(Mさん実家から〇の車両放置現場までは約60km)
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(その1の続き・・・以下、想像による作り話ということではなく、Mさんの妹の手記をベースに、少しだけ日時や状況などの補足を加えたものになります。会話のセリフの部分なども、完全に手記通り)
妹は川島町の自宅に着くと同時に、Mさんが帰宅しているかどうかを母親に尋ねた。
「まだ帰らず、連絡もない」
母親は心配そうに答えた。
妹が宍喰町への行きと帰りに阿南市福井の路上で兄の車と同じ白のトヨタ・チェイサーの事故車を見たことを話し、二人で心配していると電話が鳴った。
出てみると福井派出所の警察官からだった。
「阿南の福井派出所ですけど、白いチェイサーって、お宅の車で?」
今しがた話していたところにこの電話だった。
心臓を鷲掴みされたような思いで妹は答えた。
妹「はい、兄の車ですが」
警「その車が事故起こして放置しとんよ。邪魔になるけん移動してくれるで」
妹「兄は? 兄に怪我はないんですか? 相手の人はいるんですか? どこの病院ですか?」
警「本人がおらんけん相手がおるかどうかわからん。とにかく通行の邪魔になるけん、至急移動してくれるで。場所はな、阿南市の・・・」
妹「わかります。福井のトンネルを超えたところですよね」
警「そうです。ほな移動しといてな」
警官は妹が場所を知っていたことを特にいぶかるでもなく、電話を切った。
現場は家から約60kmも離れていた。
「なぜあんなところに車が・・・?」
「本人はどこへ・・・?」
家族(Mさんの両親と妹)は困惑しながらも、懐中電灯やMさんの車のスペアキー、また、病院や警察への連絡が必要になった時に備えて、職業別電話帳を携えて家を出た。
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現場へと向かう車中で、とにかくデート相手の女性に心当たりを尋ねてみようということになり、(女性の電話番号がわからなかったので)Mさんと女性との仲介役になった仲人に電話を入れ、その人を介して女性の話を聞くことができた。
(つまりこのときは直接その女性に電話を入れ会話をしたのではない)
女性によると、「デートの日(12月25日、土曜日)の夜7時ぐらいには石井町でMさんと別れて帰宅した」とのことだった。
阿南市福井の現場に到着すると、家族は懐中電灯やルームライトを頼りに、Mさんがそのあたりに倒れていないかや、車の内外に事故の手掛かりがないかを捜し始めた。
(車両は阿南市福井・新逆瀬橋の南側のたもとに放置されていた。翌27日の未明にこの橋の下の河川敷で遺体が発見される。1枚目は北から、2枚目は南から望んだ図)
Mさんの車はフロント左側のライトやバンパーの一部が破損しており、助手席側のフロントガラスが割れていた(亀裂)。
左右のエアバッグが開き、左前輪のタイヤが千切れたようになっていた。
運転席側の屋根の上には3か所ほど叩かれたような傷跡があった。
ドアはロックされておらず、キーは差し込まれたままになっていた。
(1枚目、阿南市福井の放置現場での様子。左フロント部分が損傷を受け、タイヤが破れ異常な角度で折れ曲がっているのがわかる。2枚目、引きちぎれていた左フロントタイヤ。3枚目、事件から約8か月後の様子。助手席側フロントガラスに亀裂が生じている。遺族は2002年末に手記を出版しているが、その時点でまだ車を事件当時のまま保管していたという。)
運転席の下からMさんのポーチが出てきた。
開けてみると携帯電話が入っていた。
その履歴からデート相手の女性の電話番号がわかった。
女性に電話してみると、先の車中から仲人を介して聞いたのと同じく、「25日の夜7時ぐらいに(石井町の書店の駐車場で)別れました。帰られるようでしたけど・・・」との返事だった。
「なにか兄から連絡がありましたら、私の携帯に電話ください。お願いします」
妹はそう依頼して電話を切った。
この時、遠くで父親の叫び声が聞こえてきた。
