悪さ、オーボエの発音の悪さはいつもの素晴らしい演奏から見ればちょっと残念な出来でした。ヴァイオリンは両パートとも良く弾けていました。弓の使い方や弾き方にも統一感があり、金管群(特に低管)や安定感抜群のハープとともに、この日の演奏をよく支えていたと思います。
それから、今日も拍手より前に「ブラヴォー」の声。「いつもの詰まったような声」の男性。いつもいつも同じ人ですよ。「トリスタン~」では演奏をぶち壊し、今回は多少時間を置いての「ブラヴォー」でしたが、余韻が壊れてしまいました。こういうことをする気持ちがわかりません。隣に座る機会があれば、一度「問い詰めて」みたいですね。自分ひとりの演奏会ではありませんし、ああやって叫ぶ間合いを考えていること自体「確信犯」でしかありませんね。









