「 諦める 」の本当の意味 | 哲人クニちゃんのブログ

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有為の奥山 今日越えて

浅き夢見じ 酔ひもせず


あさきゆめみしゑひもせす

暖かい日が多くなってきました。
もう初夏のような感じです。

ゴールデンウィークというイベントも終わり、
穏やかに次の流れが始まりだした感じがします。

二十四節気は「 立夏 」
( 今年の立夏は5月5日(日曜日)から5月19日(日曜日) )

立夏とは、光、風、自然のものが色を濃くし始め、
夏の気配を感じさせる季節になります。

優しかった日差しもだんだん強くなり、
緑も濃くなっていきます。

きょうは
『 開運への招待状 』というメルマガの
5月 8日 ( 水曜日 ) の記事の紹介です。

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こちら ⇒ 『 開運への招待状 』
 

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「 諦める 」の本当の意味

現代社会では、私たちは
「 あきらめる 」という言葉を聞いた時、
普通は「 断念する 」
「 仕方がないと悪い状況を受け入れる 」
という意味で使っています。

たとえば、物を失くしたときに、
いくら探しても出てこなければ、
「 もう諦めるしかない 」と思ったり、
願い事がいつまでも叶わないので諦めたり、
十分な勉強をしていないので
「 明日の試験は諦める 」と観念したりします。

しかし、本来の意味はそれとは全然違います。

もともとは仏教用語の「 諦観 」
( たいかん / ていかん ) 
という言葉から来ているもので、
これは「明らかに観る」という意味なのです。

わかりやすく言えば、
「 物事の真理を知ること 」と言えます。

スピリチュアルの視点からは、
「 自分の運命を悟り、現実を認めること 」
とも言えるでしょう。

自分の目の前の事実は、
自分の運命にしたがった
流れの中で起きていることであり、
それを肯定することが
今世の自分の人生の幸せにつながります。

受験で志望校に合格できずに、
やむを得ず別の学校に入学したときは、
「 受験で自分を不合格にした学校が
自分にとって悪い学校ではなく、
自分を入学させてくれた学校が
自分にとって良い学校なのです 」と、
斎藤 一人さんが言っていましたが、
まさにこのことです。

「 残念だけど受け入れる 」のではなく、
心を切り替えて
「 自分にとって良い道に進んだのだ 」と自覚すれば、
その後の自分の流れは確実に良くなっていきます。

もう1つ仏教的に言えば、
「 願望に執着しない 」
ということになります。

ですから、
「 諦めが早い 」というのは、
実は素晴らしい能力なのです。


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「 諦 」というのは
「 サッティヤ、サティヤ、サッチャ 」など、
「 真実 」を意味する
サンスクリット語からの漢訳語です。

したがって、仏教では
「 諦める 」は
「 あきらかにみる 」
「 明らかに真実を観る 」
ということになります。

それはつまり、もののありようを、
何の偏見や前提や思いこみなどを交えず、
ありのままに見る・知るということです。

これは、生活する上で
大切なことだろうと思います。
まず、今の状況をありのままに見極め、
受け入れるところから、
その先への一歩が
踏み出せてゆけるのではないでしょうか。

おまけの画像は庭の花
5月 6日 ( 月曜日 ) と
5 月 9日 ( 木曜日 ) に撮影

 

濃いピンク色のシャクヤク

 

 


 

 

 

 

庭のあちこちで咲いています

 

 




 

 

おまけの動画は
浅い眠り・中島 みゆき


YOUTUBE ⇒ こちら
 

 

 

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