盛川と会うと誉めてはもらえたが、やはり千株を早急に用意するのは難しいとのことであった。
それを聞くと改めてD社株の将来的な値打ちの真実味が出てくる。
私は以前にも増して力を入れて営業するようになった。
営業する上で非常に有利な材料であったのが、有馬温泉にある扇山荘という高級料亭旅館があったのだが、ここを自由に使えたことだった。
扇山荘はY口組も定例会や総会、また盃事でよく使う超高級料亭で、温泉はもちろん宿泊することも可能な料亭である。
扇山荘もバブル崩壊の影響で傾いたのであるが、盛川が出資しオーナーになっていたこともあり自由に使うことが出来た。
ゆえにD社株における商談を扇山荘で行うことが出来たため、武器として使えた。
例えば、年配のおじさま方に投資の話をするにあたって扇山荘で食事でもしながらというと快く足を運んでくれた。
もし宜しければ奥様もご一緒にと言うと、夫婦でやって来る場合も多かった。
それだけ扇山荘は有名であった。
そして女将は以前のままであったが、実質は盛川の雇われになっているので私に対しても腰低く対応してくれた。
それもあって、信頼性が増したことは間違いなかった。
旬の食材、ならびに高級食材で仕上げられた料理に舌鼓を打ちながら商談し、投資によりD社株を抱いておいてくれれば月に一度は扇山荘に招待するという特典を付けた。
それも効いて、千万二千万単位の投資は簡単にまとまるようになった。
そして私の発想であったのだが、株券の保管がもし面倒であるのなら保管書か預り証でどうかと相手方に提案してみることにした。
いわゆるD社の母体であるOCCカードが扇山荘のオーナーであることが分かっているだけに信用は厚かったので、それで承諾する人も多かった。
この株券自体を渡さないですむ投資の発案で、盛川から私に対する評価は絶大なるものとなった。
盛川も、その投資家たちにはさらにOCCカード社の約束手形を担保に差し入れる配慮をしてくれたので、投資家達の保全も厚く行えたため私としても助かった。
私の口座にも投資額の1割が振り込まれるため、懐も潤ってきた。
ただ、やっかいだったのはやはり金谷と河本である。
小ズルい両名は、投資が決まりそうな場合は自分達を扇山荘など商談の場に呼んで欲しいと頼んで来た。
そう、前と同じで自分たちもブッシュして決めたということにして欲しいということだ。
要するに手柄を分けて欲しいということで、本当に姑息で浅ましい奴らであった。
まあ当然、そんなことを重ねる内に金谷の私に対する横柄な態度はなくなり、金谷も河本も私に気を使うほどになったので損ばかりではなかったのだが。