井の頭公園バラバラ殺人事件・その6 | 雑感

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桃井望

(画像は2002年10月、長野県塩尻市で事件に遭い死亡したとされている、当時AV女優をしていた桃井望さん---本名YW、当時24---この事件では、桃井さんが当時交際していた男性<Sさん>が某人物に80万円を貸しており、その金の返済を惜しんだ某人物がSさんの殺害を画策、それに巻き込まれて桃井さんも殺害されたという噂が根強く存在している。仮に80万円で二人の人間を手にかける者がいるとすれば---いくらでもいるとは思うが---井の頭の事件の場合も、被害者には遺族にも知られていない貸金があり、その返済を惜しんだ何者かによって殺害されたということも、考えられるのではないだろうか。)

 

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さて、「その5」からの続きで、

 

 帰宅途中に害意を持った何者かにより殺害されたという説

 

偶発的なトラブルではなく、害意を持った何者かにより殺害された可能性を考えてみる。

 

例えば「路上強盗」のたぐい、先に描いた「前方から来た酔っ払い」とか「後方から来た自転車」の部分を、「路上強盗」に入れ替えれば、その状況になるかと。

 

これも、遺棄現場が井の頭公園であることから、川村さんが路上強盗に遭遇した現場を、新宿ではなく、吉祥寺駅を降りてからだと仮定して、具体的な場面をいくつか妄想してみると、

 

4月22日(金)午前零時過ぎ、吉祥寺駅で降りて、東進ハイスクール本館西側の細道をほろ酔い気分で歩く川村さん、

 

自宅にたどり着く寸前に、 マスクで顔を覆った路上強盗に遭遇、

 

強盗は近所の住人であり、川村さんの顔を見知っていた。

 

新築の大きな家に住んでおり、金を持っていそうだと、平素から目をつけていたのである。

 

脅して金を奪うのが目的であり、殺害までの意図はなかったが、結果的に強盗は川村さんを暴行死させてしまう。

 

焦る強盗、しかしこの場合も、遺体を放置して逃げるにしては、自分の家があまりにも近すぎた。

 

その場に遺体を放置しておけば、すぐ近くに住む自分に嫌疑が及ぶのではないか・・・そう考えた強盗は、遺体を自宅に持ち運び、

 

遺体の身元が割れ、万が一にも近所の自分に嫌疑が及ぶことを阻止するために、遺体の身元を秘匿するための徹底的な措置を施し(切断、血抜きその他)、

 

ゴミ収集車による回収を狙って、井の頭公園のゴミ箱に遺棄した・・・という流れだったが、

 

さすがに、近所の住人を相手に、しかも自宅のすぐそばで強盗に及ぶ人間がいるだろうか、

 

あり得なくはないと思うが(特に中高生)、突如現れた近所住みの強盗が殺害し、しかも遺体をあそこまで特異な形で処理・遺棄したというのは、

 

「偶発的な路上トラブル」で説明するよりも、さらに無理やり感があるような気はする。

 

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そこで、「帰宅途中に害意を持った何者かにより殺害された」という見方を維持しつつ、

 

なおかつ「路上強盗」の線を外して考えてみるとすると、まず思いつくのは「借金の踏み倒し」かと。

 

流れを妄想してみるとすると、

 

4月22日(金)午前零時過ぎ、吉祥寺駅で降りて、東進ハイスクール本館西側の細道をほろ酔い気分で歩く川村さん、

 

自宅にたどり着く寸前、背後から、「川村さん、川村さん」と呼びかける声、

 

振り向くと、ご近所の知人Aがいた。

 

川村さんに歩み寄るA、辺りをはばかるかのような小声で、

 

「お待たせしてすみませんでした。例のものが用意できましたので、家まで受け取りに来てもらえますか。」

 

「ああ、あれ・・・」と合点する川村さん、

 

「ささ、こちらへ・・・」と、Aに促されるままに、その自宅へと足を向けた。

 

「例のもの」とは、事件のひと月ほど前に、川村さんがAから泣きつかれて用立ててやった、現金300万円のことだった。

 

用立てた理由は何でもいい、例えば去る3月のこと、川村さんは会社の帰りに、吉祥寺駅でぐうぜん近所住みのAに遇った。

 

Aは顔色が悪く憔悴しているように見えたが、川村さんは特にその理由を尋ねることもなく、他愛のない話をしながら、二人して自宅方面へと歩いて行った。

 

