金沢スイミングインストラクター殺人事件・その2 | 雑感

雑感

たまに更新。ご覧いただきありがとうございます。(ごく稀にピグとも申請をいただくことがあるのですが、当方ピグはしておりません。申請お受けできず本当にすみません)

金沢スイミングインストラクター殺人事件
金沢スイミングインストラクター殺人事件

1枚目は、事件の約1か月前に撮影された金沢スイミングクラブ三十苅教場付近の航空写真。2枚目は、現在のグーグルマップで見る同一エリア。こうしてみると、現在のほうが建物の数は多いにせよ、基本的にはそれほど変わっていないのではないかと。)

 

※※ パソコンからご覧の場合で、画像によってはクリックしても十分な大きさにまで拡大されず、画像中の文字その他の細かい部分が見えにくいという場合があります(画像中に細かい説明書きを入れている画像ほどその傾向が強いです)。その場合は、お手数ですが、ご使用のブラウザで、画面表示の拡大率を「125%」「150%」「175%」等に設定して、ご覧いただければと思います※※

 

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では、「その1」からの続きということで・・・、

■ 遺体発見前後の様子は、次のような感じ

(ソースは地元の消息筋・・・後で明記します)

 

・1992年9月30日(水)、仕事を終えた千穂さんは、

午後7時15分ごろに、金沢スイミングクラブ三十苅教場の職員駐車場2番枠に後ろ向き駐車してあった自車(黒色ミラージュ・ファビオ)に乗り、駐車場を出て右側にハンドルを切り、自宅の矢頃島とは反対方向にある山側に向けて出て行った。

(職員駐車場から車で出ていく千穂さんを、同僚のコーチが目撃していたが、これが千穂さんの生前最後の目撃となった。
また、「山側に向けて出て行った」という点について、千穂さんが帰宅するときは、駐車場を出て左側にハンドルを切り、駐車場のすぐ西側にある北陸鉄道石川線の踏切を渡り、

つまり、いったん海側に出て、そこから矢頃島の自宅に向かって南下していくのが日常の帰宅風景だったが、この日はいつもとは逆方向に車を走らせたことになる。)
金沢スイミングインストラクター殺人事件
(赤ピンの先が、遺体が発見された駐車場のある位置。その日、仕事を終えた千穂さんは、午後7時15分ごろにこの駐車場を出て、いつもの帰宅時とは逆の方向---山側・画像向かって右側---にハンドルを切り走り去ったという)

・同日(9月30日)、夜の11時になっても千穂さんが帰宅しなかった。

 

・安實家のしつけは厳しかったらしく、娘たちは普段から、帰宅が遅れるときは必ず家に遅れる旨の電話を入れていた。

 

・連絡もなく帰宅が遅れている千穂さんを心配し、千穂さんの母や姉は、千穂さんの同僚コーチ数人に電話で問い合わせてみたが、「(千穂さんは)いつもと変わることなく、普段通りに帰った」との返事しか得られなかった。

・母親は千穂さんを探しに行くことに決めたが、その前に、外出中の夫(千穂さんの父親)に対して、ポケットベルで呼び出しをした。「千穂の帰りが遅いので、探しに行くから(家に)早く帰ってきて」と伝えるためだった。

 

・その時、千穂さんの父親は街の飲み屋で、知人が打っている麻雀を横目に世間話をしていた。ポケットベルからの呼び出しに対し、父親は家に電話を入れた。
その後、友人からの「何の電話やった?」との問いに対して、父親は「なんでか、母ちゃんが早く帰ってこいと言っとる」と答えた。

 

・上の電話でのやり取りの後、千穂さんの母親と姉(3人姉妹の長女)は、車で千穂さんを探しに出かけた。

・母親と姉は、まず自宅近くの「松任グリーンパーク」という公園の周りの駐車場を見て回った。
(松任グリーンパークは千穂さんの実家と同じ矢頃島町にあり、千穂さんの実家から直線距離にして200~500m程度の範囲の、ほど近いところにある。
同公園について、グーグルで画像検索してみると以下のような感じ。ネットに多数情報あるので、確認いただければと。)
金沢スイミングインストラクター殺人事件
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(2枚目の白黒画像は、事件から約1年7か月後の1994年5月28日に撮影されたもの。
松任グリーンパークは、その敷地内にあるグランドとか、池や遊具などのある広場・テニスコート・見晴台・その他、様々な施設の総称のようなものらしい。
同公園からほど近い水色のエリアに、千穂さんの実家がある。)

