落語の演技。 | 曲(まがり)と猫の日常

 

昨年もコンスタントに落語には行ってたんですが、独演会みたいなのだけじゃなく寄席にも行ったので、初めて聴く師匠もいっぱいいた。

で、ずっと考えてたことで一つ思ったことがあった。

 

つまり、落語と演技。

落語に演技は必要。でもどの程度、どういった演技が私にとって好ましいのか。

声の高低、仕草、感情の表し方。

会話の片方、もう片方で違う人物であることがわかる。それが男性か女性か、若いか老人か。

演じ分けられることは絶対必要。

それでも、俳優と落語家の演技は違うんじゃないかっていう気がずっとしてて。

 

で、たまたま、初めての師匠の噺を聞く機会があったんですよ。

その噺には「怒り」のシーンがあった。その演技は迫真ともいえるくらいだったんだけど、だからこそ、私はそれが怖いと思った。

噺の内容から、そこまでの恐怖は必要ない。その怖さは落語を楽しむうえで不要、むしろ邪魔になる。

結果、私は笑えなかった。

 

つまり、そういうことだと思うんですよ。

落語の演技は現実に近づきすぎちゃいけないんじゃないかっていう。

なんというか、マンガのような演技が落語に似合うんじゃないかっていう。

 

怖いのもね、暴力的なのじゃなくて、静かにしんしんと降る雪みたいな怪談の怖さはいいんですけどね。