(「野原だから気兼ねしなくていいのよ。」この場所だから、ご近所に気兼ねすることなく子育てができる・・・入江さんによると、妹の泰子さんはいつもそう言っていたという。
画像は1947年9月8日、今から約70年前の、東京都世田谷区上祖師谷一帯の空撮画像。やがて風景は一変していき、水色〇のあたりには、のちの宮澤邸となる建物も建てられることになる。しかし、2000年12月の事件当時は、祖師谷公園拡張計画のため地区住民の立ち退きが進んでおり、宮澤邸は野中の一軒家に近い状態となっていた。)
※※ パソコンからご覧の場合で、画像によってはクリックしても十分な大きさにまで拡大されず、画像中の文字その他の細かい部分が見えにくいという場合があります(画像中に細かい説明書きを入れている画像ほどその傾向が強いです)。その場合は、お手数ですが、ご使用のブラウザで、画面表示の拡大率を「125%」「150%」「175%」等に設定して、ご覧いただければと思います。※※
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続いて、書類その他物品の、浴槽への放り込みについて。
(事件発覚当時の浴槽の状況。2003年に捜査本部が作成し、全国警察に配布したDVD内に収められているもの。浴槽についての画像は、これ以外は出回っていないと思われる)
話が逸れて恐縮ですが、
いわゆる事件マニアの方々も
「自分の場合はこういう事件に関心が向きがち」
「こういう事件には関心が向かない」
そういった「傾向」を、それぞれお持ちではないかと。
自分の場合、関心が向くタイプはよくわからないのですが、
関心が向かないタイプははっきりしていて、それは、
1.金目当てと思われる事件
2.外国人による犯行で、犯人が国外逃走済みと思われる事件
3.いきなり刺して、サッと逃走して、それっきりの事件
4.誰でもよかったといいながら、不特定多数の人を殺傷する事件
5.無理心中ではないかと思われる事件
6.情報が少なすぎる事件
7.事件ではなく、事故ではないかと思われるもの
思いつくところで、この種の事件についてはなぜか、
「詳しく調べてみたい」という意欲がわいてこないのでした。
世田谷事件については、1のみならず2にも当てはまると、長らく思い込んでおり、
その凄惨さゆえに捜査の行方は気になりつつも、
詳細を根掘り葉掘りしたいとまではならなかった事件でした。
(八王子スーパーナンペイの事件もこれに似ていて、「金目当て」「犯人は外国人で、海外逃走済み」という決めつけのもと、基本的に関心外でありつつ、その凄惨さゆえに捜査の行方は気になる、みたいな。)
ところが、2014年の末か、2015年の初めごろでしたか、
世田谷事件を見る目が変わった出来事がありまして、
それは、この事件についてのある情報を知ったということですが、
その情報というのが、今回触れる、
「書類その他物品の、浴槽への放り込み行為」
でした。
正確には、
「切り刻まれた書類が、浴槽に大量に放り込まれていた」
という情報だったと記憶しています。
これを知った時、初めて「えっ?」っと思うと同時に、
「この事件、どうなってるの?」という、
事件マニアにとってはお馴染みの、あの気持ちがわいてきたのでした。
しかし、当時確か北海道の佐藤智広君とか、朝霞の中1女子の事件を書いていた時期で、
その後も、カアイソウ、タケノコ掘り、千葉の佐久間奈々さん、ワラビ採りなどと続けていく中で
世田谷事件について調べるのは、なんとなく後回しになり、
ようやくそれらが一段落して、世田谷事件のこの「切り刻まれた書類・・・」についての感想をまとめてみたのが、2015年12月30日の記事でした。
https://ameblo.jp/maeba28/entry-12111821238.html
当時この記事の中で、書類切り刻み~浴槽への放り込みについての考えを、書いてみたわけです。
でも、今にしてみれば、そもそもこの「書類切り刻み」という行為自体が、本当にあったんだろうかと思ってしまうところもあります。
というのは、世田谷事件の参考資料として評価が高く、
私もこのところ参考にさせていただいてる、『真犯人に告ぐ!』によると、(以下、引用)
「現場は犯人が家中のタンスを引っかきまわして物色していた、という凄まじい状況だった。
みきおさんの遺体のすぐ後ろにあった納戸の上部3段の引き出しはすべて引き抜かれ、うち2本は納戸前の床に積み重ねられていた。
そして犯人はなぜか、引き出しの1本を2階まで運び上げ、トイレ前の床に置き、その中にあったものを全部、向かいにある浴室の浴槽内へ投げ込んでいたのだ。
水を張ったままの浴槽には書類などが散乱し、その中に混じって犯人のA型の血液が付着し、血を拭ったとみられる白いタオル、生理用ナプキンのパッド、破れたアイスクリームのカップ状容器1個など、さまざまな物品が浮沈していた。」
「2階の浴槽から、みきおさんのものと思われる緑色の小銭入れにつけてあった鍵が2本、眼鏡ケースの中に入っていたキーホルダー付きの泰子さん所有の鍵2本が見つかり(後略)」
ここには、「書類その他の物品が、浴槽に投げ込まれていた」とはありますが、
「書類が切り刻まれていた」とは書いていないわけです。
そこで、再び浴槽の状況を見てみると、
不鮮明でわかりにくいですが、底のほうは別として、
少なくとも、表面に浮いている部分の書類については、
仮にハサミで切られたり破られたりしているとしても、そこまで細かく切り刻まれているようには見えないと。(これを、「切り刻んだ」と称したのでしょうか?)
