Book99.栄光の輝き | Cap as Cap Can!! 俺は帽子とだってプロレスできるぜ日記
前回、ご紹介した新間さんのトークショーで印象に残ったお話をもう一つ。

「日本で1番高い山は富士山ですね。ではみなさん、日本で2番目に高い山をご存知ですか?それは長野にある北岳という山です。誰も知りませんよね。そうなんです。2番目の存在っていうのは、そういう存在なんですよ。
かつて、日本のプロレス界においてのNo.1はジャイアント馬場であり、世界No.1のベルトはNWAだった。アントニオ猪木も、NWFも1番じゃなかった。
これではいけない。1番にならないと何の意味もない。
そういう思いで創り上げたのが、IWGPだったんですよ。
ところがこの間、久しぶりにTVで新日本を見たら、IWGPタッグ?IWGPジュニア?
なんだそれは!?
そんなことのために、私も、猪木もIWGPを立ち上げたんじゃない!
猪木を日本一に、世界一にするための権威、それがIWGPなんですよ。
それなのに、誰が考えたのか今ではジュニアやタッグまで。。。
私を辞めさせながら、どうしてIWGPを残したのか?
私を追放したなら、IWGPも一緒に封印すればよかったじゃないか。
悔しくて、悔しくて仕方がない・・・」



栄光の輝き

NWAをはじめとするメジャーなベルト30本が、なんと実物大で紹介された豪華な写真集です。

新間さんが言うその時代とは、猪木が「俺こそ実力日本一」といくら声高に叫ぼうと、NWA世界ヘビー級チャンピオンは全日本プロレスにしかやって来ず、馬場や鶴田たちが挑戦する姿に、猪木信者たちが地団駄を踏んだ時代でありました。

口では「レイスや、ローデスが巻いているNWAなんて、世界最強のタイトルじゃないよ」と言いながら、実は羨ましくて、羨ましくて仕方がない時代だったのです。

その時、新日本プロレスから発表されたIWGP構想。

本当の世界一を決める大会。

猪木が遂に世界一を名乗ることになるであろう大会。

この計画が発表された時の興奮は、今でも思い出すと胸が熱くなります。

しかし、その後、ハンセン、シンの相次ぐ全日本移籍、ボックの負傷欠場。。。

新日ファンの目から見ても、とても世界最強決定戦には見えない大会に変わっていったのでした。

もし、新間寿氏があのまま新日本プロレスに残っていたならば、果たしてIWGPはどんな運命を辿っていたのでしょうか。

栄光の輝き 実物大プロレス・チャンピオンベルト(ベースボールマガジン社 1983.1)