湯谷山ダダ漏れ画報

ああぁぁぁ~、、、

も、も、、も、、、漏れるぅぅぅ~。

早く、早く、早く!!!

何でこんなところで渋滞なんだ!!!

はーやーくー、、、信号変われぇぇぇ~。(と思いを募らせても信号は普段と同じ…トホホ)

「おいっ!前の車!何ノロノロ走ってんだよ!」

「あああ!!!自転車のババア!!!邪魔だ邪魔だ!!!」

ああああああああああああああああああああああ!!!やばやばやばい

やばいよやばいよ出川だよ!!ああああ

何処停める!?ここは田舎の一本道だ!!!

あああああもうダメもうダメもうだめだーーーー!!!

「キーキぃ!!!」

ブレーキを踏んだ。

あああ、前から自転車に乗った女子高生が!!!

ああああダメだ。まだ羞恥心が!!

また走り出した。

よしここなら!

あああ!!!ここは工事の入り口だ!!!

おばさんたちが出てきた!!

あああ、道間違えた!!!

ああああああああああ。

ああああああああああああ、、、、

「あの土手でしよう!!」

あっつ!!!公衆トイレ発見!!!

やった!!!もう少しだ!!!

と、その時!!!

歴史が!!!

スズキのアルトが!!!急に飛び出してきた!!!

アブない!!

急ブレーキ!!!

間一髪!セーフ!!

メガネ美人のマダムが会釈した。

あああ~危なかった、よかった…

じょぉぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

覚醒解放。

あああああああああああああああああああああ!!!

半分ぐらいでた?!

残りの半分を公衆トイレでした。そうして、情けなくもズボンとパンツを手洗い所で洗った・・・

あああ、どうしてあの時、ちょっと尿意を催したとき!

トイレに行かなかったのか!

あああ、、、それでも!!!

Hライダー家に着いて、何だか笑いが込み上げてきた。

「どうぜんさん!!!うん○じゃなくってよかったですね!」

あああ、そうだ!!!

それに事故を起こさなくってよかった!!

そう、そうだ!おれはお漏らしを選択したのだ。選択できたのだ!

クッションを干し、ズボンとパンツを洗濯した。

何だか新しい自分になれた気がした!!wwww

ある人が、ある人の突然死に対して「あれは自業自得だよ」と言っていました。私は言い返すことはできませんでしたが、なんだかモヤモヤしたものが胸に残りました。私たちが一般的な意味として使う「自業自得」や『因果の道理、歴然としてわたくしなし』

「業」とは、「行為」ということに通常、訳されています。身で行う(身業)・口で言う(口業(くごう))・心で思う(意業)行為を仏教では「三業(さんごう)」と言います。三業の行為によって受ける報いを「業報」と言います。因果とは「業因と果報」のことです。昔は、頑固な爺さんのことを「因業ジジイ」などと呼びましたが、「頑固で無情、むごいこと」を表した言葉でもあります。「善因楽果」「悪因苦果」は因果の道理です。人に悪口を言えば、悪口が返ってきます。仏法の参学では第一に因果を明らかにすべきことであると道元禅師も説いておられます。そして

「今の世に因果を知らず業報(ごっぽう)を明らめず、三世を知らず、善悪を(わきま)えざる邪見の党侶(ともがら)には群すべからず」(『修証義』)

と、さらに言っています。三世とは、通常「過去・現在・未来」を考えますが、「前世・現世・来世」をも因果の道理は貫いているのです。道元禅師は正法眼蔵「三時業」の巻で詳しく説いています。業報は現世で受けるもの、次生で受けるもの、いつ受けるかわからないものがあるが、必ず受けなければならない。善悪業の報いは永劫に消滅することがないのです。時間と空間における業感はさらに参究し尽くされねばならないでしょう。

「己に随い行くは只是れ善悪業等のみなり」(『修証義』)

ところで業の思想には「共業(ぐうごう)」「不共業」とがあります。簡単に言えば「共業」は共に作り、共に受ける業。「不共業」は自分で作り、自分で受ける業です。これは「社会の業」と「個人の業」と言ってもよいと思います。そしてそれは単純に分けられないものです。「自作自受」「他作他受」「自作他受」「他作自受」「共作共受」「共作自受」「共作他受」など、複雑に絡んでいます。何が因で、何が果であるのか。無量劫(むりょうごう)(しい)惟によっても尋ねることはできないのです。「過去の因を知らんと欲せば、現在の果を見よ」(『心地観経』)

今、私たちは他作自受しなければならない面を目の当たりにしているではありませんか。その影響が半永久的に続くといわれている福島の原子力発電所の事故は、人類の業ではないでしょうか。人間が自ら作り出したものによって自ら報復されている。さらに、業とは目に見える行為だけではありません。人間が原子力なり機械を作ろうとする意志や衝動はどこから来るのか?