・次に母と姉は、千穂さんの勤め先である金沢スイミングクラブ三十苅教場(金沢市三十苅町)へと向かった。
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(矢頃島町から、金沢市三十苅町にある千穂さんの職場へ。2点間の距離は、直線で5km弱離れている。)

・矢頃島町から金沢スイミングクラブ三十苅教場へと向かうと、到着直前に「北陸鉄道石川線」の踏切がある。
母親は、過去に一度だけこの踏切を通ったことがあったらしかったが、
「たしか、このあたりに娘(千穂さん)の勤め先があった」と言いながら、線路向こうの暗がりに目を凝らした。
すると線路のすぐ向こう側は駐車場になっており、そこにスイミングクラブの名前が大きく書かれたマイクロバスが止まっていた。(そこが三十苅教場の職員駐車場だった)
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(母親らは線路向こうの暗がりに目を凝らしてみた。画像はイメージ)

・その駐車場に、見覚えのある黒色の小型乗用車1台が、白線をまたぐようにして、斜めに止まっているのが見えた。(前出。黒色の三菱ミラージュ・ファビオ、3ドアハッチバック。)
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・駐車場に車を乗り入れた母と姉は、車から降りて、黒色の小型乗用車に歩み寄った。(黒色小型車のエンジンはかかっていなかった)。
車内を覗き込んだところ、助手席のリクライニングシートを倒して、眠るかのように仰向けで目を閉じている千穂さんを発見した。

・母親が、千穂さんが身を横たえていた助手席側のドアを引くと、鍵がかかっていて開けることができず、やむなく運転席側へまわってドアを引いたところ、ドアが開いた。

 

・母親は運転席から上半身を乗り入れるようにしながら、助手席の千穂さんに、「こんなところで寝ていたら風邪を引くよ」と呼びかけ、千穂さんの肩を軽くつかんで揺り起こそうとした。

しかし千穂さんの反応はなく、体のぬくもりも感じられず、ルームランプの明かりで、千穂さんの首に帯状の痕がうっすら付いているのが見えた。

・驚いた母と姉は、道路向かいの額中央ビル1階にあった営業中のスナックに飛び込み、店内のカラオケの音楽を遮るように「娘が死んでいる!」と叫んだ。
(額中央ビルは6階建て。2~6階が賃貸マンション、1階がたこ焼き屋やスナックとなっていた)

 

・スナックのママが110番通報した。
(当該110番通報は、石川県警察本部通信指令室の110番受理台に、午前0時53分になされた)
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(母親らは駐車場の道路向かいにある営業中のスナックに飛び込み、娘の死を叫んだという。画像はイメージ)

・遺体発見時(10月1日の午前1時少し前)には雨は降っていなかったが、同日明け方から、一時的に土砂降りの雨が降った。
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(とはいえ、気象庁のデータにはその明け方の土砂降りの雨は記録されておらず、1日未明から明け方にかけてのお天気マーク〈天気記号〉は、快晴や晴れのそれとなっている。
遺体が発見された金沢市三十苅町の駐車場あたりでは、明け方に土砂降りの雨が降ったが、金沢市内の別の場所にあると思われる気象観測点あたりでは、雨は降らなかったということだろうか? よくわかりません)

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■ その後の捜査で判明した事柄
(これまでの情報と重複あり。

地元の消息筋をソースとした情報が多いですが、その他のネットで拾える情報についても、何らかの書籍で裏が取れた---と言えるかどうかはわかりませんが---ものについては掲載しました。その種の情報については、末尾に"(未解決本)"と記しています。詳しくは頑張ってググってみてください)

 