そもそも、書類を切った時に使ったと思われる(犯人の血や指紋がついた)ハサミが見つかっているのかというと、そういう話は聞きませんし(単に犯人が持ち帰っただけ・・・という見方もできますが)、
手を怪我してスプーンを持つのも嫌で、カップアイスを絞り出しながら食べたと想像されている犯人が---あり得なくはないですが---果たして、書類をハサミで切り刻んだりするものだろうか・・・
そう考えると、
「切り刻まれた書類」
ということの信ぴょう性(というか表現の正確性?)は、どうだったのか、ということが、
今さらながら思われてくるのですが・・・。
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書類は、「切り刻まれていた」状態だったのか(細かく切断)、
それとも単に、少しハサミを入れられていた~手でビリっと、1~2度破られていた程度だったのか、
あるいは、切られもせず、破られもしてない状態だったのか・・・
いまひとつ、そこがはっきりしません。
なので、その点はひとまず忘れるとして、
純粋に、「書類その他物品の浴槽放り込み」という行為について、
なぜそんなことをしたのか、
その流れはどうだったのか、ということを考えてみたいと。
この点、先ほど引用した『真犯人に告ぐ!』の記述、
「みきおさんの遺体のすぐ後ろにあった納戸の上部3段の引き出しはすべて引き抜かれ、うち2本は納戸前の床に積み重ねられていた」
この部分について、入江杏さんによると、
みきおさんの遺体には、大きなデスクの引き出しが二つ、逆さにされ、あたかも蓋をかぶせるような感じで乗せられていたそうで、私はその二つが、引き抜かれていたという納戸の上部3段のうちの二つではないか、と妄想しているので、
「うち2本は納戸前の床に積み重ねられていた」という部分は、事実誤認ではないかと思っています。
(実際は、「納戸前の床に積み重ねられていた」のではなく、「納戸前、階段下に横たわるみきおさんの遺体の上に、蓋のような感じでかぶせられていた」のではないか、ということ。)
「泰子のうちのドアを開けた。目に飛び込んできたのは、何かぶちまけられたものの山だった。何か、とは、デスクの引き出しの中身だろうか、書類、文房具の類。いったい何? 頭の中が混乱する。
特に一階から(中)二階への階段下に、そのぶちまけられたものが山になっている。その山の中から信じられないものが突き出ている。異様に白い足、素足だったのを覚えている。みきおさんの足だった。
不自然な格好で倒れたみきおさんの上に、その体を覆い隠すようにいろいろなものをぶちまけた、という印象だった。
目を引いたのは、大きなデスクの引き出しがふたつ、逆さにされて、みきおさんの上に乗せられている。ちょうど蓋をかぶせるかのようだ。
引き出しで隠されて、私にはみきおさんの顔は見えなかった。二階にいる泰子は? 子どもたちは?
