クルマと人の写真館-M3

★サーキットを制するM3軍団。先頭のMカラーはシュニッツアー

 後ろのほうにフォード・シエラがちょろっと見えます。


クルマに乗る人間にとって、BMWのクルマが他メーカーのクルマと

「なんとなく違う。」

ということに気づいたとしたら、幸いであり不幸である。


BMWがよく言っている「駆け抜ける悦び。」が単なる宣伝文句やこけおどし

でないことが感じとれる能力は、誰にでも備わっているわけではない。

あなたは選ばれた人間なのだ。


だが、

よくあるカタチと、わりと普通な動力性能に秘められた、

圧倒的な濃度の“哲学”に気づいた人たちの不幸は

次のクルマを買う時、露になる。

そう、極端に選択肢が少ないことに気づく。

「どのクルマにしようか」ではなく、「どのBMWにしようか」.。

もう、ほかの車に見向きもしなくなった自分をそこに感じるのである。



そして、そんな“ビーマーな人たち”に、BMWの歴史において、もっとも偉大な一台

を挙げろと聞いたとしたら、間違いなくトップにくるのが、初代M3であろう。


今、BMWが「スポーツのわかるプレミアムメーカー」として、デンと構えていられるのも

このM3が80年代に見せた粉骨砕身の努力の賜物なのである。


E30M3、デビューは1985年。時あたかもグループA規定のツーリングカーレースが

世界的に流行の兆しを見せており、M3は100%戦うために誕生した時代の申し子だった。

そして、他メーカーが大排気量やターボで武装する中、2.3リッターの自然吸気エンジンながら

世界のツーリングカーレースを総なめにしまくった。それもそのはず、M3に搭載されている

4気筒「S14」はそこらのエンジンとわけが違う、1000馬力を発生させるBMWF1エンジン直系の

サラブレッドだったのだ。

さらには、同じグループAだというんで、ラリーに出たこともある。87年のツール・ド・コルス

ではプロドライブ(スバルで有名ですね)からエントリーしたロスマンズ・カラーのM3が

狭い峠道を快走、王者ランチャ・デルタに大勝負を挑み、勝ってみせた。


そんなわけで、サーキットではフォード、ベンツ、そしてスカイライン。ラリーではランチャ、

VW、マツダを相手に八面六臂の大立ち回りを演じたM3。

その生産が終わるまで、哀れなほど生涯コンペティションに身を削った車だった。


クルマと人の写真館-R4

★ルノー・キャトル: 最新車両にまじって、道路でふんばるルノーキャトルは

 「ぼく、がんばってます!」といってるように見えませんか?


クルマは顔だと思う。

やたら売れた歴史に残るヒット車というのは、伝統的な共通点がある。

それは、フロントつまり顔部分が哺乳類系だということである。


人間が哺乳類に対してもつ【かわいい】って気持ちと、両生類や虫に対して

もつかわいいという気持ちは自ずとレベルがちがう。


ビートル、ミニ、チンク、2馬力、


そしてこのルノー・キャトル。

素朴で無垢な面構えは明らかに哺乳類。こういう顔だと見るものの思い入れは

それこそ、自分の子供を質に入れても守ってあげたいと思うくらいなのである。


哺乳類でなければこの感情は沸きようがない。


後ろのボルボはちょっと悪者っぽくみえてしまうあたり

実に人徳というか、車徳があるんである。




クルマと人の写真館-124


カブリオレ、ロードスター、ドロップヘッドとさまざま呼び名があるけれど、

スパイダーっていうのは、伝統的にイタリアのオープンカーにつく。

イタリア人はこういう80%の力で乗るようなオープンカーを作らせると天才的にうまい。

バルケッタ、アルファ・スパイダー、そしてこの124。

オンナが乗っても十分、様になる。

ディープなエンスー世界に住むイギリスのスプリジェットや、硬質な性能を唯一の尺度とする

ドイツのアウトバーン向けスポーツカーではこうはいかない。


一方で、この124はオープンカーにして、ラリーカーにもなった異色の存在。

70年代後半、「売れるマシンをラリーカーに」とフィアットが企業の論理を持ち出して、

最強唯一無二のラリーウェポン、ランチャ・ストラトスを一線から葬り去った時、その片棒を

かついた憎き存在が124だが、今見るとクラシックな雰囲気が、どうしようもなく

かっこいいじゃない。


許そう。