・1992年9月30日(水)、仕事を終えた千穂さんは、

午後7時15分ごろに、金沢スイミングクラブ三十苅教場の職員駐車場2番枠に後ろ向き駐車してあった自車(黒色ミラージュ・ファビオ)に乗り、駐車場を出て右側にハンドルを切り、自宅の矢頃島とは反対方向にある山側に向けて出て行った。(消息筋)

(職員駐車場から車で出ていく千穂さんを同僚のコーチが目撃していたが、これが千穂さんの生前最後の目撃となった。
また、「山側に向けて出て行った」という点について、千穂さんが帰宅するときは、駐車場を出て左側にハンドルを切り、駐車場のすぐ西側にある北陸鉄道石川線の踏切を渡り、

つまり、いったん海側に出て、そこから矢頃島の自宅に向かって南下していくのが日常の帰宅風景だったが、この日はいつもとは逆方向に車を走らせたことになる。)

 

・事件当日(9月30日)の千穂さんの退社時間は、午後6時45分だった。(未解決本)

 

・千穂さんが職員駐車場から車で出て行った時間について、「千穂さんの同僚の一人(男性コーチ)が、午後7時20分に、千穂さんの車が(職員駐車場から)自宅とは逆の方向に走っていくのを見た、と証言した」。(未解決本)

 

・上記男性コーチによると、「(自分は)千穂さんの車とすれ違っただけで、周囲も暗かったために、同伴者がいたかどうかはわからなかった」。(未解決本)

(この男性コーチが徒歩だったのか、車に乗っていたのかは不明)

 

・退社時間や駐車場を出た時間について、「安實さんは9月30日午後6時45分にスイミングクラブを退社し、午後7時25分に、安實さんが自家用車を運転して自宅方面とは逆の方に走ってゆくのを同僚が目撃している」とのネット情報がある。

 

・千穂さんの車が遺体発見現場である金沢スイミングクラブ職員駐車場2番枠に戻されたのは、午後8時45分頃とみられている。(消息筋)

 

・犯人は、職員駐車場の2番枠に車を放置する際、3番枠のラインをまたいで、1番枠に止まる遅出出勤のコーチの車に接触するまでに近寄り、駐車場と隣の農地を仕切る境界ブロックにフロントバンパーを当てるように、斜めに駐車していた。(消息筋)

 

・「車は、千穂さんがいつも止める南向きの入り口から2列目の場所に置かれていた」「(犯人は)わざわざ彼女がいつも止めているスペースに車を戻している」。(未解決本)

 

・その時の車の状況について、「車は正面から突っ込むような形で止められており、タイヤ止めもかなりずれていた」。(未解決本)

 

・千穂さんの車が職員駐車場に戻されていた時刻について、午後8時50分に(千穂さんの車が職員駐車場に戻されているのを)目撃した同僚がおり、その同僚は、「千穂さんの遺体が発見されたときと同じ状態で車が置かれていた」と証言している。(未解決本)

 

・千穂さんの同僚3人が、千穂さんの車が職員駐車場に止められているのを午後9時35分に見た、と証言している。その3人のうち1人は、「自分の車の横に千穂さんの車が止められていたが、車内の異変には気づかなかった」と証言している。(未解決本)

 

・「(千穂さんの同僚らによる)目撃証言から、千穂さんの車が職員駐車場になかったと断言できるのは、午後7時20分から午後8時50分の1時間半だけである」。(未解決本)

 

(※ブログ筆者注: 情報により時間に少しずつズレがある。余計なことながら、当方の感想的には、おそらく確かなのは、千穂さんが午後6時45分に退社し、午後7時15分~午後7時25分ごろに駐車場を出発していつもの帰宅時とは反対の方角に向けて走っていくのを同僚コーチが目撃していたこと、そして、午後8時45分~午後8時50分ごろに再び千穂さんの車が職員駐車場2番枠に戻されたこと等々かと。)

 

・1番枠に車を止めていた遅出出勤のコーチは、午後9時に仕事を終え、後片付けをして午後9時30分頃に帰宅するのが通常だった。(消息筋)

(消息筋的には、「犯人は、この遅出出勤のコーチが午後9時30分頃に遺体を発見するのを期待した」との見立てらしい)

 

