島根女子大生バラバラ殺人事件(令和元年の追記) | 雑感

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島根女子大生バラバラ殺人事件

 

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島根女子大生バラバラ殺人事件の容疑者である矢野富栄(事件時は島根県益田市在住の33歳)、この男を島根・広島両県警合同捜査本部が被疑者死亡のまま松江地検に書類送検したのは、3年前のちょうど今頃の季節のことでした。

 

その際の会見で

 

「それは言えない」

「捜査員の士気にかかわるので言えない」

 

として記者の質問に対して口を閉ざす、警察幹部のバツの悪そうな顔を思い出す方もおられるのではないかと。

 

この事件について見直していると、時おり、

 

「警察は遺体発見直後からNシステムなどの映像で矢野を割り出し、容疑者の一人としてリストアップしていたのだが、矢野が早々に死んだので容疑者から外してしまった」

 

というコメントが見られるのですが、思うにそれはまだまだ優しい見方で、現実はさらにその遥か斜め上を行っており、捜査本部は長らく矢野という男の存在そのものを掴めていなかったか、

あるいは、Nシステムその他の車の走行記録から矢野の存在自体は把握していたが、それがなんらかの不手際により「性犯罪の前歴あり」というデータと結びつかなかったため、いわゆる「善良な一市民」としてのみの把握となってしまい、しかもその人物が早々に自動車「事故」で死んでしまい---私は「その13」で述べた通り自殺ではなく事故死だと思っていますがいずれにしても警察はその死になんらかの不審を抱いてこの男について調査を行うべきだったところ---なんの不審も抱かず早々に調査対象から外してしまった・・・ということではないかと想像しています。

 

もし捜査本部が矢野について、平岡さんの遺体発見直後から多少なりとも「疑わしい人物」として把握していたというのであれば、

 

「遺体発見直後に事故死した(しかも母親とともに)」

 

という事実に少しの不審も抱かないとは到底思えず、そしてもし仮に不審を抱いた場合はこの矢野という男の周辺について多少は聴き込みを実施するであろうと思われるところ、書類送検時の矢野の周辺人物のインタビューによる限り、

 

「2016年の夏以前にそうした聴き込みを行った形跡が全くない」

 

ということは、

 

「警察はこの矢野について、仮に事件直後から車の走行記録により存在を把握していたとしても、疑わしい人物とは全くみなしていなかったのではないか」

 

あるいは下手をすると

 

「矢野の存在そのものを把握できていなかったのではないか」

 

という強い推定が働くわけで。

 

その状態で、矢野の「や」の字も捜査線上に浮かばないまま7年弱が経過していたところ、2016年のおそらく夏ごろ以降、捜査指揮官かヒラの捜査員かは不明ながら、基本に忠実に当たり前のことを当たり前にやる人物が、人事異動で捜査本部のメンバーになった、ということではないかと。(それか、以前からのメンバーが、発想の転換をしてみたのかもしれませんが。)

 

その人が---あるいはその人の捜査指揮のもとに---当たり前のこと、すなわち警察の言う「性犯罪の前歴者の洗い直し」をしてみたところ、事件当時に益田市に住んでいた矢野の存在が初めて浮上し、

「なんだこんな男がいたのか」

と慌てて事件当時のNシステムや防犯カメラなどを調べなおしたところ、まさに浜田市内や遺棄現場へと通じる道を走行する矢野の車が映っており、そこで初めて、とんでもない初動ミスを犯していたことに気づいて仰天したのではないか、

あるいは、事件当初から存在だけは把握していたこの男(矢野)と新たに把握した「性犯罪前歴者」としてのデータが初めて結びついた、「なんだこの男、善良な一市民かと思っていたが、性犯罪の前歴があるじゃないか」と、

そこから先(2016年夏以降)は怒涛の勢いで捜査が進んだ(ただし本人死亡で時すでに遅し)・・・ということではなかったかと想像します。

 

さてこの事件について、先日、ルポルタージュ・ノンフィクション作家の小野一光氏が

 

「島根女子大生バラバラ殺人事件 難航した猟奇殺人犯特定のウラ側」

「島根女子大生バラバラ殺人事件 猟奇的事件に翻弄された人々」

 

