(世の中には一風変わった性癖の人もいる・・・山深い廃屋で大量に切り刻まれたエロ本)
ワラビの記事が一段落して、あと気になる事件としては、名古屋市中川区の妊婦切り裂き事件(1988)と霧積山女性殺人事件(1972)の二つを残すのみ、ということで、いずれの事件についても近いうちに記事で取り上げてみたいと思うのですが、
前者については、たぶん多くの方がお感じになっているように、おそらく犯人は現在別件で刑務所の中にいるのではないかと思っており、
また霧積については、山峡の秘湯として知られる土地を舞台に発生した悲劇ということで、つい妄想を掻き立てられてしまうものの、犯行態様や動機自体はそう珍しくはない型だと思われることもあり、
記事で取り上げるにしても---あまり妄想を逞しくせず---さらっと概要を紹介するにとどめてみたいと思います。
とにかく、カアイソウの怪文書から始まってワラビに至るまで、気になる事件についてはほぼ書き終えたせいか、「このあたりで、他の事件を」と思う気持ちがふと湧きましたので、今日は発生から丸15年を迎えたということもあり、あの、
「世田谷一家殺害事件」
について考察をしてみたいと思います。
といっても、この事件についてはウィキペディアを見ても知らないことが多々あるというほどの門外漢なので、伝えられているところの---その真偽は不明ながら---事実を矛盾なく組み立てながら全体像を描き出すというようなことは、自分には難しいと思いました。
なので事件に関する多くの”事実”の中でも、特に謎と思えるところを一つか二つ抜き出し、それへの私見(妄想ですが)を述べるにとどめてみたいと思うのですが、まず、
「アイスをスプーンを使わずに、カップを握りつぶし、中身を絞り出すようにして食べたのはなぜなのか」
ということについては、すでに言われているように、
「スプーンを持てない~持つのが嫌になるほどの怪我を手に負っていたため、やむなく怪我をしていない方の手でカップを握りつぶし、絞り出して食べた」
ということなのかなと想像します。
アイスを少なくとも4個食べたらしいということで、深夜の食べつけない時間帯にこれをやると、きっとおなかは、
「きゅるきゅるきゅるぅ~・・・」
となってしまったのではないでしょうか。
トイレに駆け込んだことと思います。
緊張のため、昼間からおなかに詰まっていたインゲンの胡麻あえも出てしまったかと。
しかしこういったことよりも自分的に謎だと思うのは、浴槽に放り込まれていた書類のことで(他にもいくつかのものが放り込まれていたそうですが)、しかもどうやらそれらの書類は、手で引きちぎられたり、あるいはハサミで切られたりしていたらしい・・・ということなのでした。
例えば強盗が「押し込んだ家に長時間居座る」であるとか「現場で食事をする」であるとかは、他の強盗殺人事件でもありそうな気がするのですが、このように書類を手で引きちぎり、あるいはハサミで切って浴槽へ放り込むというのは・・・
事実なんでしょうか?
(いちおうYoutubeに出ていた浴槽に浮いた書類等の写真を見ましたが、それら書類が、引きちぎられたりハサミで切られたりしているかどうかは、よくわかりませんでした)
しかし、誤報だガセだと言ってしまえば話が続きませんので、事実だと仮定してみるとして、手でちぎるとかハサミで切るといってもどの程度なのか、その細かさによって、こちらの受け取り方も変わると思うのですが、仮にもし、かなりの量の書類が執拗に細かく引きちぎられていたり、あるいはハサミでかなり細かく切り刻まれていたとすれば、その理由はどういうことが考えられるのだろうか・・・
ということを考えてみると、もしかすると犯人は、
「猟奇」「エロ本小屋」
で検索を掛ければ出てくる廃墟マニア氏のサイトに登場したあの
「エロ本小屋の主」
のような特殊な性癖の持ち主だったのかな、ハサミで紙を切り刻むことになにか異常な興奮を覚える性質(たち)の人で、4人殺害の興奮冷めやらず、おもわず脱出口でもある風呂場に書類を大量に持ち込んでハサミで切り刻み、さらなる興奮を得ると同時に、殺害の余韻に浸っていたのかな・・・
などとも想像するわけですが、世田谷の犯人がそう都合よくそんな性癖を持ち合わせていたのだろうか、ということを考えると、どうも現実感に欠けるような気がします。
とすると他に何が考えられるのかというと、「書類を仕分け」していたのでしょうか?
