徳島自衛官変死事件・その1 | 雑感

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徳島自衛官変死事件

(事件は1999年12月に起きた。地図中、赤ピンの先が遺体と車の発見現場。お住いの地域との位置関係を把握していただければと。)

 

※※ パソコンからご覧の場合で、画像によってはクリックしても十分な大きさにまで拡大されず、画像中の文字その他の細かい部分が見えにくいという場合があります(画像中に細かい説明書きを入れている画像ほどその傾向が強いです)。その場合は、お手数ですが、ご使用のブラウザで、画面表示の拡大率を「125%」「150%」「175%」等に設定して、ご覧いただければと思います※※

 

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 徳島自衛官変死事件

 

徳島自衛官変死事件(とくしまじえいかんへんしじけん)は、1999年12月25日(クリスマス)、広島県から徳島県内の実家へ帰省中の海上自衛官が行方不明になり、2日後に阿南市の河川敷で遺体が発見された事件。

 

ざっくりとしたところは以下のウィキに出ています。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B3%B6%E8%87%AA%E8%A1%9B%E5%AE%98%E5%A4%89%E6%AD%BB%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 

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すこし細かい部分を補いながら、以下、続けてみると、

 

 遺体発見までの流れ

 

徳島自衛官変死事件

 

1999年12月23日、広島県江田島町にある海上自衛隊・江田島第1術科学校(通称「1術校」)の教務課に勤務していた海上自衛官のMさん(男性、当時33)は、徳島県川島町の実家に年末休暇で帰省した。

 

実家までは片道約6時間の道のりだったが、3年ほど前に脳動脈瘤の手術をして気弱になりがちな母親を気遣い、Mさんは月に一度は欠かさず、愛車を駆って実家に顔を見せに戻ってきていたという。

 

Mさんの当時の愛車は「1996年型、トヨタ・チェイサー2.5LツアラーV(色はスーパーホワイト)」であり、リアスポイラー付き、タイヤを純正のものよりやや太めのそれに変えていた。

 

 

 広島県江田島町(勤務先) → 当時は「安芸郡江田島町(あきぐんえたじまちょう)」だったが、現在は「江田島市」となっている。

 徳島県川島町(実家) → 当時は「麻植郡川島町(おえぐんかわしまちょう)」だったが、現在は「吉野川市」となっている。

 

 

Mさんには当時、交際していた女性(徳島在住、当時30)がいた。

 

といっても、1か月前(1999年11月)にお見合いをして知り合ったばかりの女性であり、お互い相手のことをもっとよく知るために、少しお付き合いしてみましょうという段階だった。

 

12月25日は、2度目のデートの日だった。(行方不明となったのはこの日)

 

待ち合わせの場所は石井町にある書店(ドラッグストアなども併設)の駐車場であり、約束の時間は午前10時だった。

 

この駐車場は、川島町(現・吉野川市)のMさんの家からは車で約15分ほどのところにあり、Mさんの家と相手の女性の家とのちょうど中ほどに位置していたという。(ということは、相手の女性は徳島市あたりの在住だったのかもしれない)

 

Mさんは前日の12月24日中にガソリンを満タンにし(タンク容量70L)、デート当日は約束の午前10時に間に合うように家を出た。

 

相手の女性も、その駐車場までは自分の車で来て、そこから、Mさんの車で目的地へと向かった。

 

(デート当日の朝7時前から、Mさんの3歳年下の妹が、Mさんの車を内外ともに丁寧に洗車した。妹の目には帰省したMさんの車が、結婚を意識している女性を乗せるにしては洗車が十分とは見えなかったらしく、兄と女性への気遣いとして、いつにないことながら、兄の車を洗車したのだという。内装を磨いた際に、兄の車に乗っている様々の高速の領収書などを目にしていた。)

 

デートの目的地は神戸だった。

 