と題して、2回に分けてルポを報告されていました。

特に後編には、当時具体的にどういった捜査がなされていたのかがうかがえる記述があり、興味深いものがありましたので、こちらでも長らく取り上げてきた事件でもあり、情報としてストックさせていただきます。

 

「島根女子大生バラバラ殺人事件 難航した猟奇殺人犯特定のウラ側」

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191203-00000004-friday-soci

 

「島根女子大生バラバラ殺人事件 猟奇的事件に翻弄された人々」

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191210-00000004-friday-soci

 

取材・文: 小野一光氏

1966年生まれ。福岡県北九州市出身。雑誌編集者、雑誌記者を経てフリーライターに。アフガン内戦や東日本大震災、さまざまな事件現場で取材を行う。主な著書に『新版 家族喰い 尼崎連続変死事件の真相』(文春文庫)、『全告白 後妻業の女: 「近畿連続青酸死事件」筧千佐子が語ったこと』(小学館)、『人殺しの論理 凶悪殺人犯へのインタビュー』 (幻冬舎新書)、『連続殺人犯』(文春文庫)ほか

 

以下、一部省略していますが、記事のコピペとなります。(青字の部分のみ、当方による補足となります

 

 

 「島根女子大生バラバラ殺人事件 難航した猟奇殺人犯特定のウラ側」

 

2009年に島根県で発生した女子大生バラバラ殺人事件。犯人特定は難航し、事件解決までに、実に7年の月日を要した。しかも、犯人は事件発生直後に死亡しており、なぜ事件解決にこれほどまで時間がかかったのか謎である。猟奇的殺人事件捜査の背景を、ノンフィクションライター小野一光氏が、当時の取材メモから読み解く。

なぜこれほどまで加害者へ辿り着くのに時間がかかってしまったのか?

2016年12月、島根・広島両県警の合同捜査本部は殺人・死体損壊・死体遺棄罪で、島根県益田市の矢野富栄(死亡時33)を松江地検に書類送検した。

翌17年1月に被疑者死亡で不起訴処分となったこの事件とは、09年10月26日に島根県浜田市でアルバイト先のショッピングセンターから帰宅後に行方不明となった大学生のA子さん(死亡時19)の遺体が、同年11月6日から19日にかけて、広島県北広島町の臥龍山の山頂付近で発見されたというもの。

 

被害者の遺体が切断されているなど、損壊された状態だったため、「島根女子大生バラバラ殺人事件」という呼称を、過去の記事では使っている。

矢野は山口県下関市で小・中学校時代を過ごし、福岡県北九州市の私立高校を経て、福岡県内の国立大学に進学するも中退。アルバイト生活などを経て、09年春から下関市の住宅設備会社で働くようになり、犯行時は会社が借り上げた一軒家のある益田市に移り住み、太陽光パネルの営業をやっていた。

じつはアルバイト時代の矢野には前科があった。04年に通りかかった女性に対して刃物を突きつけ、わいせつ行為に及ぼうとして怪我をさせるなど、過去に3件の性犯罪を犯したことで、懲役3年6ヵ月の判決を受けていたのだ。

そして今回の犯行後、A子さんの遺体の一部が最初に発見された09年11月6日の夜、勤務先の社長に翌日と翌々日の代休を願い出て、同8日に中国自動車道を車で走行中、山口県美祢市でガードレールに接触した事故により、助手席に乗っていた50代の母親とともに死亡していたのである。

矢野とこの事件との関係が浮かび上がってきたのは16年になってから。在京キー局の情報番組スタッフは言う。

「合同捜査本部が隣接県を含む周辺地域に住む、性犯罪の経歴を持つ人物を洗い直したところ、A子さんの遺体が発見された時期に、現場付近を車で走っていた矢野の存在が浮上したのです。そして同年夏以降に彼の所持品を押収し、デジタルカメラのデータを復元するなどしたところ、A子さんの遺体や解体の様子などを撮影した画像57枚を発見。遺体の撮影場所が矢野の自宅の浴槽だったことがわかり、犯人であるとの特定に至りました