しかし、「書類の仕分け」なら必要な書類を手元に残して不要なものを浴槽に放り込む・・・そこまでは理解できるとしても、「不要な書類を引きちぎったりハサミで切る(切り刻む)」必要まではないと思われ、なにか、書類の仕分けをしていたというのも、腑に落ちないものがあるのでした。
やはり、引きちぎったであるとかハサミで切った(切り刻んだ)うえで浴槽に放り込んだのが事実であれば、それは「その書類を読めなくする」つまり「証拠隠滅」のために行ったと見るのが、自分的には違和感が少ないように思われます。
「違和感が少ない」というのは、それでもやはり「違和感は残る」ということで、引きちぎったりハサミで切ったり(切り刻んだり)して浴槽に放り込んだところで、
「その書類を読めなくすること(つまり証拠隠滅)にはならないのではないか、破れたり切られたりした部分をつなげられてしまえば終わりではないか」
と思うのであり、「破って切って水につければ、読めなくなるだろう」と考えていたとすれば、この犯人は大人の平均レベルにも遠く及ばない、ちょっとどうかしているレベルの、ほとんど3歳児並みの知識の持ち主だった、ということが言えるのではないかと思います。
しかしこの犯人の知識は本当に3歳児並みだったのか・・・
というとそれはけっこう疑わしく、たとえば、被害者の免許証などを並べてキャッシュカードの暗証番号を推測しようとした形跡(ノートに直筆?)があるようですし、
その他にも、どうやらマウスを動かすであるとか、あるいは、コンセントを抜けば電源が落ちる程度のパソコンの知識はあったようですし(翌朝逃走の場合)、
電話線を抜いていたといいますから、それを抜けば電話がつながらなくなる程度の電話の知識もあったものと思われ、3歳児並みというにしては、けっこう大人としての知識も普通に持ち合わせているような感じなのでした。
もし仮に、この大人としての知識を普通に持ち合わせているであろう犯人が、書類を引きちぎったりハサミで切って(切り刻んで)浴槽に放り込む行為に、
「書類を読めなくする」「証拠隠滅」
の意図を”本心から”込めて行っていたとすれば、さすがにそれは稚拙過ぎる行為なのであって、その「稚拙過ぎる行為」と「どうやら大人としての知識を持ち合わせているらしい犯人」・・・
この二つの矛盾をどう考えればいいのかと困惑してしまうのですが、ここで少し視点を変えて、仮にこの「書類を手で引きちぎり、ハサミで切り(切り刻み)、浴槽に放り込む行為」を、
「犯人が”捜査かく乱”のために、意図的にやって見せた行為」
だと解すれば、その行為からはとりあえず3歳児並みの幼稚さは消え、「大人としての知識を有するであろう犯人」として矛盾のない行為---たとえそれが浅知恵だとしても---に見えてくるのではないでしょうか。
ではこの行為の何が”捜査かく乱”になっているのかというと、書類が大量に引きちぎられ、ハサミで切られ(切り刻まれ)、浴槽に放り込まれていた場合、人はこの状況から何を想像するのかというと、おそらくまずは、
「犯人が、書類の証拠隠滅をしたのだろうな」
「書類の中に、犯人にとって都合の悪いものがあったのだろう」
ということだと思うのですが、その判断の根底には、
「犯人は、その棄損されていた文書になんらかの関係のある人物だ」
「犯人は、日本語の文章を普通に読める人物だ」
「日本人だろう」
というたぐいの強い思い込みが生じると想像されるのであり、警察や世間の人々の間にこの思い込みを醸成することでどんな犯人が得をするのかというとそれは、
「その棄損された文書に全くなんら関係を有しない犯人」(赤の他人、行きずり、流し)
「日本語を全く読めない犯人」(多分に、外国人)
「日本語を、ほとんど読めない犯人(硬い文章は全く無理レベル)」(多分に、外国人)
等々なのかな、と思うわけです。
そして聞くところによると、
「宮沢さんの仕事関係書類のみならず、広告~チラシのたぐいまでも引きちぎられ、あるいはハサミで切られて(切り刻まれて)浴槽に放り込まれていた」
という事実があるからには、その行為は、
「被害男性~被害女性の仕事関係の書類を選別し、その種の書類をことさらに引きちぎったりハサミで切って(切り刻んで)みせることによって”仕事上の関係者(棄損された文書に関係した人物)”を装ってみせた」
というよりも、むしろ、
「日本語の書いてある紙ならとにかく何でもいいから引きちぎり、切って(切り刻んで)みせた」
(自分が引きちぎり切り刻んでいる紙に何が書いてあるか、実はよく分かっていなかった)
ということのようであり、だとすれば犯人の狙いは
「宮沢さんの仕事上の関係者(棄損された文書に関係した人物)を装ってみせる」
ということではなく、むしろ、
「犯人は日本語を普通に読める人物だな(多分に、日本人だ)・・・という強い思い込みを捜査側に生じさせること」
だったのであり、
では捜査側にそういう思い込みが生じることでどういう犯人が得をするのか、というとそれは、
「日本語を全く読めない~ほとんど読めない犯人」
