前回のこのテーマのブログで、この小説の命題として、
『神は存在するか、否か?』と、いきなりぶち上げてしまいましたが....
実はこの小説を読んだ後に、亀山郁夫氏の「『罪と罰』ノート」と「ドストエフスキー 共苦する力」と続けて読んで、その深い研究に圧倒されてしまいました。
そして、私ごときが、このテーマを云々するのはとても恥ずかしいし、この小説が単に、ラスコーリニコフが神に選ばれたか、どうかだけのテーマを追っているのではないことを知りました。
隠された数字の意味、建物、部屋の形、聖書との登場人物の関係、登場人物の名前の由来、当時起こった事件との関係など...
しかし、それでも、私が学生時代に『神(キリスト教)の存在』について、何かしら考えていたことを残しておきたい、頭がボケて忘れてしまわないうちに書いておこう、と大それた考えを起こしたわけです。...あとで読むと笑っちゃうようなことかもしれませんがね。
以前、私はキリスト教と仏教の共通点、相違点に興味があると書いたことがあります。
ここで宗教そのものに、ちょっと触れます。
宗教は私たちが生きているこの地球上に生まれました。人間が自らでは解決できない大きな力、現象に直面した時に、おそらく自然発生的にそれは生まれたのでしょう。
つまり、「この地球上で起こった全ての現象、事象に関して私たち人間が考えたこと、感じたことの拠り所」から発生したのが宗教だと私は思います。
私が「地球上」にこだわるのは、20世紀になるまで、人間は大気圏外へは出ていませんので、たとえ天空を見上げて、宇宙からの神秘を感じても、それは地球上での出来事だからです。
イエスもブッダもソクラテスもピタゴラスもアルキメデスもコペルニクスもガリレオもニュートンもアインシュタインも....みんな、地球上にいた人です。彼らの預言も悟りも哲学も説も定理も法則も全部、地球上で発見され、行われたことです。
このこだわりを持って考えると、私たちが普遍だと思っているのような原理や法則は「地球上」という特殊な環境の中で成り立っているのに気づきます。そして、これらは宇宙の隅々で成り立つのだろうかという疑問が湧いてきます。
例えば、地球上で引いた二本の平行線を、果てしなく延長していくと宇宙のどこかで交わったりはしないのでしょうか?
事実、地球上では真っ直ぐに進む光は、宇宙空間に浮かぶ巨大な天体のそばでは、その重力によって曲げられる(アインシュタインの一般相対性理論)ということが後でわかりました。
また、人間は円周率(π)を未だに正確に出し切っていません。(割り切っていません。)
厳密にいうとこの地球上では完全な円や球体を作れていないということです。
まだまだ、何かありそうです...
私にはますます、こ地球上には永遠に「答え」を出せないものがあると思えてきます。
では、地球外環境での人間は全ての「答え」出せるのか?
みなさんは映画『2001年 宇宙の旅』をご覧になったことがあるでしょうか? 最後のシーン15分位が難解です。
コンピュータ「HAL」と戦って勝った宇宙飛行士が、時空を超えて「モノリス」(おそらくこれは「神」、全能の「神」)を追いかけるシーンです。
老人になってベッドに横たわっている宇宙飛行士が、手を伸ばして「モノリス」に触れようとしますが、触れられませんでした。
人間が時空を超えても、永遠に触れられないもの「モノリス」。 私はそのようにこの映画を観ました。
つまり「完璧ではない人間」が神を考える。神に近づこうとしても「答え」は出ない。そう言っている気がします。(映画の話ですがね)
振り返って、宗教について考えても、「完璧でなはい人間」が関わって成り立ってきたものです。
それは「完璧ではない」と思わざるを得ません。
.....長くなりました。次に続きます。