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鎌田洋次(漫画家)のブログ

作品紹介、草野球など諸々。

  「私は生まれた」...って能動的(自発的)な意味を持っているんだろうか? 私は普段「生まれた」に 受動的な意味を感じてはいないのだが... 皆さんはどうだろう?

 

 でも、

英語では I was born.   ( be動詞+過去分詞 )は受動態になっている. つまりこの文の後に by 〇〇 が 続くはず。受け身だ。

 

 そこで、何十年も日本に暮らしている、 アメリカ人の英会話の先生に尋ねたことがある。ネイティブも受動的な意味として感じているのかと?

 答えは "No" (彼の場合だが)

私と同じように自発的に、この世界に出て来たと感じているらしい。

 

  bornの原形はbear (生む)

母を主語にすると(受動態を避けるために)

My mother bore( bearの過去形)me. 

 でも、 誕生日を聞かれた時、「○年◯月○日、母が私を生みました」とは言わないよね。

 

 じゃあ、「私は踏まれた」はどうだろう?

これは普通に受動的な感じがする。例えば、「私は母に足を踏まれた」は素直に受け身を感じる。

              

 なぜ「生まれた」に受け身が感じられないんだ? 

「私は母に私を生まれた(産まれた)」……………なんだかおかしい。

 

しかし、どこかで、私の論理が間違っているような気がするんだが...

 

 そもそも「生まれた」に自発的な意味を感じていること自体が間違いなのかな? 私が不遜なのかな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日は蒲生へ行って来ました。

36年前、バイク事故で26歳で逝ってしまった深井くんの命日です。本間君の分も、毎年ここで一緒にお参りさせてもらっています。

 

 ちっちゃな缶ビールを2つ開けて、お線香をあげて来ました。

 

 

 そうそう、いつかブログに書いた、何十年も「空き室」ままのの4階建てのビル、ありませんでした。...見逃したのかな?

...いやそんなことはないな、車で行っても目立つところに立ってあるんだもの。必ず目にするはず。

 ついに取り壊されたか?

 近所の人は安心しているだろうなあ。

 

すごく安っぽく使われるんだなあ。

特にあの人が使うと、そう聞こえるのはなぜだろう?

 

a beautiful law,  a beautiful family, a beautiful country...

 

尖らせた口元を見ていると、バカっぽいよなあ。

 近頃は、どの家もポンとプッシュして出る液体石鹸が主流でしょうか? 我が家の風呂にも、そんなボディソープが一本あります。

 

 私は固形のやつが好みです。ちょっと大きい目のがいいですね。液体よりも少ない量でよく泡立ち、また、簡単に泡が流せるような気がしています。液体はついつい何回も押してしまって

なんか不経済のような...

 固形はチビて新しいものと合体させるのがまた楽しい。うまくいったときはガッツポーズです。

二個の条件がうまく揃わないとすぐに剥がれたり、チビたほうが粉々になったりしますからね。なかなかむずかしいです。

 

 小さい頃を思い出すと、暗くなると近所のどこかから石鹸の匂いか流れてきたものです。誰かがお風呂を使っていて、そのお湯が側溝を流れてくるのでしょうね。寒い冬なんか、そこから白い湯気が上がったりしていて、近所の温かさや、人の暮らしが感じられたような気がします。

 

 

 

 やっぱり、そうなったかあ...

高校総体も中止になったから、こちらも、そうなるんではと思っていたが、残念だろうなあ。悔しいだろうなあ。

 彼らが何年か後に今年を振り返って、どのように思い出すのだろうか、最後の試合をできなかった虚無感は私にはとても想像できない。成績や結果だけが三年間の思い出ではないだろうけど、

頭の中に”シーン”として残してやりたかった。

たとえ地方大会の1回戦で負けても、コールドで負けても...

 

 野球部員だけじゃなく、スポーツだけじゃなく、若者たちには

なんとか、踏ん切りをつけて、次の一歩を踏み出して欲しいと

思います。