長年の間、”未解決事件”とされ、やっと犯人が判明したこの事件の解決には、なぜ7年以上もの歳月を要してしまったのか。事件発生当時にわかっていたことを振り返り、検証していくことにする。

A子さんがアルバイトを終えてショッピングセンターを出たのは午後9時15分頃。白と黒のボーダー柄ワンピースに黒いレギンスという服装で、店舗を出る姿が防犯カメラで撮影されている。そこから彼女が入居する大学寮までの距離は約2・5㎞ある。途中にはコンビニもあるが、そこから先は街灯も少ない坂道が続く。A子さんの同級生は話す。

「私たちは下の街から大学とか女子寮のあるところまで坂を登ることを“登山”、逆に学校側から下の街に下りることを“下山”と呼んでいました。車とかバイクがあれば別ですが、それ以外はバスか歩きしかなく、バスの本数も少ないため、明るい時間には歩いている人もいます。ただ、夜は本当に真っ暗になるため、何人かで相乗りにしてタクシーを使う子も多い。A子さんは『タクシー代を節約して貯金したいから歩く』と言ってました」

ちなみに途中のコンビニの防犯カメラにA子さんの姿は写っておらず、そのことからショッピングセンターを出てすぐに誰かの車に乗ったという説や、寮とは異なる駅方面に向かいバスに乗ろうとしたという説があった。

 

コンビニの防犯カメラ云々については、2015年9月にアップロードした「島根女子大生バラバラ殺人事件・その9(帰宅ルートその他)」で考察しました。よろしければ、ご覧いただければと。

https://ameblo.jp/maeba28/entry-12076015289.html

 

さらには取材のなかで、ホームセンターの従業員から次のような話も出ている。

「頭部が発見された11月6日に警察が来て、包丁やナタなどの購入記録を提出させられました。そのとき『このなかの誰かが来てないか?』と言って、店長に別々の人物が写った3枚の写真を見せています」

同時期、この事件の取材に携わる新聞記者も同様のことを話していた。

「警察は3人の男の写真を持って、1軒1軒聞き込みをしています。ある程度犯人の絞り込みにかかっているようです。一方で、遺体が発見されるにつれて、犯行の猟奇性が明らかになってきていることから、レンタルビデオ店でホラー映画を頻繁に借りていた人物についての情報提供も求めています」

この3人の男については、のちに本人への事情聴取などを行い「事件との関連性は薄い」とされた。

 

11月16日に捜査本部の置かれた浜田署での定例レク(チャー)では、遺留品捜索について、以下の説明が行われている。

「本日は被害者につながる発見事項はありません。明日は臥龍山については中国管区機動隊、近畿管区機動隊の計300人体制で捜索を行います。また、県内から県境にかけては70名体制で捜索を行います」

その場では、臥龍山で遺留品捜索中の隊員によって発見されたビニール片について、付着していた血痕のDNA鑑定を行った結果、A子さんのものと一致したことも伝えられた。なお、このビニール片はNTT電話帳の戸別配布に使われるポリ袋の取っ手部分であることが判明し、約2年後の11年10月に公開されている。

 

この「NTT電話帳配布用ポリ袋」について、3年前の書類送検時にアップロードした「その13」から、以下の部分を引用させていただきます。

■ 矢野容疑者の下関の実家付近では今年の夏ごろ、島根県警の捜査員が
「大学生の殺人のことで話を聞きたい。電話帳を入れるビニール袋(ポリ袋)はあるか」
「電話帳は誰が配っているのか?」
と住民に聴き込んで回ったという。
今年の7月の終わりから8月の初め頃ですね。警察が犯人を捜していると。この辺は電話帳を入れるビニール袋を米屋さんが配達していたので、警察は(矢野容疑者の)実家がお米屋さんだということを知らなかったので、そういう話も少ししましたけど」(ご近所談。自治会長談)

■ 遺体遺棄現場から見つかった電話帳を配るためのポリ袋と同種のものは、男の実家があった下関市内でも配布されていたことが判明。

(書類送検後に、マスコミが容疑者のラーメン店時代の同僚にインタビューしている様子が報道された。その同僚によると、事件の半年ほど前---容疑者がラーメン店をやめる直前ごろと思われる---容疑者の車で家まで送ってもらった際、容疑者の車の中に、遺棄現場で見つかったものと同様の電話帳配布用ポリ袋があるのを見たことがある、とのことだった。)