やがて東進ハイスクール横の細道に差し掛かった時、Aが突然、路上に立ち尽くして嗚咽を漏らし始め、実は悩みがある、聞いていただけますか、との言葉とともに、そのとき陥っていた苦境について語り始めたのである。

 

曰く、投資で失敗して借金で首が回らなくなっていること、貸金業者からの督促が激しく、女房子供は怖がって実家に逃げてしまっていること、

 

実は今日も、つてを頼りに金策に飛び回った帰りであるということ、首をくくることを考え、食事ものどを通らず、夜も眠れなくなっていること、

 

現金で1000万あればこの3月は乗り切れるということ、各方面に土下座してなんとか700万はかき集めたが、残り300がどうしても工面できないでいること、

 

現在これこれの資産を売りに出して買い手はついており、4月中にはその代金の振り込みがあり、ある程度まとまった金が入る予定であること等を打ち明けられ、

 

「恥を忍んでお願いします。現金で300万、どうか貸していただけませんか? 4月中には必ずお返しできます。どうか、私たち家族を助けてください!」と、

 

号泣しながら、土下座して頼まれたのだった。

 

突然のことに困惑する川村さん、「少し、考えさせてもらえませんか?」と、その場での即答は避けたものの、

 

実際、Aは憔悴しきっている様子だったし、実家に逃げているというAの妻や子供のことも知らないわけではなく、相手の口から出た「首をくくる」「一家離散」などの言葉も気にかかり、

 

「300万でこの人の家族が救われるなら・・・」と、

 

結局は用立ててやることにしたのだった。

 

「それで、奥様は何と?」

 

と、数日後、現金を受け渡すときにAは尋ねたかもしれない。

 

川村さんは笑って答えた。

 

「嫁さんには話していません。話したら怒られちゃいますよ。僕とAさんだけの秘密ですから、ご心配なく」

 

親切な川村さんは、信頼しているので借用書なども不要である旨、言い添えたのだった。

 

泣いて感謝するA、4月中には金を返済する旨、川村さんに誓ったが、無論、返す当てなどなかったのである。

 

はじめからそのつもりだったかどうかは別として、返済を約束した4月も終わりに近づくにつれ、川村さんを亡き者にすることによって借金を踏み倒すことを思いついたAは、

 

4月21日(木)夜から4月22日(金)午前零時過ぎにかけて、自宅近くの路地で---それは川村さんの通勤路でもあったが---川村さんを待ち伏せし、声をかけて自宅へと引き入れ、そこで・・・という流れだったが、

 

夜中に何時に帰宅するかわからない相手を、人通りの少ない住宅地の路地で待ち伏せる不自然さを考えれば、あるいはAは、川村さんが吉祥寺駅を出るところから尾行していたのだろうか。

(いずれにしても、なさそうな話だが)

 

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借金の踏み倒し以外で、金銭がらみでの犯行の線を考えてみると、川村さんが、なにかしらの事業に出資していた場合とかがそれだろうか。

 

その事業の拠点が、案外、高井戸のほうにあり(川村さんは、会社の同僚から車で家まで送ってもらうとき、吉祥寺南町1の自宅まで乗らず、やや東寄りの高井戸のほうで車を降りることが2~3回あったということが、のちの警察の調べにより、事実として確認されている)、

 

そして、その事業の発起人の一人(以下、A)が川村さんの近所に住んでおり、川村さんに出資を呼び掛けたのもAだったと。

 

川村さんは、合法な事業だとの説明を受け、それを信じて出資をしたのだった。

 

ところが、当初こそあったわずかばかりの配当も、ほどなくしてストップ、

 

その事業というのが、実は実体のない出資金目当ての詐欺であり、事業は事業でも括弧付きのそれだったことに薄々気づいてきた川村さん、

 

平素から電話で出資金を返すようAに督促していたが、小遣い程度にでもなればと内緒で出資した数百万円をどうやらドブに捨ててしまったことなど、妻にも親にも話せるものではなく、このことは家族の誰も知らない川村さんだけの秘密になっていた。

 

はじめの頃こそ、ご近所の遠慮からか、「返していただければ、助かるのですが」などのやんわりとした口調で督促していた川村さんだったが、

 

やがて、このままでは埒が明かないと察したのか、「裁判」「訴える」などの激しい言葉が混ざるようになり、これに危機感を覚えたAは、漠然と川村さんを亡き者にすることを考えるようになっていたが、

