「仏さんって何?」

「仏さんって何処に?」

「ほっとけないよお!!」


☆ここ長源寺を会場にしての法話(浄土真宗本願寺派の先生をお招きして)があります。


日時 : 6月1日(土) 13:30~(17:00)

    2日(日) 9:00~(12:00)

              13:30~(15:30)

場所  長源寺

参加費  : 1法座 500円


*仏法を聞いて、語り、聞きあい、ともに自分自身を深めてみましょう!


2日目のお昼は精進カレーです。(500円)。

参加されたい方は長源寺までご連絡ください。


掛川市倉真5398 長源寺 

電話 0537-28-0107まで





尊敬する二人の法友と『仏典を味読する会(仮称)』を始める。


とても刺激的であり、楽しみである。


様々な出会いがあるだろう。

人と人。禅と念仏。仏と仏。

凡夫と凡夫。


もしかしたら別れも。


三人でひそやかに『歎異抄』をちびちびと聞きあい語りあいたいと思っていたけど。


禅の方からの参加者が来たいという。今回は無理かもしれないが。


それもまたまた刺激的ではある。


今月26日、夜7時より

牧之原静波の釣学院さんの「微笑庵」にて

終わって、いや、引き続き酔談予定


毎月、第四金曜日に開催予定。しばらくは『歎異抄』


☆副住職である、行基さんの予定にて、開催場所は、釣学院から掛川の長源寺に変更することもあります。


「わがこころのよくて、ころさぬにはあらず。また害せじとおもうとも、百人千人をころすこともあるべし」(第十三条)





湯谷山ダダ漏れ画報

お彼岸参りで、ある檀家さんから突然、「おっさん!今日の静岡新聞見た?」と言われた。

「家は新聞取ってないんで…」「あっ、そう!じゃあ持ってくるね」と檀那さんが持ってきたのは新聞の折り込みに挟まれていた「人生のエンディングを考える」という記事の彼岸特集でした。(ああ、坊さんの哀しい性で、死亡欄にお寺関係の知り合いでも載っているのかと勘違いした…言わなくてよかった…)

 「ああ、最近流行りだしている『終活』のことですね」「そうそう、おっさんも勉強したらほうがいいよ。まだ三十代の一級葬祭プランナーなんだかは、なかなかよく考えている」(「むむ!葬儀業者の策略にハマりおってwww」「見て見ろ!この葬儀業者から石塔業者、霊園の広告…あれ?お寺さんもある?!)

「そう、確かにエンディングノートを檀家さんに配っているお寺さんもありますよね~」

「そうだな~やっぱ生きてるうちに、家族で話さんといけんわな~」

(「いや~何と言うのかな~。自分の葬儀の様式?!どう自分が送られたいか?自分の死への準備?!と、いうよりも、自分の葬式への準備のような気がする。そして自分の葬式をプロデュースしたいという強い欲望?が感じられる。それは、やっぱり自分の死をコントロールしたいという欲求なんだろうなと思うのです。ですから、なんか死というものを近くに感じているようで、遠くに見ているというか。死というものは準備できないものなんじゃないかと思うのです。それに、あのデコレイティブな感じが僕好みじゃないっす。」(心の声)

「そうですね。ですから法事の席で、家族や親せきが集まった時に、話をしてらいいですよ」

「そうそう、親父が死んだとき、誰を呼んでいいのかまったく分からなかったからなー。後で何で呼んでくれなかったんだ!と言われたもんな~」

(「そんなことじゃなくて、自分の死ですよ。本当の葬式とは、生きているうちに済ますものなんですよ。白隠さんは言ってます。『死ぬがいやなら、一度死ね。一度死んだら、二度死なん!』『座布団上で死んで来い!』」)

「エンディングノート作りますかね?」

「おっさんも?」

「遺影撮影会行きますか?」

「・・・・・」

(「情けねえ~仏陀が泣いている~おおうおおう!!」)