モータースポーツというやつは、スポーツという名前を擁しながら、
実に血なまぐさい歴史がある。
F1と呼ばれる、そのスポーツの頂に属するカテゴリーは、
いとも簡単に人の生命を奪ってきた。
ここに一人の男が登場する。
オーストリア人ニキ・ラウダ。
コンピュータとまで呼ばれた冷徹な走りで、3度の年間チャンピオンに輝き、後に
王者の遺伝子を若きチームメイト、アラン・プロストに引き継ぐことになるドライバー。
ラウダは低迷する70年代前半のフェラーリF1チームにルネッサンスをもたらし、その名を
轟かせた。彼がうまいだけのドライバーでないことはポールポジション24回の通算記録
が証明している。カミソリのように、切れ味するどい走りでフェラーリを表情台に導いた。
事故で燃料が入っていたサイドポンツーンが潰れ、そこから炎上。瞬く間に火に包まれたラウダの312T2。
レースを捨て、救出にあたるドライバーたちが映し出される。
ラウダは彼らのおかげであの世から戻ってこれた。彼の事故は世界チャンピオンの事故ということで
当時世間に衝撃を与えた。
この事故は確実にF1界を変えた。
それまでは「レースに事故はつきもの。たまには起きるし、何回かに一回は
死にいたることもある」という、半ばありうべき不幸のように思われてきた。
ラウダの考えは違った。
事実、彼は事故前にニュルブリクリンクの危険性を具体的に訴えていた。
彼はスピードに魅入られた天才でもなく、チームへの忠誠のために命を危険に
さらすことも受け入れたりしない男だった。
さらに彼は人一倍舌鋒鋭く抗議し、行動もできた。
死神にとって不幸だったのは、99%死の世界取り込みながら、一番面倒くさい
男を人の世へ戻してしまったことである。
生還したラウダの頭部から顔にかけてほとんどを溶かした火傷のあとは、何よりも
雄弁にF1レースが持っている危険性を訴え、本人がその傷を意に介さずさらすのを
見るにつけ、GPレースの主催者、フェラーリチームの首脳陣は身も凍る思いだったろう。
ニュルブリクリンクはその後F1レースから除外され、F1カーの安全基準は改善されはじめる。
また、ラウダは主催者、チームの都合に関わらず、ドライバーたちが危ないと
判断したレースはやらない権利があるということを、その後数度にわたって訴え、
実行していている。富士で行われた雨の日本GPではチャンピオンに手が届くレースを
その理由で放り投げ、エンツォの怒りを買った。
醜いケロイドをさらしながら彼が示したのはF1ドライバーの新しいカタチだった。
年々スピードが増し、危険度が上がるレースの中でラウダが示したプロ意識は
その後のドライバーに大きな影響を与え、多分多くのドライバーの生命を助けたと思う。
はるか後年になるが、89年、中島が4位入賞した豪雨のアデレードでプロストが主催者に
抗議して、レースを放り投げたことがあった。
グローブを叩きつけ「やってられるか、こんなこと!」と多分言ったであろう。
チャンピオン争いでプロストを追う、チームメイトのセナがレースに出て追突してるのと対照的で、
どうも当時の日本人にはプロストがとんでもない卑怯者に思えた人も多いと思うが、
ラウダの意志をやっぱりこの男は引き継いでいるなという思いを新たにした。
思いを新たにはしたが、セナと立場が逆でもやっぱり放り投げただろうか。