階段を上がろうとしたが、みきおさんの体とぶちまけられたものの山は階段をふさいでいた。脇を通りぬけようにも、その体をまたいでいかなければならない。私は途方にくれた。人の頭をまたいではいけない、枕を踏んでもいけない、そんな作法がこんな危急の場に、足を滞らせるなんて。」・・・入江杏著『この悲しみの意味を知ることができるなら』
ともかくも犯人は、1階納戸の上部3段の引き出しを引き抜き、
そのうち二つについては、中身の書類や文房具などをみきおさんの遺体の上にぶちまけ、
そうして空になった引き出し二つを、みきおさんの遺体の上に、逆さにして蓋のようにかぶせ、
残る一つの引き出しについては、何らかの理由で、それを抱えて中2階に上がり(その引き出しは中2階のトイレ前に置かれていたと『真犯人に告ぐ!』~ウィキペディアにはある)、
中の書類その他の物品を浴槽に放り込んだ・・・
流れとしてはそんなところかと。
その行為に及んだ理由ですが、
やはり、何かを探していたと思われるのであり、
その探し物的には、引き出しもまた、物色の対象だったのではないかと。
そのため、引き出しを開けては中の書類や物品を手に取り、
必要とみればポケット等へ、不要とみればみきおさんの遺体の上へ投げていき、(目当ての書類を見分けたことは、必ずしも日本語に堪能であることを意味しないかと)
二つの引き出しの物色を終えた時点で、みきおさんの遺体は、書類その他の物品でかなり埋もれる状況になったが、
床には血が流れているし、見たくもないということで、犯人は、空になった二つの引き出しを逆さにして、蓋のような感じでみきおさんの遺体の上にかぶせた、
三つ目の引き出しについても、そのまま1階で物色を続けるつもりだったが、
例えば、その時点で足場が狭くなりすぎていたとか---「階段を上がろうとしたが、みきおさんの体とぶちまけられたものの山は階段をふさいでいた(入江さん)」---
あるいは、深夜にもかかわらず、意外にも外に人の気配がする、例えば、夜遊びしている冬休み中の学生であるとか、酔っ払ったオヤジであるとか、とにかく、人の往来の気配がスケボー広場側の通路から時折してくる、その気配があるごとに
「警察じゃないだろうな?」
「明かり漏れてるかな。電気、消したほうがいいかな」
「まさかこの家の親族の一人で、玄関から入ってきたりはしないだろうな?」
という警戒心が沸き起こる、
(※ 入江邸と書いてしまってますが、「入江」は入江杏さんの名字で、これはペンネームなので、正確には入江邸ではありません。他にも、同じ間違いをしている画像があるかもしれませんが、そのあたり、注意してご覧いただければと)
またあるいは、当時宮澤家の真向かいにあった一軒家---この家には翌朝10時ごろに宅配便のトラックが来たという---からは、トイレにでも行っているのか、時々部屋に明かりがともり、人が起きる気配がある、こちらから見えているなら、あちらからも見えているかもしれない・・・
そう気づいた犯人は、用心のため1階の明かりを消し、三つ目の引き出しについては、それを抱えて中2階への階段を上がった。
入江さんによると、みきおさんに被せられていたのは「大きなデスクの引き出し」とのことで、引き出しはけっこう大型だったことが考えられ、
それを抱えて、正直言って狭そうなあの宮澤家の階段を上れば、必然的に横歩き(いわゆるカニ歩き)となったが、ともかくも中2階へと運び込み、
誰かがふいに正面玄関から入ってくれば風呂場の窓から逃げよう、との考えのもと、
風呂場の灯りだけをともして、洗い場に陣取り、引き出しの中身を物色した、
ここでも、探し物が見つかればポケットか何かに入れ、
不要と判断したものについては足場の邪魔にならないよう、
申し訳ない言い方ですが、いわば、ゴミ箱代わりに隣の浴槽にどんどん放り込んだ・・・
「書類その他物品の、浴槽への放り込み」という点に限れば、
おそらく、そういう理由~流れではなかったかと。
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浴槽に放り込まれた書類が「切り刻まれていた」という話に戻るのですが、
2015年12月にこれについて感想を書いた時の自分的には、
