鎌田洋次(漫画家)のブログ -31ページ目

鎌田洋次(漫画家)のブログ

作品紹介、草野球など諸々。

 前回のこのテーマのブログで、この小説の命題として、

『神は存在するか、否か?』と、いきなりぶち上げてしまいましたが....

 

 実はこの小説を読んだ後に、亀山郁夫氏の「『罪と罰』ノート」と「ドストエフスキー 共苦する力」と続けて読んで、その深い研究に圧倒されてしまいました。

 

 そして、私ごときが、このテーマを云々するのはとても恥ずかしいし、この小説が単に、ラスコーリニコフが神に選ばれたか、どうかだけのテーマを追っているのではないことを知りました。

 隠された数字の意味、建物、部屋の形、聖書との登場人物の関係、登場人物の名前の由来、当時起こった事件との関係など...

 

 しかし、それでも、私が学生時代に『神(キリスト教)の存在』について、何かしら考えていたことを残しておきたい、頭がボケて忘れてしまわないうちに書いておこう、と大それた考えを起こしたわけです。...あとで読むと笑っちゃうようなことかもしれませんがね。

 

 以前、私はキリスト教と仏教の共通点、相違点に興味があると書いたことがあります。

 

 ここで宗教そのものに、ちょっと触れます。

 

 宗教は私たちが生きているこの地球上に生まれました。人間が自らでは解決できない大きな力、現象に直面した時に、おそらく自然発生的にそれは生まれたのでしょう。

 つまり、「この地球上で起こった全ての現象、事象に関して私たち人間が考えたこと、感じたことの拠り所」から発生したのが宗教だと私は思います。

 

 私が「地球上」にこだわるのは、20世紀になるまで、人間は大気圏外へは出ていませんので、たとえ天空を見上げて、宇宙からの神秘を感じても、それは地球上での出来事だからです。

  

 イエスもブッダもソクラテスもピタゴラスもアルキメデスもコペルニクスもガリレオもニュートンもアインシュタインも....みんな、地球上にいた人です。彼らの預言も悟りも哲学も説も定理も法則も全部、地球上で発見され、行われたことです。

 

 このこだわりを持って考えると、私たちが普遍だと思っているのような原理や法則は「地球上」という特殊な環境の中で成り立っているのに気づきます。そして、これらは宇宙の隅々で成り立つのだろうかという疑問が湧いてきます。

 

 例えば、地球上で引いた二本の平行線を、果てしなく延長していくと宇宙のどこかで交わったりはしないのでしょうか?

 

 事実、地球上では真っ直ぐに進む光は、宇宙空間に浮かぶ巨大な天体のそばでは、その重力によって曲げられる(アインシュタインの一般相対性理論)ということが後でわかりました。

 

 また、人間は円周率(π)を未だに正確に出し切っていません。(割り切っていません。)

厳密にいうとこの地球上では完全な円や球体を作れていないということです。

  

 まだまだ、何かありそうです...

 

 私にはますます、こ地球上には永遠に「答え」を出せないものがあると思えてきます。

 

 では、地球外環境での人間は全ての「答え」出せるのか?

 

 みなさんは映画『2001年 宇宙の旅』をご覧になったことがあるでしょうか? 最後のシーン15分位が難解です。

 コンピュータ「HAL」と戦って勝った宇宙飛行士が、時空を超えて「モノリス」(おそらくこれは「神」、全能の「神」)を追いかけるシーンです。

 老人になってベッドに横たわっている宇宙飛行士が、手を伸ばして「モノリス」に触れようとしますが、触れられませんでした。

 人間が時空を超えても、永遠に触れられないもの「モノリス」。 私はそのようにこの映画を観ました。

 

 つまり「完璧ではない人間」が神を考える。神に近づこうとしても「答え」は出ない。そう言っている気がします。(映画の話ですがね)

 

 振り返って、宗教について考えても、「完璧でなはい人間」が関わって成り立ってきたものです。

それは「完璧ではない」と思わざるを得ません。

 
 

.....長くなりました。次に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

......もうそんなに時が経ったのか....

 

 震災の年の5月だったから、そうなるのか....

確かその月の初めごろに、仕事中に気になって、病室にいる田宮さんに電話したと思う。

 

  緩和ケアで薬を入れてたのか、ひどく、ろれつが回らない口調で、電話口も遠かった。こちらの話も聞こえているのかどうかわからない状態だった。誰かが側についていて、ケータイを耳元に

あてがってくれていたのかもしれない。想像だが....

 

「この仕事が、終わったら見舞いに行くから」と伝えたが

理解できたかどうか...

 

 その後何日かして、ヤングマガジンの元編集長の関さんから連絡があって、田宮さんが亡くなったことを知った。

 

  当時、宮城の実家が震災でひどいことになっていて、老々介護の両親も気になっていた。

東北道やガソリンの問題もあって、動きが取れない時期だったなあ。

 ラスコーリニコフは7月のペテルブルグの暑い夕方、夢遊病者のようにセンナヤ広場を通り抜け、金貸しの老婆のアパートにたどり着き、彼女をを斧で叩き殺すのですが...

 

  読み直してみると、この殺人のシーンが、かなりリアルに書かれていたのにびっくりしました。

 学生時代に読んだ時は、何かぼんやりとしたイメージしか残っていなかったのですが....(やっぱり、ちゃんと読んでいなかったのですね)

 

 ラスコーリニコフは、ある目的を持ってこの殺人を実行しました。それは、自分が「選ばれた人間」だということを証明することです。

 人間は「支配する側」と「支配される側」の二つに別れていて、彼は前者に属することを信じていました。

「支配する側」は人類にとって有益な存在です。政治、科学、自然、全てにおいて、「支配される側」を導きます。

 

 その導きを阻害するものは排除されても構わない、いや、むしろ排除されるべきだと考える、いわゆる『選民主義」です。

 

 「人類にとって有益な存在(自分)は、今、貧困に苦しんでいる。それに対して、なんの価値もない金貸しの老婆が金を貯めて私腹をこやしている。自分は、老婆の金を手に入れても構わない、それはむしろ、そうするべきで人類にとって有意義なことなんだ。」この考えのもとに、殺人を犯します。 

 

 『選民主義』。では、誰が彼を「選んだ」のか?

『神』か? この小説ではキリスト教(ロシア正教か?)の神になります。ラスコーリニコフは、はっきりと「自分は神に選ばれた」とは言っていませんが....

 

 そこで、この小説の命題。

 

 『神は存在するか、否か?』

 

 ドストエフスキーの小説には、いつも、この問いが隠されています。

 

.....次回に続きます。

 

 

 先日、風がおさまった日に、ついに自転車で走ってみました。

いつもの川沿いのサイクリングロードです。

 

 今年初の自転車。やっぱり走り出したら気持ちいい〜!

しばらく走ると、川沿いに、たくさんの白い花をつけた木々が....藤の花を短くしたような.....なんだろこの木の名前は?

しかも風に乗っていい香りが飛んでくる。

いやあ、爽やかな、ほんのりとした上品な匂いが顔を撫でていく... 

 

 帰ってから調べてみました。

 『ニセアカシア』

 

初めて知りました。こんな木があのサイクリングロードに

たくさん自生しているとは...