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鎌田洋次(漫画家)のブログ

作品紹介、草野球など諸々。

 この「しーん」、手塚治虫大先生が初めて使い始めたと言われますが、私もそのとおりだと思います。

マンガにおいて「静寂」を表すこの表現をよくぞ見つけてくださいました。まさに天才です。神様です。

 

 ところで、先日この「しーん」の語源ではないかと思われる漢字を発見しました。

私の個人的意見です。間違っているかもしれません。

 

 倉田百三の『出家とその弟子』の中に親鸞の臨終を前に、唯円や勝信(かえで)が集まる場面があります。

そこに『親鸞、唯円沈黙。勝信の泣き声のみ聞こえる。やがてその声もやみ、一座森(しん)とする』という文章があります。

 

 『森』という漢字を『しん』と読ませています。

 

 確かに深い森に入り込んだ時は音が吸い込まれるような、静寂に包まれる体験をしたことがあります。

『しーん』は『森』から来ているのではと、とっさに考えてしまいました。

 

 皆さんはどう、お思いでしよう?

 

 

 

 

 

 

 

'23夏の甲子園。

 前半戦、明らかに内野全体でイレギュラーバウンドが多かった。

特にホームベース近くで弾んだ打球が強く遠くへ飛んでいた。ワンバウンドで内野の頭を越すような打球もあったようだ。

 

後半戦、グランドキーパーの整備のためか、バウンドが落ち着いてきた。土を入れ替えたのかな?

 

それとも、近年、金属バットやボールの質が変わったのかな? ああ...気温のせいもあるか...

 井上ひさし氏の作品はつか・こうへい氏と同様、私の漫画の台詞回しの教科書です。『青葉繁れる』『吉里吉里人』『モッキンポット師の後始末』『四捨五入殺人事件』...などたくさん勉強になりました。

 

 今回は『父と暮らせば』(舞台劇)の戯曲を読んでみました。生でこの演劇を観たことはありません。数年前にNHKの BSで深夜に放送していたのを観ています。

 

 物語の舞台は『黒い雨』と同じく、原爆投下、そして敗戦から3年経った広島、比治山というところです。

 原爆から生き残った美津江は図書館に勤めながら、小さな家に一人住んでいる二十代半ばの女性。そこに原爆で亡くなった父、竹造が現れて二人で会話が始まる二人芝居です。

不思議なシチュエーションですが、彼女の話し相手として父が幽霊として現れます。 

 

 美津江は木下という青年(原爆の資料を集めている大学の助手)に

結婚を申し込まれますが、自分が被爆者であること、また原爆で亡くなっていった友達や父のことを思い、自分だけが幸せになってはいけないと心が揺れ動きます。

 父、竹造はこの恋の肯定派、尻込みする美津江をいつも応援する側です。広島弁のやりとりが、おかしく、また、刹那い。戯曲を読んでいるだけでも、笑え、涙が出てきます。

 

 また8月6日がやってきます。

 

 限定的核兵器使用などと言って、脅しをかける国の為政者には

この物語の人々の心情などわかるはずはないとは思いますが、せめて

その国にいる市民の誰かにはわかって欲しい。そして声を上げて欲しい。「一度使ってしまったら、取り返しのつかない苦悩と悲しみが続いていくんだ」と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 先日、「山椒魚」の件で井伏鱒二全集を図書館から借りたとき、昔からずっと気になっていた「黒い雨」を読んでみました。

 実は、私はこれを読むのを避けていました。何か、とんでもない物のフタを開けるようで、とても怖かったのです。

映画があるのも知っていますが、いまだにちゃんと観ていません。

 

 この作品は戦後20年もたってから、雑誌に発表されたものです。

 

 物語の場所は敗戦から三年経った広島の片田舎、

閑間(しずま)重松と妻のシゲ子は養女の矢須子が婚約を解消されたことに悩みます。

『原爆症の噂』が広まったことが破談になったと思った夫妻は、矢須子がこの病気にかかっていないことを証明するために、原爆投下前後の家族の行動を「日記として残す」とういうことを始めます。

 日記を書く記録文のような長編小説です。しかも、知人の行動や出来事なども挿入してきますから、時間経過も前後して複雑な内容です。

 

 この日記の中には原爆投下当日の被爆者の悲惨な描写が細部に渡って描かれます。読むことを避けていた理由はそれなのですが、実際読み始めると、なぜかそれほど怖くない... 淡々と原爆投下直後の広島の状況を書いた文字を、私は不思議な感じで追っていました。

 映像でシーンを見せつけられるより、自分の頭中でイメージを制御してしまうんでしようか?

 

 家をなくした重松、シゲ子、矢須子はやっとのことで辿り着いた、重松の会社の離れに厄介になります。

そして、食べて、寝て、すぐにいつもの生活が始まります。

原爆の閃光で焼き尽くされた、この世の地獄とも言われた街のすぐそばで、生き残った人々は、仕事があれば仕事に、行くところがあればそこへ、お弁当を持って、普通に出かけていきます。ただ打ちひしがれて座っているだけではありませんでした。

 

 やがて、矢須子の原爆症は夫妻の期待を裏切って進んでいきます。彼女は悲嘆に暮れますが、作者はドラマとして読者の心情を掻き乱すような作りにはしていません。あくまでも淡々と記録文が続くのです。

 

 私は映画のストーリーは少しは知っているつもりでした。

矢須子の変わり果てて行く姿に胸をつぶされるのかと覚悟していたのですが.....

しかし、読み終わって「えっ...これが原作なの?」...と

想像していた恐怖の世界とは 全く違ったものだったので、何か安心したような....それでいて「矢須子はその後どうなるんじゃ」という気持ちが残りました。

 

2は『父と暮せば』について....