 

付近の防犯カメラの検索、さらには浜田市内から臥龍山へと向かう道にある、Nシステム(自動車ナンバー自動読取装置)に記録された車両の運転手への聞き取りなどを進めるなか、11月30日に、すでに捜索済みの学生寮近くの側溝で、スニーカーが発見された。

 

そのスニーカーは黒色で左足用。購入履歴などから当初はA子さんのものと見られ、発見前日にその付近で不審なRV車が目撃されたことなどから、彼女がここで拉致された疑いや、犯人が捜査をかく乱する目的で置き去った、などの疑いが生まれることとなった。

だが結果からいえば、その時点ですでに真犯人は死亡しており、新たに投棄することは不可能だったことになる。また、合同捜査本部も、警察庁科学警察研究所に鑑定依頼をした結果、DNA鑑定を行うだけの検体が採取できず、A子さんのものとは特定できなかったと、10年2月24日に発表していた。

もちろん、これらの経緯が側溝付近を拉致現場とすることや、捜索時の”見落とし”の可能性を否定する材料にはならないが、こうした出来事もまた、捜査に支障をきたす一因となっていたことは明らかである。

事実、09年12月の段階で、捜査が難航していることを訴える声は現場から出ていた。前出の新聞記者は語っている。

「合同捜査本部は被害者と面識のある人物や、地元のわいせつ事件の前歴者を1人ずつ潰していきましたが、いまのところ該当者はいないようです。そのせいか、捜査員からは事件の長期化を危ぶむ声も出始めています」

被害者を知る人物によるものか、もしくは第三者による”流し”の犯行なのか特定できないまま、捜査対象はひたすら拡大されていく。

 

 

 「島根女子大生バラバラ殺人事件 猟奇的事件に翻弄された人々」

 

この事件について、発生当初は犯人の早期逮捕に関する楽観論が流れていた。というのも、現場となった浜田市は人口わずか6万人あまり。A子さんは同年4月に香川県からやってきたばかりで、交友関係も限られていることなどから、重要参考人の絞り込みは容易と見られていたのである。大学の学生寮に住んでいた彼女の同級生は語る。

「事件が起きてすぐに寮生全員が大学内の一室に集められ、警察の人に事情を聞かれました。そこではA子さんが行方不明になった時間に何をしていたのか、バイト先はどこか、帰り道のルートはどこを通るかということを細かく聞かれ、彼女のことで知っていることはないかと尋ねられました」

また同寮では、A子さんの部屋を捜索するとともに、携帯電話の履歴、サーバーに残されたメールの内容などの調査が行われ、交友関係の割り出しがなされた。それらと並行して管内の性犯罪前歴者など、リストに挙げられている人物の行動確認、事情聴取なども進められている。島根県警担当記者は説明する。

「浜田市中心部から臥龍山のある北広島町に向かう国道186号線の金城という地区には、通過車両のナンバーを記録するNシステム(自動車ナンバー自動読取装置)が設置されていました。交友関係以外にも、そこを10月26日から11月6日までの間に通過した車両について、順次捜査が行われたのです」

こうした過程で、多くの人物が捜査対象となった。広島県北広島町で一人暮らしをしながら林業関連会社に勤めるBさん(取材時30代前半)は、A子さんが行方不明になった日の午後5時半頃に、北広島町から浜田市に向けて車で移動しており、午後10時半ごろ北広島町に戻ってきた。そのため彼は、次のような経験をしている。

最初、11月の半ば過ぎに、勤め先の会社から自分に電話があり、『警察が事情を聞きたいと言っているから、知っていることを全部話すように』と言われたんです。しかし、それからしばらくは、なんの動きもありませんでした。ところが12月に入ったら、会社帰りとか移動のときに、広島ナンバーの銀色の車が後をつけてくるようになったのです。気づいてから10日間くらいは連続しました。こちらがスピードを落としたら向こうも落とし、飛ばしたら向こうも飛ばす。さすがに気持ち悪いので車を停めて話を聞こうとしたら、そのまま追い越していくのです」

