炎天下の日曜日も、恒例の長距離ウォーキング。毎回、平均25キロを歩いています。
今回は、立山駅から称名滝、そして大きな標高差のある八郎坂を上り、立山の弥陀ケ原までのコースを計画しました。
毎週の長距離ウォーキングを始めて6回目ですが、気温やコンディションなどの影響や、道路の急な傾斜もあり、滝にたどり着くまでにかなりバテ、今回が一番キツく感じました。
木道ではなく、岩の階段が多い八郎坂は、材木坂よりも上りやすかったですが、徐々に体力を消耗。 休み休み上ると眼下の称名川がかなり小さく見えました。
何人かと擦れ違いましたが、急な坂を下りてくる高齢者の方が意外に多いことに驚きました。
第一滝見台で、お連れの方とはぐれ、不安そうに待っている60代の男性から、「この先、Aさんという方と、もし会ったら、Bが滝見台で待っていると伝えてほしい」と依頼されました。
その方の電話が圏外で使えない状況らしく、私は擦れ違う度に60代とおぼしき男性に声をかけました。
40分後、第二滝見台近くでついに探しているAさんに遭遇。少しほっとしました。
上り始めて二時間、ようやく山頂に到着。ベンチで登山靴を外そうとした瞬間、右ふくらはぎが痙攣し、激痛が走りました。
折しも一帯は靄がかかって視界不良。この先のコースを断念。
足を引きずりながら、必死に約700メートル先にある弘法のバス停へ。
何とか帰路につけました。
ジュリアン・シュナーベル監督の「潜水服は蝶の夢を見る」をミニシアターで鑑賞。
シュナーベル監督は、「バスキア」や「夜になる前に」でも一人の芸術家を取り上げ、アートで詩的な新表現主義の手腕を発揮して高い評価を受けた。
本作品では、飛ぶ鳥を落とす勢いの有名雑誌の編集長が主人公で、運転中、脳梗塞でかろうじて一命はとりとめた。しかし、全身麻痺で、言語を話すことができなくなり、聴覚と視野の狭い左目だけが頼みの綱。
不自由な身体を潜水服に例えながらも、さながら蝶のように自由なイマジネーションを飛翔させる夢のリアリティーの強度を見事に表現している。
瞼の動きだけで、アルファベットを指定して会話をしていく言語療法士との共同作業が、家族や恋人とのコミュニケーションを可能にしていく。
出版社の協力の中、気の遠くなるような忍耐強い作業により、やがて一冊の主人公の自伝が出来上がる。
観客のイマジネーションを触発させ、生きる意味を考えさせる芸術性の高い見事な作品である。
日頃、物が書けないと言って悩んでいるのは贅沢な話だと自戒した。
猛暑日ゆえ、スイーツを食べて、ちゃっかり自己解放。













