クルマと人の写真館-kekkon

結婚式に参加した黄色いビートル。

ハレの日のメインは白く輝くクラシックメルセデス。ビートルは脇で祝福。

ビートルのような歴史的人気クルマともなると、色占いみたいのがあって、

確か黄色のビートルを見ると幸せになるそうである。


それはいいとして、

ビートルというのは、常になんか言いたげな顔をしてるんで、だから

映画の主役とかになったりするんでしょうね。





クルマと人の写真館-タイプ2
★フォルクスワーゲンタイプ2

 平和だ。。


せっかくクルマに生まれたのに「おまえは店だ。」といわれた

クルマの気持ちは如何ばかりであろう。





それはあたかも、映画少年が念願の映画会社に就職して映画の仕事がやれると勇んだのに


「お前は、関連のレストラン部門へ行ってくれ。」


といわれるようなものではないか。

(なんだかわからんが、そういう友人がいたので、つい書いてしまった。)





つまり、フォルクスワーゲンタイプ2はそういうクルマである。

彼は走行性や居住性など車本来の性能を磨く同世代のクルマたちを脇で見ながら、

ひたすらに「店」としての性能を磨いた。




なんとも解せないくやしい気持ち。

サラリーマンなら同情せずにはいられない。あー




光陰矢の如し。


デビューから60年。

多くの似たような車が出ては消え、半世紀を越えた。



するとどうだ、今でも、この分野でフォルクスワーゲンタイプ2を上回る

クルマは一台も出てこないじゃないか。

ルノーのカングーとか、スズキ・キャリーとかダイハツ・ハイゼットとか、

あれはあれでいいクルマだと思うが、こと「店構え」ということに関しては

この60歳のおじいさんグルマのほうが完全に輝いて見えるのはなぜだろう。





唯一無二。タイプ2にこそ似合う言葉だ。




クルマと人の写真館-F40
★フェラーリF40

  一般の駐車場で、こんなにF40が揃うのを見るのは二度とないかもしれない。

  しかも中の一台はコンペティツィオーネだ。

  どういう人たちが乗っているのか・・・・。フェラーリな人たちの世界は奥深い。



1988年のF1グランプリといえば、セナ&プロストを擁するマクラーレン・ホンダが席巻しており、

常勝・無敵の快進撃を続けていた。

奇跡の一勝はゲルハルト・ベルガー操るフェラーリによってもたらされた。場所は奇しくも地元イタリアGP。

赤と黄色で埋め尽くされた大観衆の地鳴りにも似た歓声の中、ウィニングランを終え、フェラーリF188を降りた

ベルガーは「この勝利を、亡きエンツォに捧げる。」と言った。


フェラーリの創業者エンツォ・フェラーリが亡くなったのはその年の8月のことだった。


そして、エンツォ・フェラーリが最後に放った市販車が、このフェラーリF40である。

「レースにそのまま出れる往年のGTカーを現代に再現した。」歴史に残る車である。

性格は凶暴、パフォーマンスは圧倒的。

多くのインチキ車ジャーナリストがインプレッションと称して乗ってみたものの、どうにも

扱えず、痛い目をみることもしばしば。下手にアクセルを踏み込んで、いきなりのターボ

ブーストに後輪が滑り始めたらもう素人では手の施しようがない。谷底に落とした話も聞かれる。


フェラーリのオリジンともいえるコンセプトを現代に蘇らせることの無謀さは、開発を担当した

ベルガーのコメントにも現れている。

「この車は決して雨の日に乗ってはいけない。」

F40は、F1ドライバーをして、こう言わせる猛獣なのである。


こういった、逸話の数々をエンツォが天国から聞いていたとしたら

満足げに笑うのではないか。

(フェラーリが誰にでも扱える車になってたまるか。)

このレースきちがいの爺さんは、最後に高性能が持つ冷徹な現実を我々に突きつけて

旅立ったのかもしれない。


近年の高パフォーマンススポーツカーは、それこそF40の性能に比肩するようなものも数多くある。

もちろん、多くの電子デバイスや安全装置をつけて、一般人でも安心してその異次元の性能を

楽しめるように調教されたものばかりだ。

現代においては、

「うまい奴じゃなければ、速い車に乗ってはいけない。」

言われてみれば当たり前のことが忘れられている。


エンツォの遺作、F40のむき出しの高性能は、そういうクルマ乗りにとって忘れてはいけない

原始の鉄則、物理の法則を思い起こさせる、そういう名車なのである。