裏を理解力で観る | 哲人クニちゃんのブログ

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我が世たれぞ 常ならむ

有為の奥山 今日越えて

浅き夢見じ 酔ひもせず


あさきゆめみしゑひもせす

先日、4月 29日 ( 月曜日 ) は
「 昭和の日 」でしたが
昭和の時代も遠くなったなと
思うことがあります。
昭和は64年までで、
1週間で終わりましたが

昭和64年 ( 1月1日 - 1月7日 )
平成元年 ( 1月8日 - 12月31日 )

もしも昭和が続いていたら 
今は何年かなと調べてみたら
2024年の今は
昭和99年だそうです、
( 昭和元年は1926年 12月 25日から )
来年2025年は昭和100年、
時の流れを感じます。

きょうの記事は
あるウェブページに載っている
記事の紹介です。 

「 このメッセージは、
準備のできた人に届くよう
プログラムされてあります。 」 

と記されているので
ウェブサイト全体は
今は示さないでおきます。


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裏を理解力で観る

 



表の見える物を見ている時は、
その裏の見えないモノ
「 無色 」も見ているのです。

音楽を聴いている時は、
その裏の「 無音 」も聴いているのです。

食べ物を味わっている時は、
その裏の「 無味 」も味わっているのです。

臭いを嗅いでいる時は、
その裏の「 無臭 」も嗅いでいるのです。

感触を感じている時は、
その裏の「 無感触 」も感じているのです。

大元がなかったら、
色も、音も、味も、臭いも、感触も、
生まれないのです。

 



私たちは、
感覚にかからないモノを、
理解力で受け取るしかないのです。

感覚にかからないモノを
理解力で受け取ることによって、
「 ああそうか!  
感覚にかからないモノの背後には、
神が存在しているのだ!」
と言うことを知るのです。

感覚にかからないモノは、
神の側面であり、
その側面は、
理解力でしか受け取れないのです。

つまり、
感覚にかからない、
原因なき原因者 ( 神 ) は、
理解力でしか、
感得する ( 知る・納得する・受けとる ) ことが、
できないのです。



※ 本当に有るモノ ( 絶対的なモノ ) には、
反対は、ありません。

本当に無いもの ( 相対的なモノ ) に、
反対なモノが、有るのです。

それは、一つの中に、
相手は、いないからです。

でも、相手がいないと、
自分の存在がないので、
相手 ( 相対世界 ) を作り、
自分自身を創り続けているのです。

※ 何でもそうですが、
こうだと、決めつけてはなりません。

なぜなら、
こういう人だと、決めつければ、
自分の想念で、
そのような人を作ってしまうからです。

宇宙 ( 人・社会・世界 ) を、
こうだと、決めつければ、
そういう、宇宙 ( 人・社会・世界 ) を、
自分の想念で作ってしまうのです。

それは、
自分で自分に
催眠術をかけているようなものです。


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おまけの画像は庭の草花
5月 2日 ( 木曜日 ) 撮影

ツツジの花が咲いています

 

 




近づいて

 

 




寄せ植えにしていたシロタエギク
放置していたら ずいぶん大きくなりました

 

 




おまけの動画は
ガロ『 学生街の喫茶店 』

リリースは1972年 ( 昭和47年 )
昭和の時代の曲です


YOUTUBE ⇒ こちら
 

 

 

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