「●●子!(妹の名) 警察呼べ! 事故は別のとこで起きとる。連れてこられとる。警察に電話せい!」
妹は急いで持参していた職病別電話帳で(阿南警察署)福井派出所を検索し、電話を掛けた。
(車両放置現場と福井駐在所の位置関係。2点間は道路距離で約4.8km、車で約5~6分の道のり。※以下の会話は遺族側の手記に掲載された、遺族の視点による当時の会話であり---私は事実だろうと思うから載せるのではありますが---会話内容の受け取り方は様々だし、ましてや2018年現在の福井駐在所員は---同じ徳島県警の人間だということ以外は---基本的に無関係であることに留意して読んでいただければと。)
10分ほどでライトを点滅させたパトカーが到着し、中から黒革のコートを着た警官が一人降りてきた。
警「どしたんで?」
父「どしたって、これは事故ではない。事件だろ。これ息子が乗り捨てたんとちゃう」
警「なんで事故でないってわかるんで?」
父「周囲に事故の形跡が一つもないだろ。車のライトが割れとんのに、道路に破片一つ落ちてない。事故は別の場所じゃ。おたく、通報があった時に見に来んかったんで。昼間見とったらわかっとるだろ」
警「ほんなん言われても事故車を放置する人は、ようけ(たくさん)おるけんなぁ」
父「この屋根見てみぃ! これは上から叩かれとるだろ!」
警「傷があるからって第三者が関係しとることにはならんだろ」
妹「とにかく兄を探してください。拉致されてボコボコにされてたら、この寒さです。助かりませんよ」
警「ほな家出人届けを出してくれるで」
妹「それを出したらどうなるんですか?」
警「県下の警察に顔写真とか服装が配られるんよ」
妹「それじゃ、いつ見つかるかわからないじゃないですか!? 警察は事件にならないと動かないって本当ですね。死体になって見つかったら、あなたどう責任取ってくれるんですか?」
警「そんなこと言われてもなぁ。事故起こして出てこれんようになって、どっか女とホテルにでもしけこんどんちゃうで?(ホテルという言葉を発した後、警官は唇の端をニヤッと上げたという)」
妹「一緒にいた女性は家に帰られてます」
警「そんなん親が知らん女もおるだろ」
妹「なんでそう思うんですか?」
警「これ、助手席に誰か乗っとったでよ。助手席のフロントガラスが割れとる。これは頭がぶつかって割れたんよ」
妹「フロントガラスが割れてたら助手席に人が乗ってたってわかるんですか?」
警「それは経験知よ。わしらはようけ事故現場見とるけんな。この割れ方は頭が当たっとる。ほんでエアバッグの真ん中がへこんどるだろ。これはちょうど、腹が当たったけんこうなるんよ」
(ブログ筆者注: 画像は助手席に人が乗っていない状態でエアバッグが開き、エアバッグが開いた衝撃でフロンドガラスに亀裂を生じたもの。Mさんの車両のガラスの割れ方に似ている。助手席側のエアバッグは助手席に人が乗っていなくても相応の衝撃を受ければ運転席側のそれと同時に開くのであり、助手席側のエアバッグが開くことにより---助手席に誰も乗っていないのに---助手席側のフロントガラスが割れてしまうという現象が少なからず報告されている。Mさんの事故車両も助手席に人が乗っていなかったとは限らないが、先のような現象があるということは、留意しておくべき点かと。ググると事例が出ます)
警官は家族の訴えには耳を貸そうとはしなかった。
なにかしら行動を起こす様子のない警官に対して、
父「おたく、写真は撮らんので? カメラでこの車撮っとかな、調べられんだろ」
警「カメラは持ってきてません」
父「(間髪入れず、娘に)カメラ買うて来い」
妹「ここから一番近いコンビニはどこですか?」
警「徳島方面に10分ぐらい走ったところにあるわ」
妹は警官にコンビニの場所を聞き、車を走らせた。
「もしかすると兄がいるかもしれない」
その思いから、道の両側に目を配りながらの運転となった。
コンビニで使い捨てカメラを購入し、現場に戻ると、警官の姿はそこになかった。
母親はまだ車の中で何かを捜していた。
妹「警官の人は? 探してくれるって?」
