鎌田洋次(漫画家)のブログ -26ページ目

鎌田洋次(漫画家)のブログ

作品紹介、草野球など諸々。

 ワールドカップ女子スキージャンプ第9戦、高梨がやっと表彰台に上りました。優勝です。

 ...5位、4位、5位 4位....と続いていて、待たされました。

今年は、クラマー(オーストリア)、クリネツ、ボガタイ(スロベニア)が上位を独占して、なかなか勝てませんでしたが....

 アルトハウス(ドイツ)も復活の兆しが。一回優勝してるいからね。

  そうそう、ルンビ(ノルウェー)は今シーズンは参戦していないんですよね。北京冬季五輪も出ないみたいです。どうしたんだろう?

 スキージャンプって好調を維持するのが難しいんだろうなあ。

伊藤なんか2回目に進めなくて、不調が続いてるもん。

 

 私は、大概のスポーツで、プレイ中の選手が見ているシーンを

頭に浮かべることができるのですが、スキージャンプだけは難しい...

 40度近い傾斜を時速85キロ〜90キロの猛スピードで滑っていき、すっぱり切れ落ちている、ジャンプ台の先端を踏み外さないように飛び出す。ビュオン!

 次にスキーの先端をあげすぎないように、V字に開き、スキーの裏面で風をうける。この時、横風が吹いたら大変だ。体がローリングする。

 そのローリングを抑えて前傾姿勢を維持。下から煽ってくる風を身体全体でうける。ゴーグル以外の露出した顔に凍るような風が突き刺さる。 ブオオオオオー!!! 

 だんだんと下方向にカールした着地面が目の前に迫ってきた!ドシンと落ちたら骨折だ!

 K点ギリギリまで粘って、テレマーク! ズシャアーーーー!!

 

 

 ふ〜っ...大変なスポーツだ。

 

 

 

 

 実は、2月前ぐらいに、新しい自転車を買いました。

Fuji の stroll シングルスピード(ギアが一つ) です。

 まあ、昔風のクロモリと銀色のリムが気に入って買ってしまいました。

 ブレーキはFujiが作ったものらしいし、タイヤはKENDAの安物らしいけど、サイドがホワイトスキンで、色合いはいいので

変えません。

 街乗り用です。気軽に乗ろうと思ってね。でもあまり乗ってないな。

狭い仕事部屋に2台の自転車が置いてあります。

 

 

 

 私は数年前、仕事場を引っ越す際に、本を全て捨てました。

本は図書館から借りて読んでいます。

最近は電子書籍も借りられ、わざわざ図書館にで出向かなくても良くなり、便利になっています。

 

 先日、ある出版社から通知が来て、初めて知ったのですが、

出版社は図書館と本の購入について契約を結んでおり、数年ごとに本の買い替え、貸出し回数などの決まりを作っているみたいです。

 さらに電子書籍になると著作者の利益を守るためにいろいろ規則があるみたいです。

 

 そうだろうなあ、全国の図書館が無償で本を貸し出しているのだろうから、何の規制もないなら、著作者は大損だよな。中には図書館への貸し出しを許可しない作者もいるみたいだから...

 

  冒頭に、本を全て捨てたと書きましたが、少し後悔している部分もあります。 立花隆氏の『中核vs革マル』が近所二つの市の図書館では見つかりません。

 もう一度読んでみたいんだがなあ...買わなきゃいけないのかな...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今週はNHKの放送番組で、太平洋戦争の開戦前夜の特集集をやっているみたいです。

 80年も経過して、アメリカ、イギリス、ソビエト、中国、日本の情報戦など、新しい資料が出てきているので、ちゃんと見ておくべきだと思います。

 

 当時の、それぞれの国の為政者の思惑がどう絡み合っていたのか.....

 

 二度と過ちを繰り返さないように...この失敗を私たちは後世に伝えていかなければなりません。

 

 

 

 

 

 

 一つは、キリスト教における「三位一体」。

色々本を読んでみたのだが、よくわからない。

神、 イエス(神の子)、聖霊、 これらが関係し合ってキリスト教の根幹を成すというのだが... こんなことはキリストも言ってないし、聖書にも書いていない。

 

 ところで、ユダヤ教の神はヤハウェ。キリスト教の神はデウス。キリスト教がユダヤ教の一派から派生したものならば、イエスが言う神はヤハウェではないのか? もし違うのなら、旧約聖書(ユダヤ教)と新約聖書(弟子らが書いたイエスの記録)が一緒に合わさってバイブル(聖書)となっているが、一神教じゃなくなると思うのだが...

 

 二つ目は、仏教における「般若心経」。

これは釈迦(仏陀)の元に集まった教団の中で、弟子の舎利子(シャーリプトラ)が物事の実体や感覚について質問し、それに『菩薩』が答えているものである。

 

 なぜ『菩薩』が答えているのだろう?

舎利子は、直接、釈迦(仏陀)に尋ねるべきじゃなかったのか?

 

 ある本には、この時期、仏陀は教団から離れて一人別の所いたとあった。仏陀は死期を迎え、教団の若い精鋭たちから距離を置いていたらしい。