夢見る親不孝娘 | まえぽん帝国

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社会人アーティスト“まえぽん”の
華麗にて波乱なる日々のドラマでございます〜!

新カテゴリーです♬

私が作った歌の事を書こうと思います。

もう20年以上も前のこと
実家のすぐ側に一人暮らしをしていました。
その頃の私は
ようやく転職出来たデザイン事務所で細々と絵を描きながらも
地味な音楽活動を続けていました。
私の人生の中で
もっともクリエイティブな毎日だったと思います。

無名で未経験で
実績も無いけど挫折も無いキラキラとした日々でした。
それは、学生だった時以上に刺激的な毎日でした。

そこにあった理想と現実に揉まれながら
今日の土台を築いて来られた気がします。

3日と空けずにスナックに通っていた父は
自分がカラオケするというよりは
何かにつけて私を店迄呼び出して唄わせるような人でした。

現在音楽ボランンティアで演らせて頂いている曲の殆どは
そのスナックで十八番だったものです。
私の歌をこの世で最初に認めてくれたのは
父だったのかもしれません。

そして月日は流れまくります。。。

小さい頃から歌が好きだった私は
ある方の一言がきっかけでボイストレーニングを受けようと
決意しました。

それまでは
楽しく唄えれば良い、上手くなりたいという気持ちだけでしたが
レッスンを進めて行くうちに
オリジナル曲が一番自分らしい歌が唄える
と、思う様になりました。

私の初代ボイトレの先生である田中直人さんとのレッスン中に
私の人生を変える様な素敵な作品が生まれました。
それが
夢見る親不孝娘」という歌です。

コンビニの袋下げて帰る
いつものエレベーターで
知らないおじさんが降りる時
ちょっと早いけど
「おやすみなさい」と言った…


そんな、何気ない日常からはじまるこの歌は
夢を追いかけながらも、静かに温かく見守ってくれる周囲
両親に対して素直になれない…でも正直な感謝の気持ちが
溢れ出る様な思いを唄っています。

あの頃は
あんなに近くに居たのに「ありがとう」も言えなかった。
今思うと、胸がきゅーんと痛みます。

夕ご飯が出来る頃だね 家路を急ぐ人達
灯りのついた窓からは出来立てスープの
おいしそうな薫り…

あの頃住んでいた竹の塚スカイタウンのエレベータホールや
廊下に漂う夕食の薫りや水道の音…
14階から見下ろした風景が浮かんできます。

父さん もう帰っているかな
母さん 無理してないかな
電話もロクにかけないくせに
こんな時だけ気がかりな親不孝者…


後になって
あれが幸せだったんだと気付く事があります。
当たり前だと思った事が
本当はいちばんささやかな幸せなのかもしれません。

この前 アメ横で見つけた
柚子(ゆず)の香りのかりんとう
父さんに送ってあげたいけど
糖尿に悪いから
やっぱり 自分で食べよう

父さん まだ怒ってるかな
母さん 心配かけてこめんね
面と向かって素直に言えない
夢ばかり追いかけてる親不孝者…


ある時
父が体調を崩してしまいました。

父の病の正体が解った時
私たちは覚悟を決めなければなりませんでした。

父と会えなくなる日が近づいている
その事実を、受け入れるのに
私は随分時間がかかりました。

こころの折り合いがつかない。
受け入れたく無い。
そう思いながらも
せめて、この歌を創りあげて
父に聴いてもらいたい…と思いました。

父の病気は日に日に悪化し
私は仕事にも出ないで
病院に付き添うようになりました。
夜は兄が泊まりがけで着いていました。

ボイストレーニングもお休みしていましたが
ある日、スクールからCD-Rが速達で届きました。
「お父さんに聴かせてあげてください」という
田中先生からの伝言と共に
「夢見る親不孝娘」のオケを送って下さいました。

水の冷たさが 身にしみるね
やっと炊けたごはんの湯気に
二人の顔が だぶってにじむ
天井見上げてぽつり
「おやすみなさい」と言った…


ある夕暮れ時…
比較的父の体調の良さそうだったその時に
私は父の個室でひとり
ちいさなちいさなコンサートを開きました。

たったひとりのその人に
歌を届けるために…

父に贈る
最初で最後のワンマンライブ…

父さん… 母さん…
父さん… 母さん…
もう帰ってるかな…
無理してないかな…
まだ怒っているかな…
心配かけてごめんね…

父さん… 母さん…
父さん… 母さん…

父さん…


聴き終えた父は
しばらく遠くに視線を落としているようでした。
そして
「良い歌だったな」と
目の縁をこするようにしてから
笑顔を見せてくれたのでした。

それから2週間後
父は霊山へと旅立ちました。

私は父への手紙を書く代わりに
「夢見る親不孝娘」の歌詞を色紙に書いて
棺に納めました。

初めて世に送り出したCDのスペシャルサンクスに
父の名前を入れましたが、
この歌がいつかCDになる時も、必ず
父には出て来てもらおうと思います。
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