切り刻んだ書類を浴槽に大量に放り込んだのが事実とすれば、それは、
「その書類を棄損したふり」=「日本語が読めるふり」=「日本人のふり」=「つまり、犯人は外国人である可能性」・・・
という風に、要は偽装工作であると解釈して、その旨、書いてみたと。
今こうして世田谷事件を調べていると、
「この犯人に、偽装工作はなかったのではないかな・・・」
と思えてくるのですが、しかし一方では、
「犯人が、自分に関係する書類を隠滅するためにハサミで切って、浴槽に放り込んだ」とは、私は思わないので(それをするくらいなら、持ち帰るのではないかと)、
こうなるとやはり、当時自分で書いたような結論以外のものを、今でも思いつきません。
もし、偽装ということでなければ、これも2015年末の記事で触れたのですが、
「単に犯人の酔狂、一時の気の迷い、趣味、ストレス発散」などのために、
さしたる理由もなく、常人には理解不能な精神状態で、
書類を切り刻んでは浴槽に放り込んだのでは、としか・・・。
(山奥の廃小屋で大量に切り刻まれたエロ本。変わった感性の人はたまにいる)
この事件、基本的に「偽装はなかったのでは?」と思うのですが、
唯一それがあったとすれば、この「書類切り刻み・浴槽ぶち込み」ではないかなと。
「基本的に偽装をしない犯人が、そこだけは偽装をしたかもしれない」
これに無理やり理由をつけてみると、
想像ですが、ここまでの大事に至るのは、犯人自身にとっても想定外だったこと、
指紋・DNAを残しまくる結果になったのも、もちろん想定外だったこと、
母国の法律に照らしても死刑に値する犯罪となった、そのことへの自覚があったこと、
外国人であることがばれ、母国に指紋・DNAの照会がなされる事態を避けたかったこと(文字通りの死活問題)、
都合の悪いときは日本人のふりをすればいい、という考えが自然に身についており、死刑間違いなしの犯罪を犯していながら、指紋やDNAもたらふく残すという、いわば想定外のやらかしをしてしまった危機的状況下で、身についたそのやり方(日本人のふりをする)が自然に出たかもしれないこと・・・
無理やり感はぬぐえず、しっくり来ているとは言えませんが、
思いつく理由としては、こんなところでしょうか。
あと、この事件について調べていて、「あー、これはそうかも」と思った見立てがありまして、
それは、宮澤夫妻が年末の整理として、書類を要るものと要らないものに分け、要らないものにはハサミを入れ、あるいは破いたりして机の引き出しにストックしていた、その引き出しを、犯人が一家殺害後に中2階風呂場まで持ち込み、中の書類を浴槽に投げ込んだというもので、
これは確かに、先の私の見立てなどより、あり得るのではないかと。
また、「もしかすると?」と思ったのは、
ハサミでいろいろな形に紙を切って遊ぶ「切り紙」というのがあって
それが、子供の情操教育に良いらしいのですよ。
なので、もしかすると、母親の泰子さんや父親のみきおさんが、
発達障害だった礼君(幼稚園年長)の情操教育の一環として、
まあ、難しい形に切り抜かないでいいから、適当にチョキチョキやるだけでいいから、紙をいっぱい切ってごらんなさい、ということで、
みきおさんの不要になった書類や、泰子さんの不要になった塾関係の書類などを礼君に渡して、幼児用のハサミで切る遊びをさせていた、
切り終わった紙は、それを処分するまで、大きめの茶封筒か何かに入れ、みきおさんの机の引き出しに保管していた、
犯人が、その引き出しを引き抜いて風呂場にもって上がり、
茶封筒の中にストックされた紙切れの束を見つけて、「なんだこれは」とばかりに、他の不要な書類や物品などとともに、浴槽にぶちまけた・・・
その展開もありかな、と思うのですが、
しかしどうもしっくりきません。
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次に、犯人の探し物は何だったのか、という件について、
犯人は何かを探していたため、引き出しなどを物色し、
浴室でその物色作業の一部を行った際に、
不要と見た書類その他の物品を、浴槽に放り込んだ・・・
こう見たわけですが、
では、犯人の探し物とは何だったのか?