母「寒いけん帰るって言うて帰った。どうしよう?」
泣きだしそうな顔で母は答えた。
しかし泣いている場合ではなかった。妹は気を取り直し、
「もしかしたら警察が言うように、一人でホテルに泊まっとんかもしれんし・・・」
そう言って、近くのホテルに問い合わせてみることを提案した。
時刻はすでに午前零時近くになっていた。
家族は一番近いラブホテルに行ってみた。
裏口から女性が一人顔をのぞかせた。
事情を話し、心当たりを尋ねてみると、
「男の一人客はいない」
「このあたりは荒っぽい運転をする車が多いけんなぁ。もし怪我して捨てられとったら、この寒さやけん、助からんかもなぁ」
との答えだった。
家族の焦りだけが募った。
「やはりもう一度警察を呼ぼう」ということになった。
妹は先ほどの警官(福井派出所員)に電話して、
「車内には車の鍵が付いたままで、携帯電話も残されていました」
「(あなたが言うように)女とホテルにしけこむのであれば、車の鍵や携帯をそのまま置いていくのはおかしいのではないですか?」
と訴え、再度現場に来てくれるよう要請した。
これに対して警官は、
「もう、遅いで(時間が)」
と、家族の要請を拒否した。
妹「わかりました。あなたでは話にならない。県警に行かせてもらいます。あなたのお名前は?」
警「森下(仮名)ですけど」
警官はこのとき初めて自分の名前を明かした。
(この警官は、最初に事故車放置の通報があったとき、現場に行って事故車を確認することをせず、ナンバーだけを照会して持ち主を割り出し、Mさんの実家に「路上に放置されていて邪魔だから、移動させろ」との連絡を入れてきたのだった。)
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家族は徳島県警察本部(徳島市万代町2)へと急いだ。
すでに27日(月)の午前零時を回っていた。
到着すると応対した警察官に、派出署員からは全く取り合ってもらえなかったということも含めて、これまでの経緯を説明し捜索を求めた。
相手は「特別捜索願い」を提出する必要性について話したうえで、家族に対し、
「とりあえず本人(Mさん)は公務員でもあり、大騒ぎになると帰るに帰れなくなるということも考えられるので、明日(12月28日<火曜日>)の朝まで待ってみてはどうでしょうか? そこで帰ってこなければ、県下の警察に緊急配備をするので、我々にすぐ連絡をください。また、現在ご家族がお住いの所轄署に行って、捜索願を出してください」
という提案をした。
家族はこの提案にいちおうは納得して帰宅したが、父親はなおも「息子が凍えているかも」と心配し、着替えや毛布などを車に積み込み、Mさんの携帯電話も手にして、ふたたび阿南市の現場へと向かった。(12月27日<月曜日>の未明)
母と妹は家に残り、Mさんが行きそうな場所や車が放置されていた現場周辺のホテルに片っ端から電話を掛けてみたが、なんの手掛かりも得られなかった。
前日の夕方から続く緊張感も限界にきていた。
「少し休もう。倒れてもいけない」
妹が母親にそう提案し、二人して横になるうちにいつしかうとうととし始めた。
やがてまどろみの中で携帯の鳴る音を遠くに感じ、飛び起きて出ると阿南署からだった。
「至急、阿南署まで来て下さい」
電話の声はそう言った。(12月27日<月曜日>の未明)
妹「兄が見つかったのですか? どこですか? どこの病院なんですか?」
警「とにかく至急、阿南署まで来てください」
妹「父が車のところまで行っているので、父のほうが近いと思います。父は兄の携帯電話を持っているので、そちらに連絡してもらえますか?」
そのころ父親は車の発見現場にほど近い「福井ダム公園」に来て一人で捜索していた。
(車両放置現場から福井ダム公園までは直線で約1.15km)
父親がのちに語ったところによると、その時、懐中電灯の明かりなしには1m先も見えないという暗闇の中で、携帯が鳴った。
「息子さんがおいでましたんで、車のところに来てください」
その言葉に父親は現場へと急行、トンネルを抜けるとパトカーの赤色灯と大勢の警官の姿が目に飛び込んできた。