なのであり、往々にしてそれは、
「外国人」
ということなのかな、と思ったりします。
しかし外国人は外国人でも何系の外国人かまではわからず、それは他の物証などにより推測する以外にないのではないかと。
おそらくこの犯人は、日本語の書いてある紙をとにかく引きちぎりハサミで切る(切り刻む)ことによって、
「日本語を普通に読める人物」「日本人」
を装いたかったと思うのであり、
そうである以上、もし仮にこの犯人がシュレッダーというものを知っており、なおかつ宮沢さんの家の目立つところにシュレッダーが据えられていたら、この犯人は大量の紙を---手でちぎったりハサミで切る(切り刻む)のではなく---そのシュレッダーにかけてみせただろうと思います。
するとどうなるかというと、事件発覚の朝、シュレッダーに残された血の付いた犯人の手形や、犯人の指紋、そしてそこでシュレッドされた大量の紙くずを見て捜査陣は、
「書類に関係した人物だな。仕事上のトラブルによる怨恨か」
「いずれにしても日本人だ」
という先入観を抱くことかと。
いずれにしても、そうまでして日本人を装ったとすれば・・・
この犯人にとっては、日本の警察の捜査など実はわりとどうでもよく、どうせすぐに帰国(密航者?)するのであり、それゆえに遺留品---大半は盗品かと妄想---などどれだけ残そうと気にもならず、ただ恐れていたのは「母国の警察」のみであり、
おそらくは母国で常習窃盗によって収監されたこともあり、殺しの素人ながらも、1~2人程度を殺す強盗殺人事件(未解決)をすでに起こしており、指紋やDNAも母国のデータベースに載っているこの男からすれば、世田谷の事件---露骨に自分の血液を現場に残してしまった---で最も回避したかったのは、
「外国人であることがばれ、外国人犯罪として国際手配されること」
「外国人犯罪として、母国に指紋~DNAの照会をされ、逮捕の上で日本に引き渡しがなされること」
だったのかもしれず、現実に死刑の可能性に晒されている身としては、「母国と日本との間に犯罪人引き渡し条約が結ばれているだろうか」とか、あるいは、「母国がもしかしたら自分をかくまってくれるかもしれない」とかの悠長な考えに思い至る余裕があったとも思えず、この男はただただ、
「外国人であることがバレて国際手配されてしまうこと」
「母国で逮捕され、日本に引き渡されてしまうこと」
これをのみ心配したのであり、この事態を防ぐためには
「日本人による犯罪を装ってみせる」
必要があったのであり(こういうことは、事件直後に冷静になってから思いついたのかもしれませんが)、そのため、宮沢さんの仕事関係の書類から広告チラシに至るまでの大量の日本語印刷物を(脱出口でもある)風呂場に持ち込み、「証拠隠滅」のフリをして引きちぎり、あるいはハサミで切って(切り刻んで)は、水の張った浴槽に放り込んで見せた・・・
ということだったかもしれません。
そう考えてみると以前、
「カネカネ キンコ!」
という片言の日本語を使う、「なりすまし日本人」による強盗が話題になったことがありますが、世田谷の事件におけるこの、
「書類を引きちぎり、ハサミで切って(切り刻んで)浴槽に放り込む」
という行為は、もしかすると、犯人が日本語のネイティヴ~日本人を装うために行った、
「世田谷一家殺害事件版 カネカネキンコ」
といえる行為だったのかもしれない、などと思いました。
書類を引きちぎりハサミで切り(切り刻み)ながら、犯人がまさか「カネカネ キンコ!」と口走っていたとは思いませんが、自分的には、
「日本語が喋れるふりをして日本人になりすます」(カネカネキンコ)
「日本語が読めるふりをして日本人になりすます」(書類引きちぎり、切り刻み浴槽放り込み)
形は違えどいずれも、
「日本人になりすまし、外国人である自分への捜査の目を逸らす」
という目的においては共通しているのではないか、という風に思ったりします。
以上、大ハズレの推理である可能性もあるとは思います。
書類を引きちぎり、ハサミで切って(切り刻んで)浴槽に放り込む行為には、他に何かの目的があったのかもしれず、あるいは単に犯人の酔狂、一時の気の迷い、趣味、ストレス発散のためになされたかもしれません。
またそもそも、
「書類を引きちぎり、ハサミで切る(切り刻む)行為自体が存在しなかった」
ということも考えられます。
前提となる事実の有無が未確定なのであり、そうである以上、「外国人がやったんだろう」などと決め付けるものではない、ということは申し上げておきたいと思います。
自分としては、この凄惨な事件について、どこの国籍の人間が犯人であるか、ということにはさほど興味はなく---この事件についてはその方が腑に落ちたので外国人説を採りましたが---文中で推測したように外国人による犯行であろうと、あるいはその逆に日本人による犯行であろうと、
どの国の人間といった話はともかくとして、
ただただ早く捕まえてほしい、その思い以外にはない・・・
というのが正直なところです。