 

実行には踏み切ることなく、このところは、電話に出ない、居留守を使うなどして、川村さんからの督促をかわしていた、そんな折のことだった、

 

4月21日(木)の深夜、川村さんとAが、たまたま中央線の同じ車両に乗り合わせたのである。

 

ここで会ったが百年目とばかりに、Aに詰め寄る川村さん、

 

ちょっとAさん、酷いじゃないですか、電話にも出ず、居留守をお使いになっている、あの件を、どうしてくれますかと、Aに顔を寄せ、小声ながら、厳しい口調でまくし立てたのだった。

 

何ごとかと気づいた周囲の乗客らは、怪訝そうに様子をうかがっていた。

 

「いや、その話はここでは・・・。降りてからにしませんか?」と、きょどりながら制止するA、

 

「いいでしょう、降りてから、きっちり説明してもらいましょう。逃げないでくださいよ?」と応じる川村さん、

 

もはや逃げられないと悟ったAは、平素から漠然と抱いていた計画を実行に移すしかないと決意、

 

子供はもともとおらず、Aにとって好都合なことには、その夜、妻は友人らと旅行に出かけて留守だった。

 

吉祥寺駅を出たところで、Aは川村さんに深々と頭を下げ、深刻で生真面目な調子で、

 

迷惑をかけて本当に申し訳なかったということ、今回のことで、良いと思って始めたことが結果的には多くの人々に迷惑をかけてしまい、自分も毎日が針の筵(むしろ)で、食事ものどを通らず、首をくくることを考える日々であるということ、

 

居留守をつかったり、電話に出なかったりしたのは、決して知らぬ存ぜぬで逃げ切ろうとしていたのではなく、ただただ、申し訳なさと、そして怖さから、弱い自分が不誠実な対応をとってしまっていた、どうかお許しくださいということ、

 

最初から騙す意図で始めたものではないということだけは、どうか信じてほしいということ、現在クレーム対応に追われており、できる限り返金するために、各方面からいくらかかき集めたものが自宅に置いてあるということ、

 

川村さんについては、自分が誘ったといういきさつもあり、ご近所でもあるため、特別に責任を感じているということを語り、その上で、

 

「いいでしょう。出資いただいた元本だけは、今夜のうちに現金でお返ししましょう。ただ、他の人々にお返しする分も残しておかなければいけないので、利息分や、慰謝料といったところについては、今夜のところは、ご勘弁願えないでしょうか?」

 

などと、自宅に金を受け取りに来るよう、川村さんに誘いをかけたのである。

 

「何かおかしい」

 

素面(しらふ)の時なら、そう察知できたのかもしれなかった。

 

しかしその時は酒も入って気持ちもほぐれており、思いのほかあっさりと返金に応じてもらえたことに気をよくした川村さんはAの申し出を承諾、

 

「仲間が開いてくれた昇進祝いの飲み会に、諦めかけていた金も戻ってくる。いろいろと良いことが重なる日もあるもんだ・・・」

 

との感慨に浸りながら、東進ハイスクール本館西側の細道を二人して南下、

 

「ささ、こちらへ・・・」と促されるままにAの自宅へと入り、そこで危難に遭遇、

 

Aは、自分と川村さんの自宅が近いこと、また個人的な付き合いもあったことから、遺体の身元特定を困難にするための処理を施した上で、井の頭公園のゴミ箱に遺棄、

 

そこに遺棄したということについては、車や免許を持っておらず、近場に遺棄する以外の選択肢がなかったのか、それとも、車は持っていたが、長距離を走ることによってNシステムなどに捕捉されることを警戒したのか、

 

あるいは、Nシステムへの警戒等ではなく、単に、遠くの山や海に遺棄するよりも、近場でゴミ収集車に回収させるほうが確実だと考えてのことだったのか、それはよくわからない。

 

いずれにしても、長々と書いてはみたものの、どうかな、という感じはする。

 

そもそも、そういった出資の話があれば、たとえ家族に内緒にしていても、自宅に関係書類はあるのではないか、

 

とすれば、事件後、警察が被害者の家を捜索した際、そういった書類が見つかり、そこから足がつくのではないか、とも思われるが、

 

この事件では---単に情報が開示されていないだけかもしれないが---そういったたぐいのトラブルがあったという話は、伝わってはいないのだった。