慣れ親しんでいたこの場所で、いまや迷い子のような感覚に
囚われている。
病室のベッドに横たわって、いくつもいくつもの感覚や感情が溢れでて
記憶という日記帳に、いくつもいくつもそれらを記していった筈なのに
どのページにも、もはやそれらは具には見当たらない。
わたしの余命は、長くて今年の4月で終わりを告げるはずだった。
それでいいと、わたしの覚悟は決まっていた。
耐えがたい痛みと、薬害からくる、日々の朦朧とした感覚に
もぅ嫌気がさしていた。
やり残した事はあるけれど、悔いが残らないよう、それこそ
一生懸命に日々を生きてきた。
だから、カミサマが、
『お前の命はここ迄だ。』
と言うなら、それでいいと思っていた。
この痛みから、いっときでも早く逃れたい一心の
わたしがいた。
若い頃から、痛みは常にわたしの傍にいたけれど
なんとかやり過ごしてきた。
けれど、もはや疲れ果ててしまった自分がそこにいて
やり始めていた『こと』も、虚しくて、
手放すしかないと諦めて、
ただただ、この世から消え去りたいという感覚で一杯になっていた。
そのなかで、
まだ生き残りたいと願う唯一の理由は
家に残してきた20歳の老犬スパイクと
甲斐(かい)・ぼたん・リーフの三匹の猫たちの存在だった。
これまで、百を超える命を見送りながら
常に願ってきた事は
『カミサマ。最後の子供を見送るまでは、どうか
わたしの命は持って行かないでください。』
だったからだ。