その点を考えてみると、
まず、手を怪我していた(と見られている)ので、
止血や消毒のための道具を探していたのは間違いないかと。
(包帯、タオル、バンドエイド、生理用ナプキン、消毒薬等々)
「血がなかなか止まらなかったのか、犯人は泰子さんのものとみられる生理用ナプキンまで取り出し、傷口の応急処置をした。浴槽へそれを投げ込んでいたことはすでに述べた。
2階居間にあるテーブルの上にはバンドエイドの缶、外傷を消毒する薬などが乱雑に置かれ、周囲にはバンドエイドをはがしたナイロンのセパレーターが落ちていた(後略)」・・・『真犯人に告ぐ!』より
またそれ以外には、
ほぼ確かなところで、学習塾の月謝15~20万円や、
夫婦の財布から札を抜き取っていた、ということで、
加えて、『真犯人に告ぐ!』の次の記述、
「(2階の)ソファの上にはノートのほか、夫妻名義の運転免許証や旧富士銀行発行のキャッシュカード、JALのクレジットカードなどが散乱していた。ある捜査員がこう推測する。
『犯人は泰子さんの薄緑色の財布、みきおさんの革財布などから現金やキャッシュカードを抜き取った後、浴槽の中へポイポイ投げ捨て、廊下には計1121円分の小銭がぶちまけられていた。
免許証の生年月日から、夫妻のキャッシュカードの暗証番号を割り出そうと試みたようでテーブルの上にあったノートにはさまざまな数字が書き留められていた。漢字を識別する能力があることは間違いない。』」
この記述から感じるのは、
ありきたりですが、「金への執着」ということで、
金に執着しているのに、なぜ千円そこらの小銭を、廊下に散乱させたまま逃げたのか、
そこはよくわかりませんが、札だけ抜き取る泥棒もいるようですし、
ポケットが小銭でじゃらじゃらいう~重くなるのを嫌ったのかもしれない、
もしかすると、ポケットは、すでに見つけた500円玉貯金の小銭で溢れそうになっていたかもしれない、
あるいは、うっかり小銭を落としてしまったが、廊下の明かりを落としていたため、暗い中、散乱した小銭を拾う気になれなかった、手も怪我して痛いし、落ち着いたら拾うつもりでいたが、その前に慌てて逃げなければならない状況が生じた、
あるいは、小銭を落とした場所が、泰子さんやにいなちゃんの遺体の周辺(中2階廊下)で、床には血も流れ、血に塗れた小銭を拾う気になれなかった等、
色々なことが考えられますが、印象として、「金への執着」という点に変わりはないと。
2階の居間に陣取り、
夫妻の運転免許証とにらめっこしながら、
生年月日などを頼りに、キャッシュカードの暗証番号を割り出そうとしていたらしい・・・
これなども、何かの偽装でない限り、
犯行動機をうかがううえでは、重大な状況証拠ではないかと。
よって、探し物の一つは「現金」だっただろうと。
財布から札を抜き取る際に、カードも見つけた、
これは想像ですが、実は犯人が強烈に、
おそらく、それが犯行動機だったといえるほど強烈に欲していたのは、
この、カードと、暗証番号だったのではないか、と思っています。
(年末年始で銀行のATMが使えるか、という問題は気にしておらず、おそらくは意識してさえおらず、犯人側の条件が整ったタイミングで、細かいことは考えずに決行)
これ(カードと暗証番号)を手に入れたいがために、
人を刺すには向かないが、見た目は凄く(先端鋭利)、
脅しに使うにはうってつけの「柳刃包丁」まで用意したと、
当初は違う形の犯行を思い描いていたが、
想定外の出来事により、計画が崩れ、あの結果になってしまった、
財布から札とカードを抜き取り、
引き出しを物色する過程で、早々に、
「~銀行」
「~信用金庫」
などと書かれた預金通帳を見つけた。
残高を示すアラビア数字の桁を数えて、仰天したと。
(例えば、日本円でせいぜい5桁くらいの数字しか見慣れていなかったのが、その通帳の残高は8桁あったとか。祖師谷公園拡張のための宮澤家への立ち退き料は、約7000万円。そのうち約8割が、2000年12月の時点で、すでに振り込まれていたという情報がある)
この数字を見たとき、犯人は、
「でかい金があると言われていたのは、本当だったのだな・・・」
そう納得すると同時に、その後はもう、狂ったように、
床に落ちた千円かそこらの小銭には目もくれず、
カードの暗証番号を推知しうる書類・物品を探し出すべく、
引き出しなどを物色しまくったのではないかと。
(2階居間の物色状況一例。2003年に捜査本部が作成し、全国警察に配布したDVD内に収められているもの)
その過程で、夫妻の運転免許証を見つけた、
これは暗証番号を推知しうる重要な資料なので、当然キープ、
しかし、おそらく犯人の狙いはもっと直接的なものだったのではないか、
つまり犯人の中では、
「口座開設ありがとうございました。
お客様の口座番号は~~~、
暗証番号は●●●●となっております。
お忘れのないよう、大切に~~」
みたいな、
「キャッシュカードの暗証番号そのものが書かれた書類」
がどこかにあるはずだと妄想し、