・千穂さんの帰宅の遅れを心配した母親は、午後11時にスイミングクラブに電話し、午後11時30分にスイミングクラブの同僚に電話した。(未解決本)

 

・10月1日の午前0時30分、スイミングクラブを最後に退社した同僚の2人が、職員駐車場に止められた千穂さんの車を目撃していた。(未解決本)

 

・午前0時50分、母親と姉が遺体を発見し通報。(未解決本)

(ただし消息筋の明かすところによると、実際に110番通報したのは職員駐車場の道路向かいにあるスナックのママであり、時刻は午前0時53分とのこと)

 

・「(遺体が発見された)駐車場のスペースは29台で、遺体発見時には、他の車1台とスクールバスしかなかった」。(未解決本)

 

・遺体発見時、車の助手席側のドアと後部トランクのドアはロックされており、運転席側のドアのみロックされていなかった。(消息筋)

 

・エンジンはかかっていなかった。(消息筋)

 

・エンジンキーは鍵穴に刺さったままになっていた。(消息筋)

 

・シフトレバーはドライブの位置にあった。(消息筋)

 

・カーオーディオにはカセットテープがセットされており、音量を絞った状態で回り、青色の小さなランプが点滅していた。(消息筋)

(ラジオが流されていた、との情報もある → 未解決本)


・現金入りの財布が入った千穂さんのショルダーバックが、後部座席に置かれていた。(消息筋)

 

・千穂さんが仰向けに横たわっていた助手席側には、その足元に、千穂さんの左片方の靴が脱げた状態で転がっていた。(消息筋)

(右片方の靴は車内にはなく、後の捜査により別の場所で見つかった)

 

・遺体の髪などに、長さ3.8cmの白色毛糸2本が付着していた。(消息筋)

 

・その毛糸は、断定まではできないものの、富山県の業者が製造する帽子の梵天を作る毛糸に酷似している、との捜査結果が出た。(消息筋)

金沢スイミングインストラクター殺人事件

 

・またその毛糸について、捜査当初、「草木染などに使う、生成りの特殊な毛糸」との見立てのもと、製造元の割り出しを試みたが(716か所を捜査)、犯人検挙には至らず、「結果的に、その毛糸は特殊なものではなかった」。(消息筋)

 

・一方でその毛糸について、「市販されてない生成の毛糸」「毛糸は、脱脂も着色もされていない特殊な製品で、特定には至らなかったが、富山県内の工場で製造された子どもの髪飾りに使われている毛糸に非常によく似ていた。このことから、捜査の過程で、犯人は子供と生活している人物との見方も浮上した」とのネット情報がある。

 

・同じくその毛糸について、「(千穂さんの遺体には)生成の毛糸も付着していた。これは脂を抜く前の毛糸のことで、一般には市販されていない。千穂さんの所持品や行動範囲にも存在せず、犯人を特定する有力な遺留品と考えられている。捜査本部によって県内外の広範囲で、この生成の毛糸について捜索が行われたが、残念ながらはかばかしい成果はなかった」。(未解決本)

 

・千穂さんの遺体発見時の着衣は、黒色のビロード長袖上着に、紺色のジーンズ製オーバーオール。(消息筋)

 

・オーバーオールの下腹部あたりが縦に20cm刃物で切り裂かれ、一部、下着にも刃物が当たったと認められる傷があった。(消息筋)

 

・そのオーバーオールの切り裂かれた箇所の上に、買い物袋が乗せられていた。(消息筋)

 

・その買い物袋の中には、千穂さんが昼食の弁当として家から持って出ていたスパゲッティの皿が入っていた。

ただしこのスパゲッティについて、その日は勤め先で昼食弁当が出たため、千穂さんは昼食用に持ってきていたスパゲッティを昼に食べず、仕事が終わってから食べたとのこと。(消息筋)

 

・着用していたジーンズのオーバーオールと同じ生地の糸くずが、車内から発見された。(消息筋)

 

・車内ダッシュボード内に、まゆ剃り用のカミソリが入っていた。そのカミソリの刃にはプラスチックのガードが付いており、ガードに異常は見られず、これがオーバーオールを切り裂くのに使われていないことは明らかであり、オーバーオールを切り裂くのに使われたと思われる刃物は未発見のまま。(消息筋)

