忘れない あの日 | まえぽん帝国

まえぽん帝国

社会人アーティスト“まえぽん”の
華麗にて波乱なる日々のドラマでございます〜!

スマートフォンの中の写真を整理していてハッと思った、

2017年9月12日
それまでの私にとっては普通のなんて事ない日の1つだった。
その日に撮られていたのは
リハビリテーション病院に母を見舞った時に
他のフロアに入院していた患者が非常ベルを押してしまい病院内が大騒ぎになった様子だった。
母と2人でジュースの自動販売機のある廊下で
たわいもない話をしていた時、何かの拍子にすぐ側にあったサッシ窓に
ガチャリ!
とロックがかかった。
〝あれ、なんだろうねぇ〟と話していると
〝火事です 火事です〟と言うアナウンス
同じフロアに煙も上がっていなかったので
大した事では無いだろうと思いながらもナースステーションの方に目をやると、看護師さんが〝確認してきますからお部屋に戻っていてくださいね〟と
鳴り止まない非常ベルと異様な雰囲気
遠くの方から消防車がやって来る音まで聞こえ始めて病院内が物々しい雰囲気に包まれていたっけ。

ほどなくして非常ボタンを押したのが
入院患者のちょっとしたいたずらだった事がわかり、母や同室の人たちと〝たいしたことがなくてよかったわね〟などど笑い合って帰路についたあの日…

それが
一昨年の9月12日

この日付が1年後に
私にとって生涯忘れられない日になるとは
その時は思いもしなかった。

1年後の2018年
9月12日
肺炎を引き起こしてしまった母の
臨終の前日

たくさん苦しめてしまった
あの時の記憶が、いまだに脳裏から離れない。
肺炎にかかる兆候があるのを知っていたと平気で話す主治医に対して、憤りを通り越し
不信感を突き抜けて深い悲しみに変わった。

側で苦しんでいる母に何一つしてあげられない。
けどここで
母の前で私が泣くわけにはいかない
私にできたのは
感謝の言葉を伝えることと
歌うことができただけ

あの晩本当は
母のそばを離れたくなかった。
私がわかっているだけでも
母はすでに3回は死んでいる。
だけど今回だけは
きっと父が母を連れて行ってしまう…
そう思っていたから
ずっとそばにいたかった。

でも
母を安心させるのは、私がここにいる事ではなく
遺される者達が、母の意思を継いで生きて行くことをしっかりと確認することなんだと
それができる役目は私しかいないのだと
よくわかっていたから兄のところに向かった。

みんなの気持ちが1つになったから
〝心配しないで
もうがんばらなくていいから〟と
心から母に言葉をかけることができた。

私が娘として
生きている母に対して最後にできる親孝行は
もうこれしかない。

最期が近づいたとき
母の耳はしっかりと聞こえていたと思う。
〝もう大丈夫だから
がんばらなくていいから
一緒に竹の塚に帰ろう〟
そう伝えたとき
母の目に光ったのは
〝わかったよ〟と言うサインだったんだ。

誰が見ていなくても
私は絶対に、一生忘れない。

人生は
何が起こるかわからない。
来年があると言う保証もないから
今できること
今日できること
目の前にあることを
おろそかにしてはいけない
手を抜いてはいけないんだ。

〝私はね
人生に悔いはないんだよ〟

母はそんなふうに言っていた。
あんな風に潔く逝けるか、
生ききれるかはわからないけれど、
母をお手本にしていこうと思います。