””2 0 0 7 年を振り返る”” | 恵の演出メモ

恵の演出メモ

マグダレーナの情報源

 

5月。公演まで1月しかない。マグダレーナ、エルダーキャッツともにまだほとんど暗闇に呑み込まれて出口が見えない。出演者の都合でドタキャンがありその補充もしなければならない。大きな石が重圧となってのしかかってきた。
公演が迫ってくる。次々と難問が降りかかってくる。
じたばたしても仕方が無い。一つ一つ片付けながら行くしかない。ただ立ち止まるわけにはいかない。全てを同時進行しながら処理することにした。秋には岡山と観音寺の学校公演も控えている。
「沈黙のオモニ」はどうにか全ての詩を覚えてくれたので、表現に示唆を与え完成へと向かってゆく。メディアの慰安婦バッシングは更にエキサイトし、公演する意義を与えてくれたような状況へとなってきた。
「いもがさ恭安」は遅々として進まない。何度も何度も同じシーンを繰り返して稽古するが、翌日にはまた元へ戻ってしまう。それでも決してあきらめないし、稽古場は明るい。修羅をくぐってきた高齢者の図太さというか動じないところが頼もしい。最後は必ず決めてくれるそう信じてやってきたし、これからもそうだと思う。出来によっては今回は地元三豊市での再演も期待されている
6月。「沈黙のオモニ」は思った以上の出来となっていた。オモニに扮した衣装で語り、怒り、悲しむ様は朗読では表現できない塊となって胸に飛び込んできた。これでもまだ慰安婦の証言がウソだと言うのかと突きつけている、そんな舞台になっていた。誰もやらないことをマグダレーナはやるんだという意気込みがそこにあった。出演者は大変だったと思うがそれぞれが確実に何かを掴んだと思っている。
猛烈な暑さがやってきたが毎晩繰り返しての稽古の連続にエルダーの面々に深い疲れの色が見える。それでも必死に稽古をする高齢団員。大掛かりな舞台装置となったのでこれを作るのも大変な作業となったが、団長の小西さんの元に皆が一丸となってクリアしてゆく。三豊地区からも大勢の方が観劇に来るという。そのためにも恥ずかしい作品にならないようにと頑張ってもらう。
公演当日の昼の部はとうとう満席以上の観客が押しかけ払い戻しとなってしまう。アマチュアのしかも高齢者の劇団がこれほど支持されると誰が思っただろう。この劇団の立ち上げに尽力した亡き内海さんもきっと喜んでくれるに違いない。まさに彼らは香川の演劇の底辺を見事に拡大したのだ。それも都会ではなく四国、高松からの発信なのだ。ともすれば疎んじられる老人たちが地方の演劇文化を見事に咲かせた功績は永遠に語り継がれるに違いない。他所がやった後に続いたのではない、まさにオリジナルなのだ。
7月。とにかく暑い夏だった。だがマグダレーナの公演は続く。8月15日の演目は「アイラブ ピョンヤン」に決定した。今の時代、空恐ろしいタイトルだがインパクトはある。しかも在日北朝鮮家族が中心になって問題になっている様々な現象を取り上げていく。またもや「何故朝鮮問題ばかりやるのか?」答えは簡単だ。誰もやらないからだ。喉元に突きつけられている刃を何もしないでただひたすら逃げている国に提起したいからだ。汗みどろの稽古が続く。