湯谷山ダダ漏れ画報-冬の星空



湯谷山ダダ漏れ画報-書初め

呪詛はだれ 天に唾はく 空の穴

新年の一句である。

今年の書初めは「自業自得」

難しい言葉ではある。他人に使うのではなく、あくまで自分にである。それでも…お前らの所業も「自業自得」だと言いたくなる。自分の所業を棚に上げておいて…

道元禅師曰く

「追善のものは昇り、造悪のものは落ちる。他作自受、自作他受あることなし、自業自得なり」

常に自己における責任なのだ・・・

しかしながら、われは呪詛を思う。原因を調べ、犯人を捜す…

あいつの所為だ。いや、社会だ。時代だ。何かの所為にしたいと思う。

そう、すべて自分の所業とは思えない。百歩譲って、私だけが悪い訳ではないだろう。と思う。思っている…

「通常、人は自業自得を納得し、その結果を受け容れるだけの強さをもたないものだ」

阿満利麿『行動する仏教』

「凡夫の考えているような業は、業でもなんでもない。それは妄念妄想だ」

松塚豊茂『聞光録』

「罪悪も業報を感ずることあたわず」

『歎異抄』七

空の穴に・・・つまりは星たちが、俺の唾を吸い込んでくれないだろうか?!

「うわあ!汚ねぇー!!!。やっぱ落ちてきた?!」

(バカだな!すばやく避けるんだよ!)

若いうちはねーーー。それでもうまく避けれたんだけどねーーー・・・

避けれない?避けたい?受けるのだ?!

避けようとして避けれず

受けようとして受けれず

道徳的に動こうとすれば、行動ができなくなる。鈍る。でもそれは…単なる…躊躇だ。

道元禅師曰く

「反省するな。坐禅しろ!」

道全改め…業全…

「すべては業に違いない、それに間違いなかろう。しかし、「業とは思えぬ」というのがいつわらぬ私の姿ではなかろうか」

                   松塚豊茂『聞光録』



ああ、先達の眼差しとはおそろしいものだ。そして、その背景の眼差しを想う。南無。




湯谷山ダダ漏れ画報-しずかにメラメラ


『寺カレ』構想。


知り合いのお寺で、『世界の成り立ち』に関わるレクチャーを人生の兄貴から学んだ。

「世界を知る」ことは「自分を知る」ことに触れている。今まで自分が思いもよらなかった情報を浴びる。そこで自分自身に立ち返らされた。自分の立ち位置とは何だろう。

 それは・・・やはり自分自身が問題だろうと思った。自分自身の考えとは、思想とは、ライフスタイルとは、生き方とは、そして、自分自身そのものとは?


 それは・・・やはり、自分自身以外のものに触れてみなければわからない。ということ。そして、魂の問題もある。身体の健康も大事である。心の健康も、人間関係も、社会のこと、経済のこと、政治のことも・・・。それはその道の専門家に任せるのではなく、もちろん、きちんと聞いて、自分自身で考えていきたい。僕が、今一番したいこと。しようと思っていることは、自分の人生観、価値観を知るということ。自分の身体の習慣を知ること。考え方の習慣、心の習慣、無意識の習慣・・・それには、自分というもの柄とじっくりと向き合うということが必要だ。

それにはアレクサンダー・テクニークと坐禅の実習で身心の習慣と修練を学び。浄土真宗の聞法で魂の習慣を学ぶことだ。今はサボり気味…。来年から、このお寺で、『お寺カレッジ』、略して『寺カレ』を開催する。毎週一回の坐禅会と月一回、法友による法座を行いたい。『霊鷲山の集い』だと、ちょっとオコガマシイので、『寺カレ』()・・・

『心の習慣』(ロバート・N・ベラー)の読書会もしようと思う。この本は社会心理学関係の中で名著中の名著だと思う。一人で読むより、今、意識のある友人たちと議論しながら読みたい。自分自身の人生観を考えるには、自分以外の人の人生観と比較するとはっきりしてくると思うのだ。あまりに近かったり、知り合いの話から始めてしまうと、遠慮したり、批判しすぎたりしてしまうので・・・一つの指針としてのテキストがあったほうが建設的な議論がしやすい。最初から偉人伝とかは特殊なので、この本がイイと思う。多くの一般の人のインタビュ―で構成されている。人生、家族、社会、環境、セラピー、文化、政治、宗教、に対するひとりひとりの考えが系統だって載っているのだ。できれば、その読書会を通して、日本版『心の習慣』を完成させるという野望がある。

コミュニティデザイン関係の本では、『ローカリズム原論』(内山節)。山や谷を巡り、ワークショップをしながら、地域の人々とのつながりを模索したい。

そして、ホームページを作ること。新聞を作ること。文通すること。友人に手伝ってもらいながら()

以上、来年度に対する想いだ。

しかし、さしあたりはこの年末を乗り越える事だったりする・・・
湯谷山ダダ漏れ画報

リンコさんへ


        「罰当たりは生きている」

                                             岡本潤

 あなたは一人息子を(えらい人)にならせたかった。
 (えらい人)にならせるには、学問をさせなければならなかった
 学問をさせるには金の要る世の中で
 肉体よりほかに売るものもないあなたは何をうらねばならなかったか
 だのにその子は不良で学校を嫌った
 命令と服従の関係がわからなかった
 先生の有難味というものがわからなかった
 強いられることには何でも背を向けた
 学校へは上級生と喧嘩をしに行くのであった
 一から十まであなたに逆らう手のつけられない(罰当たり)だった
 その子はあなたを殴りさえした
 --その時その子が物かげで泣いていたことをあなたは知っていますか
 それでもあなたはその因果な罰あたりを天地に代えて愛さずにはいられなかった
  
 学校を追われた不良児は当然社会の不良になった
 社会の不良は(えらい人)が何より嫌いでそいつらに果たし状をつきつけた
 (善良な社会の風習に断固として反抗した)
 その罰あたりがここに生きている
 正義とは何かを掴んで自分を曲げずに生き抜こうとする反逆者の仲間に加 わって
 警察へひっぱられたり あっちこち渡り歩いたり
 飢えて死んでも負けるかといって生きとおしている

 おかあさん
 あなたが死んで十年
 だがあなたの腹から出てあなたを蹴った罰当たりの一人息子は
 この世に頑然と生きております