 

消息筋によると、「車内ダッシュボードに入っていたまゆ剃り用のカミソリは、オーバーオールを切り裂くのに使われていないことは明らか」とのこと。ただし、オーバーオールの切り裂きに、それ以外のカミソリを用いた可能性はあるかもしれず、次のような情報もある。

 

・「この事件のもっとも不可解な点は、千穂さんに暴行された形跡は見られなかったものの、着ていたオーバーオールや下着がカッターナイフのような鋭利な刃物で切り裂かれていたことだ。この刃物は女性がむだ毛を剃るときなどに使うカミソリが使用された可能性が高い」。(未解決本)

 

・衣服の切り裂きについて、ネット上には、「オーバーオールや下着はカミソリで切り裂かれており」として、衣服の切り裂きにはカミソリが用いられたとの記述も見られる。

 

・オーバーオールの肩吊りベルトには、その途中に長さ調整のための金具が付いており、さらにベルトの先端には留め金具が付き、着用するときにはベルト先端の留め金具を胸のボタンにかけるようになっているが、遺体発見時、左側の肩吊りベルト先端の留め金具が胸のボタンから外れた状態になっていた。(消息筋)

 

・オーバーオールの胸の部分は、上から20cmくらいが掛け合わせとなり、(その掛け合わせの部分は)ボタン3個で留めるようになっているが、その3個のうち、一番上のボタンが糸が切れて外れた状態になっていた。(消息筋)

金沢スイミングインストラクター殺人事件

(画像。おそらく、こういったタイプのオーバーオールではないかと。以前は石川県警のHPにオーバーオールの写真が公開されていたらしいのですが、当方は未見です)

 

・オーバーオールの下に着ていた黒色ビロード長袖上着の背中一面と、オーバーオールのお尻の部分に、泥が付着していた。(消息筋)

 

・「遺体の衣服には広範囲に泥がこびりついており、夜露にも濡れていた」(未解決本)

 

・司法解剖は金沢大学医学部法医学教室で行われた。(未解決本)

 

・死亡推定時刻は9月30日の午後8時前後。(未解決本)

 

・死因は、索状物(紐や縄のようなもの)で首を絞められたことによる窒息死。(消息筋)

 

・索状物で首を絞められた痕(索状痕)は、その両端とも耳の後ろあたりで消えていた。(消息筋)

 

・顎にも2センチほどの索状痕があり、皮下出血を起こしていた。このことから、1度目は顎に引っかかって失敗し、首を締め直したものと見られた。(未解決本)

 

・顔面が鬱血し、特に両目の周囲の腫れが酷かったことから、長時間に渡って絞められたものとみられる。(未解決本)

 

・索状痕について、「死者の右寄り後方からの牽引圧迫による」との解剖所見あり。(消息筋)

(紐か縄のようなものを被害者の前顎の下に回し、右耳の後ろのほうへ引き続けたことによりできたもの、との解剖所見)

 

・凶器の索状物は当初、
「幅、大略一糎位乃至大略四糎位までのやや強固で、表面に細かな折り目様が認められる索状物(幅およそ1cm~4cmくらいまでのやや強固で、表面に細かな折り目模様のある紐とか縄のようなもの)」

とされ、具体的に何が凶器であるかは長らく特定できていなかったが、事件発生から約10年後に、ある一人の刑事が捜査の洗い直しをする中で、絞殺に用いられた凶器は千穂さんが着ていたオーバーオールの左肩吊りベルト(幅4cm)である、との結論に至った。

千穂さんが着ていたオーバーオールを千穂さんの体格に似通った者に着せ、左肩吊りベルトをその首に回して絞める実験をし、首に残った痕跡を死体解剖時の頸部の写真と見比べた結果、その痕跡部位のすべてが左肩吊りベルトの幅、長さ、金具の位置に一致することが確認されたとのこと。
ただし、それを特定した刑事はその後、この事件の担当を外れ、その後も捜査を継続していた捜査本部は、オーバーオールの左肩吊りベルトが凶器であるとは最後まで断定せず、事件はそのまま迷宮入りした。(消息筋)