車を停めると一人の私服警官が近寄ってきた。
父「犯人捕まったんで?」
警「お父さんですか? 息子さん、この下で見つかりました。ここで待ってもらえますか」
警官たちはせわしなく動き回っていた。
Mさんの車の横では私服の刑事らしき二人が話していた。
車を調べていた鑑識員が「この傷、あいませんよ」などと言うのが聞こえた。
やがて20分ほどして促されるままにワゴン車に乗った。
停車中の車内で警官が「息子さんは自衛隊に行かれとったんやね」と言うので、「なぜわかるのか?」と尋ねると、「ポケットから身分証明書が出てきた」という。
(息子は自分で身分証明書も出せない状態なのか・・・)
父親は衝撃を受けたが、周りの警官たちの様子とも相まって嫌な予感が脳裏をよぎった。
警官はさらに、「Mさんに保険をかけているか?」ということを尋ねた。
父親にとってこの質問は、この状況で意外(かつ心外)に思えたらしく、
「それは和歌山のカレー事件のようなことがあるので訊いているのか?」
「妻が息子の老後のために養老年金をかけてやっていること以外は知らない」
と答えたうえで、
「なんで今そんなこと聞くんや。犯人は捕まったんちゃうんか?」
と、強い口調で言うと車内は一瞬静かになった。
続いて警官は、Mさんをこれから阿南署に送ると言い、「お父さんは自分の車を運転していかれますか?」と尋ねた。
自分で運転していくと答えると、別の警官が会話を制止した。
「それは危ない。お前がお父さんの車に乗って行け」
この言葉に、先ほど抱いたある嫌な予感は、確信めいたものに変わっていった。
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「こんな所しか空いてませんが」
阿南署で父親は取調室に通された。(コーヒー付き)
そこでしばらく、Mさんがなぜ阿南に来たのか、何かに悩んでいる様子はなかったか等を尋ねられたが、いずれも父親には心当たりのないことだった。
「車内に何かなかったか?」というので「ポーチが(運転席の下に)あった」「それは家に持って帰った」と答えた。
(このポーチの中にはMさんの携帯電話が入っていた。携帯電話については取り出して父親が捜索中に所持していた。)
警官はそのポーチを(阿南署に)持ってくるよう要請し、「奥さんに(持ってきてくれるよう)連絡しましょうか?」と言ったが、
Mさんの母親は3年ほど前に脳動脈瘤の手術をしており、加えてこの時すでに父親の中では息子の死の予感が確信に変わっていたのか、
病み上がりの妻への気遣いから「(妻に連絡するのは)ちょっと待ってもらえないか? 落ち着いたら私が連絡をしますから」と答えた。
「それじゃ、息子さんに会いに行かれますか」
警官は腰を上げ、駐車場の隅の、コンクリートの壁と鉄製の扉を備えた倉庫のようなところに父親を案内した。
重い扉を開くと、救急室のストレッチャーのようなベッドに人の体が横たえられ、毛布をかぶせられていた。
毛布からは、靴下を履いた足がはみ出していた。
「息子です・・・」
小さなころから見慣れたその足の形に、一目で息子だと分かったという。
毛布が捲られ、顔があらわになった。
Mさんであることが確認された瞬間だった。
父親が予感していた通り、すでに息はなかった。
体の一部が水に浸かっていたため濡れていた。
左目の下が腫れ上がっていた。
「これは殴られとんではないか? ちゃんと調べてくれ」
息子の亡骸を前に、父親は気丈に訴えた。
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遺体は、事故車が放置されていたすぐそばの橋(新逆瀬橋)の下を流れる福井川の河川敷で見つかった。
新逆瀬橋は、高さ約16m。長さ約43m。欄干の高さは85cm。
遺体は、この橋のほぼ中央の地点から落下した位置に「仰向け」の姿勢で横たわっていた。
頭を上流すなわち橋の側へ、足を下流へ向けていた。
頭は中州にあり、体は水深10cmの川に浸かっていた。
靴は両方とも脱げ、遺体から40cmぐらいのところに踵を踏んだような変形した状態で転がっていた。