それを狂おしいほどに探し求めたのではないかと、
仮にそうなら、犯人は、
「~銀行」
「~信用金庫」
などという文字の書かれた、葉書、封筒、
書類とみれば手を伸ばしキープしたことと思いますが、
実際にそういった形跡があったかどうかは、警察のみが知るところで、
部外者の自分にはわかりません。
いずれにしても、結論としては、
犯人が捜していたのは、現金、カード、
カードの暗証番号を推知しうるもの(免許証等)、
そしておそらくは、犯人の中で「それがあるはず」と妄想した、
「キャッシュカードの暗証番号そのものが書かれた書類」
ではなかったかと。
しかし、結局そのたぐいの書類は存在せず、
犯人の試みは、徒労に終わったことと思いますが。
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次に、遺体の状況から思うこと、について、
遺体の状況については、「世田谷一家殺害事件・その3」で、
手持ちの資料をもとに、なるべく詳しめに触れているので、そちらをご覧いただければと。
https://ameblo.jp/maeba28/entry-12290626639.html
しかし結局、遺体の状況については、わかったようでわからない状況です。
例えばよく言われる、泰子さんの傷については、「猟奇性」を思わせるものがあったとか、
その辺も、結局は明かされていないと思います。
2006年にこの事件を取り上げ、ベストセラーになった本があるとのことで、
その中で、泰子さんの傷について、なにかしらのことが描写されているらしいのですが、
この本の内容については、当時の警視庁捜査一課長が、「事実と異なる記述が多い」との異例の声明を出したと。
「2006年7月20日付 産経新聞:
平成12年に東京都世田谷区の会社員、宮沢みきおさん=当時(44)=一家4人が殺害された事件を題材にした『世田谷一家殺人事件-侵入者たちの告白』(草思社刊、齊藤寅著)について、警視庁の光眞(みつざね)章捜査1課長は19日、殺害方法など10項目を挙げ、『事実と異なる記述が多い』と述べた。捜査幹部が事件を扱った出版物の真偽について公式に言及するのは異例だ。
同書は多国籍の『クリミナル・グループ』による犯行とする話題のノンフィクションで、発売2週間で25万部が売り出されたベストセラー。
光眞課長は『内容は全般にわたり根本的に事実と異なっており、誤解を生じさせる恐れが高い。今後の捜査に悪影響を及ぼすことが懸念される』とコメント。
その上で、これまでの捜査結果と異なる点として、
(1)侵入方法(2)殺害方法(3)被害者の致命傷(4)犯人の治療行為(5)パソコンの操作(6)遺留指紋(7)遺留品(8)逃走方法(9)被害者の当日の行動(10)被害者の親族-の10項目をあげた。
具体的には、侵入方法として『手製のガラス切りを使って、風呂場窓の鍵(クレッセント錠)の部分を手首が入るくらいに切り取ってしまう』との記述があるが、実際には窓は割られていなかった。
また、『母親の胸にアーミーナイフを叩きつけた』とあるが、泰子さん=当時(41)=の傷は顔に集中し、胸を刺された形跡はなかった。
宮沢さんの『指が切れ落ちた』との記述についても指の欠損はなかったといい、『侵入から逃走に至る経緯で事実が異なっている』としている。
草思社と齊藤寅さんは連名で『本書は筆者が取材の過程で知り得た情報をありのままにまとめたものであり、あくまで事件解決の一助となることを願って出版したものです。捜査を妨げる意図はまったくありません』とのコメントを出した。」
ただ警察も、そこまで気に食わない内容の本を出されるのが嫌なら、
この事件について、世間で流布している噂については、間違いがあればできるだけ正し、警視庁のホームページ上で公開すればと思うのですが、どうでしょうか。
捜査上の秘密であるとか、犯人しか知りえない事実であるとか、公判維持など、
いろいろ問題はあると思いますが、国民はほとんど何も知らされず、犯人逮捕もされないまま、すでにもう17年が経過しようとしているわけで・・・。
ちなみに、「その3」でも書いたのですが、
泰子さんの遺体状況について、『真犯人に告ぐ!』によると、
「泰子さんの直接の死因は『心タンポナーゼおよび出血性ショック』となっている。解剖医の解説によると、これは泰子さんに向けられた刃が心臓を覆う心膜を貫き、心臓まで達したため、心膜腔内に320ミリリットルもの血液がたまり、鼓動を止めてしまった状態を示すという。」
とのこと。
一方で、先に引用した産経新聞記事中の光眞捜査一課長によると、
「泰子さん=当時(41)=の傷は顔に集中し、胸を刺された形跡はなかった」
とのことなのですが、顔に傷が集中し、胸を刺された形跡がなくても、
「刃が心臓を覆う心膜を貫き、心臓まで達したため、心膜腔内に320ミリリットルもの血液がたまり、鼓動を止めてしまった(心タンポナーゼおよび出血性ショック)」
という状態は起こりうるのでしょうか?