警察車両と思しきその車は、物陰で様子を窺い、後をつけてきていたという。事前に会社を通じて警察がマークしていることを伝え、焦った相手が証拠隠滅や逃亡を図ったりしないか、行動を確認していたものと見られる。やがて島根・広島県警合同捜査本部の捜査員が、Bさん宅に初めてやって来たのは12月23日のこと

捜査員2人が自宅にやってきて、10月26日に浜田市内で何をしていたのか聞かれたんですが、はっきりと記憶していないので、もし浜田市に行くとすればパチンコだと答え、店名を伝えました。それからチェーンソーや鎌といった仕事道具と風呂場を見せて欲しいというので見せました。捜査員は時間にして20~30分程度で帰っていきました」

続いて捜査員はその2日後にも家に来た

パチンコ屋の防犯カメラが1週間分しか記録されてなかったみたいで、ほかの立ち寄り先を尋ねられ、コンビニに立ち寄ることがあると話しました。その日、捜査員が帰ってから電話がかかってきたのですが、『仕事で怪我をしたことはあるか?』という質問でした。それからもう一度電話がかかってきて、『ホラー映画を見るか?』と尋ねてきたので、(米ホラー映画の)『Saw5(ソウ5)』のDVDを借りて見たことがあることを話すと、続いて『人間の肉を食うビデオは見たことある?』と聞かれました。もちろん否定しました」

また、A子さんと同じ大学に通うCさん(取材時20歳代)の自宅にも、11月下旬に広島県警の刑事2人が突然やってきている。

「私の車が10月26日の夜遅くに金城を通ったため来たようです。その日の行動について聞かれ、風呂場を見せてくれと言われました。後日、私の証言通りに学校のパソコンを使用した形跡と、帰りに立ち寄ったコンビニでの映像があり、アリバイが証明されました。そういえば、刑事たちはとくに家にある刃物を気にしていました。ギザギザしたノコギリには一切関心を持たず、ナタや包丁だけを気にしていたことから、その手の鋭利な刃物で遺体を切断していたのだと思いました」

そんな最中、合同捜査本部が沸き立つ出来事も起きていた。かねてからマークしていた30代の男が、10年4月に浜田市内の大型店舗内で女子中学生をデジタルカメラで盗撮し、島根県迷惑行為防止条例違反容疑で逮捕されたのだ。その男はA子さんの事件についても事情を聞かれており、自家用車内の指紋採取も受けていた。前出の記者は振り返る。

「我々もその男は捜査本部がマークを外していない人物であることを知っていたので、家宅捜索をすることで何か出てくるのではないかと期待し、逮捕の一報には緊張しました。しかし、結果としてはシロでした」

こうした出来事と並行して、捜査は浜田市や周辺市のあらゆる範囲に拡大していた。浜田市のスクラップ業者は私の取材に言う。

事件のあとで、飲食店で知り合ったA子さんと同じ大学の男子学生の車の廃車手続きをして、スクラップにしたことがあるんです。そうしたら、半年後くらいに警察の人が来ました。その学生は県外から来ていましたが、県外の人とどうして知り合ったのかを尋ね、『なにか変な臭いがしなかったか』や、『車内に血痕はなかったか』、などをしつこく聞かれています。その後も警察からは電話があり、同じことを改めて聞かれました」

 

まさにしらみつぶしの捜査だったわけだが、そのことが原因で風評被害を受けた人もいる。事情を知る関係者は明かす。

「被害に遭ったとき、A子さんは次のアルバイト先が決まっていて、それを紹介したのは同じ大学の5年生の男子生徒でした。時給などが良かったことから、A子さんはすぐに働きたいと話していたのですが、それまでのバイト先の店長が、代わりのバイトが見つからないから2週間だけ仕事を辞めるのを待ってほしいと彼女に頼み、その最中に悲劇が起きたのです。A子さんを新たなバイト先に紹介した男子生徒は、警察からかなり疑われたようで、何度も事情聴取に呼ばれていました。また、校内でもそうしたことが噂になってしまい、結局、6年生になって大学を中退しました」

この事件の捜査に要した約7年という歳月は、周囲の人々の生活に少なからず影響を与えていたのである。