あとで不審点(争点)の一つとなったが、遺体の頭部は橋から垂直に落ちた地点から4.2m(下流側に)離れており、同じく足先は約6m離れていた。(Mさんの身長は178cm)
遺体を発見したのは阿南署の捜査一係員だった。
徳島県警から車両放置現場への出動要請を受け、新逆瀬橋の上からサーチライトを照らしたところ、下の河川敷に遺体を発見した。
(遺体発見=12月27日<月曜日>の午前2時半ごろ)
その後、(のちの警察の説明によると)写真撮影のために辺りが明るくなるのを待ち、
午前4時ごろに、県警の検視官や鑑識班、機動捜査隊が立ち会う中で、遺体が橋の上まで運ばれた。
そして午前4時半ごろ、ポケットに入っていた身分証明書により身元が確認されたのだという。
(Mさんの父親は、福井ダム公園で一人で捜索している最中に、警察から「Mさん発見」の知らせを受け、現場に急行し、招き入れられたワゴン車内で、この「ポケットから出てきた身分証明書」の話を聞いた、とのことなので、父親が福井ダム公園で暗闇の中「Mさん発見」の知らせを受けた時刻は、27日の午前4時半---つまりポケットから身分証明書が出てきた時刻---より少し後のことだろうと思われる。
解せないのは、警察が「27日の午前2時半ごろに遺体を発見し、写真撮影のために辺りが明るくなるのを待ち、その後、午前4時ごろに遺体を橋の上に運び上げた」としている点だが、これだと、「周囲が明るくなるのを待ってから、河川敷の遺体の現場写真を撮った(それから午前4時に、遺体を橋の上に引き上げた)」かのようだが、
12月27日の徳島の日の出は午前7時過ぎなので、警察の言う写真撮影を行っていた時間帯は、日が差し込むどころか、まだ漆黒の闇だったはずであり(現場は、山間の木々に囲まれた橋下16mの河川敷)、「写真撮影のために明るくなるのを(河川敷で1時間半ほど)待っていた」という警察の主張は、なにか不自然という気はする。)
父親からの連絡を受け、川島町の実家に待機していた母親と妹も、午前8時ごろに阿南署に到着した。
3人は取調室で対面した。
「お兄ちゃん、あかんかったわ・・・亡くなっとった」
父親の言葉を聞いた瞬間、母親は座っていた椅子から滑り落ちそうになった。
父親がこれを抱きとめ、二人は号泣した。
妹は涙さえ出なかった。
「お母さんにも事情を聴きたいのですが」という警官に対して、妹は「母は、今はやめてください。代わりに私が答えますから」と制止した。
母親はガタガタと震え、自分の足では立てないようだった。
「お兄ちゃんは? お兄ちゃんはどこ?」
母親の訴えに、父親は「お兄ちゃんに会いに行くか?」と、母親を抱え上げながら安置室へと向かった。
一方で妹は警察官から取調室で質問を受けていた。
「お兄さんは何かに悩んでいなかったか」
「携帯の履歴の出し方を知らないか」
「なぜ阿南に来ていたのか」
通り一遍のそれだったが、これに対しては、
「兄とは普段一緒に生活をしていないからわからない。阿南には友達と釣りをしに来たことはあるかもしれない」
「今回はまだ帰省して2日しか経っていない。何かあったとしたら職場ではないか」
そう答えるのが精いっぱいだった。
安置室では母親が遺体と対面していた。
その時、遺体は靴下はおろか、洋服や下着まで脱がされていた。
洋服は安置室の入り口左横のコンクリートの床に無造作に置かれていた。
毛布から出た顔の近くに来ると母親の体は硬直し、また倒れそうになった。
それを父親が後ろから抱きとめた。
母親が見たMさんの顔も、やはり左目の下が腫れていた。
二人の警官がやってきて、遺体に掛けられた毛布をめくり指紋を採取した。
Mさんの腕には線状の痣がいくつもあった。
左目の下の腫れと合わせて、その痣についてもちゃんと調べてくれと訴える父親に対して、
「そのためにも」
と、警察は司法解剖への同意を要請した。(27日午前8時ごろ)
「なんでもする。犯人逮捕するためやったら、どんな協力でもする。見つけてくれ」
父親は倒れ掛かる妻を胸に抱きながら、何度も警察に懇願していた。