鎌田洋次(漫画家)のブログ -37ページ目

鎌田洋次(漫画家)のブログ

作品紹介、草野球など諸々。

 以前にもブログで書いたのですが、プロ野球の魅力を損なう要因に(個人的な意見ですが)ズ〜〜〜〜と鳴ってるトランペットの応援(鳴り物応援)があると思います。のべつ幕無しに鳴っているあの音を聞いていると、私は頭の中がおかしくなってしまいます。

  今の状況はいいですよね。ピッチャーのボールが指から離れる音さえ聞こえてくるようです。ミットの芯で捕球した直球と

変化球を網で押さえた音の違いもわかります。

 打球音もバットの芯を食った音、上っ面をこすった音、詰まった音と、聞き分けられます。

 自然に湧き上がってくる、興奮のうねりや空気感は、むしろ今の状態の方が選手たちに伝わるのではないでしょうか?

 

 これを続けてほしいものです。

 

 

 ALBは今年3月25日に開幕して以来、緊急事態、外出制限から延期中です。

 今年シーズン完了で引退をすると言ったものの...なんか不完全燃焼だなあ。残り、やれて5試合か...

   前回の試合はうちの打線のおかげで勝てたので、納得のいく

ピッチングではありませんでした。

 この夏、なんとか体力をキープしてみんなに迷惑をかけないようにしなきゃ...

 

 そうそう、何日か前にNHKの「ノーナレ」とかいう、「ちば・てつや」さんを特集した番組で野球をやってるシーンがありました。あれが、ALBです。私たちはあの対面のグラウンドで将棋の棋士たちが集まったチームと試合中だったわけです。

「 NHK が取材に来てるぞ」なんて言ってましたね。

 

 

  「私は生まれた」...って能動的(自発的)な意味を持っているんだろうか? 私は普段「生まれた」に 受動的な意味を感じてはいないのだが... 皆さんはどうだろう?

 

 でも、

英語では I was born.   ( be動詞+過去分詞 )は受動態になっている. つまりこの文の後に by 〇〇 が 続くはず。受け身だ。

 

 そこで、何十年も日本に暮らしている、 アメリカ人の英会話の先生に尋ねたことがある。ネイティブも受動的な意味として感じているのかと?

 答えは "No" (彼の場合だが)

私と同じように自発的に、この世界に出て来たと感じているらしい。

 

  bornの原形はbear (生む)

母を主語にすると(受動態を避けるために)

My mother bore( bearの過去形)me. 

 でも、 誕生日を聞かれた時、「○年◯月○日、母が私を生みました」とは言わないよね。

 

 じゃあ、「私は踏まれた」はどうだろう?

これは普通に受動的な感じがする。例えば、「私は母に足を踏まれた」は素直に受け身を感じる。

              

 なぜ「生まれた」に受け身が感じられないんだ? 

「私は母に私を生まれた(産まれた)」……………なんだかおかしい。

 

しかし、どこかで、私の論理が間違っているような気がするんだが...

 

 そもそも「生まれた」に自発的な意味を感じていること自体が間違いなのかな? 私が不遜なのかな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日は蒲生へ行って来ました。

36年前、バイク事故で26歳で逝ってしまった深井くんの命日です。本間君の分も、毎年ここで一緒にお参りさせてもらっています。

 

 ちっちゃな缶ビールを2つ開けて、お線香をあげて来ました。

 

 

 そうそう、いつかブログに書いた、何十年も「空き室」ままのの4階建てのビル、ありませんでした。...見逃したのかな?

...いやそんなことはないな、車で行っても目立つところに立ってあるんだもの。必ず目にするはず。

 ついに取り壊されたか?

 近所の人は安心しているだろうなあ。