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鎌田洋次(漫画家)のブログ

作品紹介、草野球など諸々。

 1945年、太平洋戦争での敗戦を決定的にしながら、日本は沖縄を本土決戦への時間稼ぎ(捨て石)に使った。

その無残な戦いが終わった日だ。それでも尚、日本は天皇による国体護持を模索し、いたずらに時間を浪費し、広島、長崎に原子爆を弾投下された。

 

 連合軍(アメリカ)による一般市民への無差別攻撃は決して許すわけにはいかないが、当時の日本政府(軍部)の無策にはあきれる思いだ。日本はもっと早く戦争をやめる機会は、何度もあったはずだ。

  

 ウクライナの市民の惨状を見るたびに、山中を家族を連れて逃げ惑った沖縄の人々を想像すると胸が苦しくなる。

9日 今年は電車で深井くんの墓参りに行って来ました。

 

先日、友泉の墓参りに乗ったのが北陸新幹線「あさま609号」

深井くんと本間くんが亡くなったのが6月9日。何か因縁めいて不思議な気がしました。

 

 深井くんの葬儀の日、この駅前の道を、H大学の漫研の皆さんと一緒に、えんえんと当時の木造の駅舎まで歩いたことを覚えています。1984年のことです。

 

 

 

 

 今年2月28日に亡くなった友泉(長谷川裕宣)のお墓にお参りに行ってきました。

 そして、妹さんと弟さんにお会いして、遺作となった原稿をお借りしてきました。なんとかこの原稿をみなさんに見てもらいたいと思っています。今のところ、Kindleの無料漫画を利用して公開するつもりです。

 

 

 もう一つ思い出を書いておきます。

 私は学生時代に「京都旅行会館」ビルの屋上ビアガーデンでアルバイトをしていました。場所は四条烏丸通りの西南の角、阪急電車への降り口の脇から、直接エレベータで上がれました。今はもうありません。

 

 ウェイター、ビール出しを時給400円、食事付きでやっていました。

 当時、京都では喫茶店のアルバイトの時給は420〜430円、ドカチン(土方、軽作業)は1日、3000〜3500円位

だったと記憶しています。

 

 交通費はバス代180円(90円×2)、私はそれも惜しくて自転車で通っていました。市内は北から南へは緩やかな下り坂で、行きは楽ですが、帰りはその逆で一生懸命こがなければなりません。 それに京都は盆地ですから、夏には突然の夕立に会ったりして、ズブ濡れになったこともありました。

 

 何より、ここを選んだ理由は夕飯代が浮くということでした。中学生や高校生の団体修学旅行客に利用されていたホテルみたいで、そのお流れのオカズが1品だけ付きます。ご飯は何杯でもOK。一斗缶から出された業務用の漬物が、いつもどっさり大皿に乗っていました。女子のアルバイトたちは、ふりかけなど持ってきていましたね。

 

 新人の頃はウェイターでしたが、やがて出世?してビール出しになりました。ウェイターはフラフラできて、陰でタバコを吸ったり、おしゃべりしたり出来たのですが、ビール出しはそばに

社員が一人付いていたので少し気を使います。別に時給も変わりないし... 良いのか、悪いのか....まあ、混雑する時は 面倒なチケットを切ったり、大量の料理を運んだりしなくても済んだのかな?

 

  このビアガーデンはアサヒビールを扱っていました。当時はまだ赤い日の出のマークのジョッキでした。月に1回か2回、丸い大きな人工衛星みたいなタンクを地下に降ろして、ビールの原液を補充します。それを屋上の冷蔵庫に保管して、ホースでサーバーまで引き、ガスと一緒にジョッキに注ぐという方式でした。

 仕事終わりに、ホースの中を水を通して掃除するのですが、押し出されてくるビールをみんなで分けてあって飲んでいました。やがてただの水になるのですが....ははは

 

  この古臭いアサヒビールのマークが、数年後にアサヒスーパードライとして大ヒットしたのには驚きましたね。