泰子さんは背中も刺されていたといいますから、背中から刃が心臓に達したのか、
しかし、泰子さんの背中の傷は、確か、折れた柳刃包丁で叩きつけられたような傷だったと記憶しているのですが・・・。
それとも、「刃が心膜を貫き心タンポナーゼに・・・」のほうが間違いなのでしょうか(私はそうは感じていませんが)、
しかし、仮にそれが間違った情報なら、なぜ捜査一課長はそちら(タンポナーゼ)のほうには声明を出さないのか、という気がしますが・・・。
調べてみると、「心タンポナーゼ」という症状は、別に刃物が心膜を貫かなくても起こりうる症状らしいので、泰子さんの場合は、胸を刺されなくても、犯人による襲撃の際、なんらかの原因で発症したのかなとも思いますが、よくわかりません。
泰子さんの傷の多くが顔についており、
にいなちゃんも、殴られて歯が折れたり、最後は首の後ろを刺されている、
みきおさんも、頭部に刃物を突き立てられた形跡がある、
礼君は刃物による傷はなく、扼殺のみ、
泰子さんとにいなちゃんの遺体の上には、衣類が積み重ねられ、大小の山のように。
「私はなんとか階段を何歩か上がったように思う。そこで、階段上の踊り場に横たわる何か黒いものと、
そのそばの小さな黄色いものを目にしたか、しないうちに、背後の夫の声が私を引き戻す。
『見るな、入っちゃいけない!!』
(中略)
階段の踊り場で見たあの衣類の山は? 大きな山と小さな山が寄り添うように、そこにあった。まさか、まさか人が倒れていたのだろうか? いや、違う、人の姿には見えなかった。人の姿のはずがない。いや、人の姿であっていいわけがない。きっと、ただの洋服の山だ。人間のはずがない。ましてや、大好きだったふたりのはずがない。」・・・入江杏著『この悲しみの意味を知ることができるなら』
みきおさんは階段下に倒れ、大量の書類や文房具などに埋もれた状態で、
さらに、大きなデスクの引き出しが二つ、逆さにされ、蓋をかぶせるかのようにみきおさんの上に乗せられていた。
礼君は、子供部屋の2段ベッド下で、うつ伏せに倒れており、
布団などがかけられていたかは不明。
とくに泰子さん、にいなちゃん、みきおさんの遺体状況から、
「恨み」「猟奇性」などをみる見方もあると思いますが、
自分の場合は、伝えられる範囲での遺体の状況からは、そういったことは感じず、
どちらかというと、子供じみた、激しやすい性格の犯人が、恨みや猟奇性からではなく、単に目的のために邪魔な相手を排除するべく、滅多やたらと刺しまくったのではないか、
相手への恐怖も入り混じった、「黙らせなければ」「倒さなければ」という感情というのか、衝動が先走るばかりで、相手を手早く制圧するにはどこをどう狙うのが効果的かという冷静さもないまま、
激情に任せて、ひたすら相手の顔めがけて刃物を振り上げ、打ち下ろしたと(狂ったように相手の顔めがけて猫パンチを繰り出す猫と同じ、子供並み。最初の凶器である柳刃がぽっきりと折れ、次に手にした文化包丁も振り下ろすうちにグニャリと曲がり、これも、犯人の焦りと苛立ちに拍車をかけたことかと)、
結果として被害者の頭部や顔面を含めた、主に上半身に傷が集中する形となり、
折れたり曲がったりした刃物で叩きつける形になったので、その傷口も、おそらくは酷いことになったと。
みきおさんの遺体の上に書類や文房具をぶちまけ、引き出し二つを逆さにして置いていたのは、
犯人がみきおさんと顔見知りであり、みきおさんの苦悶に満ちた死に顔を見たくなく、せめて覆いをして顔を隠したとかの話ではなく、
おそらくは、少し長居(物色)をするにあたって、ただもう、それを見たくなかった、嫌悪感があった、
床に血も流れるので紙にでも吸わせればいい、見たくもないので引き出しでも乗せとくか・・・、
その程度のもので、犯人にとって遺体は(申し訳ない言い方ですが)ただただ物色にあたって目障りな、嫌悪すべき物体に過ぎず、それ以外に何の感情もなかったのではないか、と。(ものをかぶせて見えなくなれば存在しないも同然なので、平気で物色、アイスやパソコン)