「それも『人間が自ら作り出した』ものであろうか。もしそうだとしたらその意志なり衝動なりは人間全体がこれを押し止めたり制御したりすることもできるはずである」

(大河内了義)

しかし、実際、人間の作った科学技術は科学技術を制御することができなかった。この矛盾をどう受け止めるか。その議論もせずに、またしても科学技術(原発再開や災害防止技術の向上など)に頼ろうとする我々人類。科学技術は

「人間や人間の作る道具や機械ではいかんともしがたい、超越的性格を有するものであ

り、人間に語りかけ働きかけて人間を支配するもの」(竹市明弘)

科学技術的思考そのものも「業」なのではないでしょうか。ではその「業」とは何によって何処から生じるのか。それは「無明」より生じる。「無明」とは「明智のない自己存在の原態である」(玉城康四郎)。つまり、「自己(業)に暗い」ということです。

「それは単に『知らないこと』をあらわすだけではなく、人間の行為(業)的存在とい面に関係づけて言えば、『知っていても止められない』ということへの自覚から生まれた言葉であろう」(大河内)

「私たちはただ知っているというだけではない。知っていることに執着している。知のすみずみまで我執が貫いている」(松塚豊茂)

「凡夫は業を業と知る智慧がない。いよいよとなれば、わが身の罪に気づかずに世を怨み人を呪うよりほかを知らない」

「業とは何かをせずにはおれぬ、何かに駆りたてられる、じっとしておれないというところに現れる。何かをせねば生きていけない、生きるとは何かをすることである。何かをしながら、同時にまたせねばならない新しい何かを生み出している。たとえば借金を返しながら、新しい借金をかかえこんでいるようなものである」

坐禅とは業の借金返しの姿かもしれない。

「過ぎ去った

親鸞聖人は業の借金を「宿業」と呼んでいる。これを解説するのには、まだまだ浅学のため現代語訳を載せておきます。どうか道元禅師の『深信因果』と共に身読し「不昧(ぶまい)因果」について拈提(ねんてい)(工夫参究)していただきたい。

よきこころのおこるも、宿善のもよおすゆえなり。

悪事のおもわれせらるるも、悪業のはからうゆえなり。

故聖人のおおせには、「卯毛羊毛(うもうようもう)のさきにいるちりばかりもつくるつみの、宿業にあらずということなしとしるべし」とそうらいき。

「私たちの善いこころが起こるのも、宿善(かつってなした善き行いのたね)によって、もたらされたことです。また、悪しき事の思われるのも、悪業(悪しき行い)の計らいによるのです。

 今は亡き親鸞聖人のおおせには、

「うさぎの毛、ひつじの毛の先にとまった、ちりほどの僅かな罪でも、宿業(かってなした行いによって、現在が左右の有り様が左右されること)でないものは無いと知るべきです」とあります

「「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」」

結果(今)に安住することができない。そして「安住したい」という思いがさらに安住を遠ざける。思い切れ!「今・今・今・・・・・」

今今今と 今という間に 今ぞ過ぎ行く


「因果応報」という言葉は、「自分でしたことは必ず自分に返ってくる」ということだと思います。何人もこの言葉を他の人びとに言うことができるのでしょうか。例えば、生まれながらに病気を持っている人、この度の災害に遭われた人々に対して言えるでしょうか。誰も言うことができないと思います。業とは自分自身が、私自身が担っているものなのですから。

ああ、、、真夜中、俺の胃腸が火を噴いた。その激痛で目覚めた。そうしてその痛みに抵抗し、我慢した。それで背中が攣りそうになった。レッグウォーマーが冷や汗でぐっしょりになった。ああ、、、今までしてきた悪業煩悩が、積み重ねてきた不摂生が、大きなツケとしてやって来た?!朝方には、なんとか平静状態が続いたが、朝一番で病院に行き、胃カメラを飲んだ。なんなんだ!この異物感は?!なんなんだ!そのやさしくない対応は!くっそー!と抵抗して無駄なエネルギーを使い果たす!ベットに身を預け、とりあえず埋められた空間よりも外側の空間を思って、少し楽になる。「ああーーこりゃ潰瘍だなあ」独り言のような、無機質な老院長の声が、無機質な空間にコダマした。胃カメラを抜く時がまた大格闘だった。ゲボゲボしながら、涙流しながら足掻いている俺を尻目にまるでホースを収納するように引っ張ってゆく。ティッシュを数枚手渡しながら、看護婦さんが「これで口を押えて」すばやく「ゆっくりと起きてさっきの控室で待っていてください」とさっさと言い放った。ああ、、ああ、、巨大な機械ミミズに鼻から貫かれた俺の身体と心に隙間風が虚しく通っていた。俺は物じゃない。人間だ!?さっきの映像を見せられ「胃壁がけっこう荒れてるねえー。これは大分昔の古傷だね。その周りが引きつっちゃってて。ほら、ここに窪みができてるでしょ?これが潰瘍。」「しばらくは薬を飲みつづけるんだね」さっき俺にした、えげつない行為に対する反省の声は一言もない。なんなんだ!?「神経質な性格なの?」こ、こいつ!?調子に乗りやがって!?ああ、受け入れるってことは難しいなあ。とくに男は、生物学的にそういう作りなのだな。とか、うわの空で思った。「しばらくは刺激物、辛い物、アルコールやたばこは控えて。」ああ、そうかあ、その縛りですね。そう、これはプレイなのだ!?

ああ、ビールが飲みたい・・・。さっきTVからビールのCMが流れていた。ああ、ビールのCM地球上から全部無くなれ!!www

胃腸に気づかいながらの生活。胃腸という華奢な俺に、気を使う俺、ビール飲みたい俺に、仲裁する俺が絡む。結局、俺だらけのパーティーが連夜つづく?!煩悩は今日も快調だああああ・・・・・

病院からもらった荒れた胃腸と十二指腸にある潰瘍の写真を見つめた。可哀想な俺の胃腸を想った。なんだかすまない。もっと早く言ってくれれば、水臭い?!。いや、胃腸はただ働き続けていたのだ。ずっとずっと・・・

ともかく過去の己の所業の結果が今顕れている。大切にせねばなるまいなと思う。これからは…胃腸との新たなる同棲生活が始まる…なむ。