休職中の私は、7月に入ってから
体調が良いので、子供部屋作りの為
毎日断捨離をしている。
チョイ置きばかりして
倉庫になってしまった部屋は
随分スッキリしてきた。
行方不明だった物が
いくつか出てきた。
その中のうちの1つが
東日本大震災
現地ボランティアの資料
子育ての内容では無いけれど
貴重な経験をしたので
いつかブログに
書きたいと思っていた。
※結婚後、妊娠前の時期の記録
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東日本大震災
2011年3月11日14時46分18.1秒に発生した東北地方太平洋沖地震およびこれに伴う福島第一原子力発電所事故による災害である。大規模な地震災害であることから大震災と呼称される。
ウィキペディアより
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私は、震災から1年8ヶ月後に
会社の有志メンバーで
東日本大震災現地ボランティア
に参加した。
職場の同僚を誘ったけれど
みな都合が悪く、一人で参加した。
女子一人で参加とは
孤独だなとは思いつつ
遊びじゃ無い、ボランティアだから
どう思われても構わないと
参加を決意した。
でも、当日他の部署の友達二人が
参加していたことを知り
とても心強く、楽しく
参加することが出来た。
帰宅後、この時の活動を
資料にまとめ、同じフロアーで
働くメンバーに回覧した。
体験した内容を
より多くの人に伝えたかった。
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◯◯部フロアーの皆さんへ
2012年11月21日
2012年11月16日(金)〜19日(日)まで 0泊3日有志31名で、宮城県石巻市鮎川浜へ 東日本大震災 現地 ボランティアに行ってきました。簡単ですが、紹介させて頂きます。
1年以上経過した今でも、瓦礫の山や廃墟がいたるところに有り、胸が痛みます。
住宅地だった場所は、基礎だけ残して 雑草が生えています。残った建物は廃墟です。
高台移転が決まっていますが、行政が動いてくれないため、何の目処も立っていないそうです。生活するために建築が禁止されている海辺の近くに建て始めてしまっています。
鮎川浜にある斉藤さんのお宅で、ボランティア活動(竹やぶの切り出し、草取り)を行いました。
震災後、竹などの木々が伸び放題で、刈ってきれいにする気力が無かった斉藤さんですが、ボランティアセンターの竹刈りボランティアを受けたことをきっかけに、気持ちが前向きになったそうです。
東北は、寒いと思っていましたが、こちらとほとんど気温差は無く、作業中は ずっと汗だくでした。午後から雨が降ってきましたが、無事作業は終了しました。
斉藤さんのお宅は少し高台に有り、津波から逃れました。作業前は木々で見えなかった 海が見えるようになりました。眺めが良くなり、喜んで頂けました
竹藪のすぐ下に広がる住宅地の家が津波に飲まれて流されてしまいました、その時の音が忘れられないそうです。
4〜5月は、港付近にある水産加工工場のクジラや遺体などの腐敗臭がひどく、ハエが大量発生してとても大変だったとのことです。
また廃校になってしまったために、 生徒とその家族が仙台等へ移転して、被災地にはお年寄りだけが残ってしまっているそうです。
「牡鹿のれん街」で昼食・夕食
を頂き、お土産を購入しました。
捕鯨の町ならではのクジラの握り
鯨の竜田揚げらマグロの漬け、しゅうり貝(ムール貝のこと)のお吸い物など頂きました。
震災直後は、多くのボランティアが来ていたそうですが、今では とても少なくなってしまったそうです。
被災地の状況は、テレビや写真などで見ることが有ると思いますが、実際に現地を見たり、被災者から直接体験談を聞いたりするのは、とても貴重な経験だと思います。
現地の状況を見ると、とても辛くなりますが、参加したメンバーは、とにかく笑顔を心掛けていました。
でも、帰ってきてから、あの光景を思い出すと泣きそうになってしまいます。震災直後の状況は、もっと辛い光景が広がっていたはずです。故郷があんなことになってしまうなんて、本当に悲しいことです。
フロアーのみなさんに、お土産をお渡しした時「偉いね」と労いの言葉を掛けて頂きました。でも、私はボランティアと言えるほどのことができたのか?という思いが有ります。
それでも、何もしないよりは、まず一歩踏み出せだと考えるようにしました。このボランティアを企画してくださった事務局のメンバーに感謝しています。
もし今旅行を計画されていて、まだ場所が決まっていなければ、経済活性化の貢献を兼ねて、東北方面の旅行を検討されてみてはいかがでしょうか?
サービスエリアでもらってきた冊子を添付しますので、休憩時等にご覧ください。
被災者は忘れないでいてくれることを望んでいます。
以上
▼上長のコメント
ご苦労様でした。貴重な体験をされたと思います。相手の立場に立って考えることができるということは大切ですね。
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