神戸ポートピアランドで絶叫マシーンに乗ったり、ホテルオークラで午後4時半ごろに遅めの昼食を食べたという。

(神戸ポートピアランドは2006年に閉園している。ちなみに現在のグーグルマップによる計測だと、二人が午前10時に待ち合わせた石井町から神戸ポートピアランド跡地までの距離は約122km、車で約1時間50分の道のりとなっている。)

 

その後、夜の7~8時ごろに徳島(石井町)の待ち合わせ場所だった駐車場に戻った二人は、車内で少し話をした後で、それぞれの車に乗って帰途に就いた。

 

駐車場の出口に向かうとき、女性はMさんの車の2台ほど後方に付いていたが、(理由は不明ながら)Mさんは同駐車場の中でまた車を止めたので、女性はMさんの車の横を通り過ぎて駐車場を出ていく形になったという。

(つまり、女性の証言によると、Mさんが駐車場から実家のある川島町方面へと向かったのか、それとも、全く逆の海側に向かったのかについては、女性は見ていないということになる。)

 

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Mさんの父親は店を営んでおり、その店の営業時間が午後8時までだったので、実家ではいつもだいたい午後7時半ごろから夕食の支度にとりかかっていた。

 

この日(12月25日)、Mさんは実家で夕食を食べることになっていたらしく、実家では午後7時半ごろになってもMさんが戻らないので、

 

「遅いね」

「外で食べてくるんだろうか?」

 

などと話し始めていた。

 

Mさんの母親が、Mさんの携帯に電話するようMさんの妹に促し(以下、「妹」という)、妹は「まだ相手の女性と一緒なのでは?」と気は引けたが、

 

母親の頼みでやむなく兄の携帯に電話を入れると、呼び出し音は鳴らず、「いま運転中です」というアナウンスに切り替わった。

 

夕食が済み、午後10時ごろになったが、Mさんは帰らず、心配した母親から頼まれ、妹は再びMさんの携帯に電話をした。

 

10分おきに、4~6回はかけてみた。

 

今度は呼び出し音は鳴ったものの、Mさんが電話に出ることはなかった。

 

妹は、「まだ相手の女性と一緒かもしれない。11時も過ぎているし、寝よう」と提案したが、母親は「もう少し待ってみる」と、リビングでMさんの帰りを待っていた。

 

その夜、Mさんは帰ってこなかった。

 

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徳島自衛官変死事件

 

翌日(12月26日)、妹は知人と車に乗って宍喰町(ししくいちょう)に出かけた。

(宍喰町は、当時、徳島県の最南端に位置していた海沿いの町で、2006年に他の2町と合併して「海陽町」となっている)

 

国道55号線をひたすら南下し、途中、阿南市の山あいにある福井ダム近くのトンネルを抜けたところで、お尻の部分を大きく車線にはみ出し左側に停められている白い車を見た。

 

その車を避けるために、妹たちの車はセンターラインを踏み越えて前進しなければならなかった。

 

「迷惑な停め方をしていますね」

 

そんな話をしたが、2時間後、同じ場所を通ると、白い車はまだそこに停まっていた。

 

今度は正面からのアングルだった。

 

見るとその車の左前面が割れており、事故にあっているようだったが、ここに来て初めて、妹はその車が兄のそれと同じ車種(トヨタ・チェイサー)であることに気が付いた。

 

色も同じ白だった。

 

「あれ? お兄ちゃんと一緒の車だ。昨日、女の子とデートに出かけてるんですよ」

 

妹は運転していた知人にそう言った。

 

(でもまさかこんなところに兄はいないだろう・・・)

 

その気持ちの一方で、昨夜連絡もなしに家に戻らなかった兄のことを思い、

 

妹の心はざわつき始めていた。

 

徳島自衛官変死事件

(事故車両が放置されていた現場を上空から。Mさんが家に帰らなかった翌日の12月26日、妹はこの画像で言えば上から下に向かって---つまり北から南の宍喰町に向かって---車を走らせていた。行きと帰りの両方でその放置車両を目撃したという。)