階段の上、踊り場にあった泰子さんやにいなちゃんの遺体には、主に洋服がかけられ、黒っぽい小山のようになっていたとのことですが、
書類や引き出しではなく、洋服(布)をかけたのは、別に泰子さんやにいなちゃんへのせめてものいたわりをみせたとか、二人に対してなんらかの思い入れがあったが故に、みきおさんとの差別化を図ったとかではなく、
単に、物色を続けるにあたって惨殺遺体は目障りであり、
まだまだ家の中を歩き回らなければならないのに、床の血だまりを何かで吸い取れないかと思ったところへ、すぐ横の子供部屋にある洋服タンスから布の調達が容易だった、
単にそれだけの理由であって、二人に対して何か特別な感情があった訳ではないと想像します。(被害者らへの感情は何もない。しいて言えば、惨殺遺体に対する嫌悪感のみ)
泰子さんの傷は、その半数が死後につけられたものだとのことで、
傷の大半が顔に集中なら、死後の傷も、顔を刺したものが多かったのだろうと思いますが、
この場合は、「死んでも顔を刺している」=「怨恨」ということではなくて、
そもそも、犯人には泰子さんが息絶えた瞬間はわからなかったと思いますし(脈をはかりながら刺すわけではない)、
絶命後も執拗に差し続けたのは、その前に、泰子さんが3階(ロフト)から梯子を下ろして逃げようとした経緯があったからで、
おそらく犯人的には、ロフトでとどめを刺したと思っていた相手が、梯子を伝って下りてきた、
あるいは、とどめを刺したとは思わないまでも、もう自力では動けまい、今のうちに、折れた柳刃にかわる新たな包丁を見つけよう、
そう思って、急ぎロフトから梯子を下り2階台所をゴソゴソしていたところへ、なんと、泰子さんがにいなちゃんを抱えて梯子を伝って下りてきた、
そのことに動揺した犯人が、今度こそとどめを刺すべく、執拗に刃物を振り下ろした、
途中で刃物がグニャリと曲がるわで、なかなか思うように刺せない、致命傷とならない、
一方の泰子さんは、最後の力を振り絞って(子供を守らなければならない)腕を振り回し、徹底的に抵抗したでしょうし、
壁一枚隔てた隣に姉夫婦が住んでいるわけですから、それはもう、叫び声をあげまくったに違いなく(よくできた防音構造が仇となった)、
その叫び声が上がるごとに、犯人としては、「声をたてられてはならない」という焦りから、ますます泰子さんの顔付近に刃物を振り下ろした、
泰子さんがこと切れた後も刺し続けた形跡がある・・・というのは、犯人には相手の脈が止まった瞬間は分かっておらず、
ただもう、「今度こそ、確実にとどめを刺さなければ」という激情に駆られて刃物を振り下ろし続けた、ということではなかったかと想像します。
礼君については、一人だけ扼殺(手で首を絞めた)ということで、
これは、他の3人の殺害方法と比べれば、残虐度において低いと思われるようで、
それゆえに犯人は、礼君に対して何らかの同情というのか憐憫というのか、とにかく、「楽に逝かせてやりたい」みたいな気持ちがあったのではないか、
とすると犯人は、例えば発達障害のことなどを通じて礼君(宮澤家)と接点があったのではないか・・・
ということが言われたりして、その見方もあると思うのですが、
私が思うに、犯人は別に礼君に対して同情心その他を持っていたわけではなく、
おそらくは、中2階風呂窓からの侵入直後に最初に対面した相手、ということで、まだ刃物をふるう準備ができていなかったこと、
加えて、その相手が幼児一人だったことなどから、刃物を取り出して刺すという形ではなく、とっさに左手を口に、右手を首にかけるという形になったのでは、と想像します。
しかし、その見方に立つとしても、
それではなぜ、侵入直後に最初に(幼児とはいえ)相手に対面した時点で、刃物をふるう準備ができていなかったのか、
さらに言えばなぜ、刃物をふるう準備ができていないにもかかわらず、子供部屋へと踏み込んだのか・・・
あくまで仮定の話ですが、もしかするとそのあたりに、
この事件の全体像を読み解くヒントがあるのではないか、という気がしています。