 

・衣服のお尻と前の部分に失禁(尿漏れ)の反応があるが、車内には尿の反応なしとの鑑定結果。(消息筋)

 

・遺体の乳房とブラジャーの上部分に、ABまたはB型の唾液が付着との鑑定結果。(消息筋)

(千穂さん自身の血液型はA型)

 

・「千穂さんの上半身についていた唾液から、B型の血液型が鑑定されている」。(未解決本)

 

・ブラジャーは何者かが無理に引き下ろしたかのように、通常の装着位置と思われる部分に付いた圧迫痕よりも下へ下がった位置にあった。(消息筋)

 

・同じく下着のショーツについて、そのゴムが一部、下のほうへ捲(まく)れた状態になっていた。(消息筋)

 

・強姦の痕跡は認められないとの鑑定結果。(消息筋)

 

・左頬と、左下あご付近、左腰部分に皮下出血。(消息筋)

(皮下出血とは、人が生きているときに殴られたり圧迫されたりした場合、毛細血管が破れて皮膚の下に出血すること)

 

・爪には、他人の皮膚片や血液などの付着は認められず。(消息筋)

 

・指紋について、千穂さんの車のダッシュボード内にあったカセットテープケースに、誰のものか不明の指紋が一つ付着。(消息筋)

(結果的には、この指紋が犯人逮捕に結びつくことはなかった。消息筋によると、これが犯人のものである可能性は低いとのこと)

 

・口の中の、喉と歯の裏側に、草の葉とメタセコイアの葉が、それぞれ一片ずつ付着していた。(消息筋)

 

・千穂さんのソバージュの髪にもメタセコイアの葉が絡まっていた。(消息筋)
メタセコイアのウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BF%E3%82%BB%E3%82%B3%E3%82%A4%E3%82%A2
メタセコイアは、日本では絶滅種であり「生きた化石」と呼ばれ、1949年に国と皇室が挿し木と種子を中国から譲り受け、日本国内の公園、並木道、校庭などに植えたという経緯がある。

ちなみに、超巨大に生育することで知られる北米原産の"ジャイアントセコイア"とは全くの別物。

 

・警察は、メタセコイアが植えられている場所を目指して殺害現場を探した。

その結果、旧松任市矢頃島町(現・白山市矢頃島町)の石川県農業試験場果樹実証圃の敷地の一角で---果樹実証圃の東側に接する農道(砂利道)から実証圃側に5mほど入り込んだ地点で---千穂さんの右片方の靴と毛髪を発見し、ここを殺害現場と特定した。(消息筋)

(この果樹実証圃は広さ約1万平方メートル、事件当時はリンゴ園として整備されていた。園の周囲には3mほどの間隔でメタセコイアが植えられていたが、木の間を通って園内には自由に出入りできた。メタセコイアは当時、高さ4m程の細木だったが、2007年の時効を迎えるころには高さ20m程に成長していたという)

金沢スイミングインストラクター殺人事件

金沢スイミングインストラクター殺人事件

 

・殺害現場の特定日は、10月2日の午後5時過ぎだった。(未解決本)

 

・「果樹実証圃に通じる未舗装の道路に生えている草が、安實さんの車の車体の底についていた草とも一致した」。(未解決本)

 

・発見された右片方の靴について、踵は泥で汚れ、そのつま先を果樹実証圃側へ、踵を農道側へ向けた状態で発見された。(消息筋)

(つま先西向き、かかと東向き)

 

・発見された毛髪は、引っ張って抜けたと思われるものがほとんどで、血液型などから被害者のものと認める、との鑑定結果。(消息筋)

 

・「殺害現場からは、千穂さんの頭髪数本と男性の毛髪以外にも、ナイロンシートや布きれ、ジュース缶、ティッシュペーパーなどが見つかっている。しかしこれらは事件に直接結びつく証拠品とはならなかった」。(未解決本)

 

・「果樹実証圃に入る道には柵が設けられているわけではなく、誰もが簡単に入ることができる」「(果樹実証圃は)嘱託の職員2名が果樹の管理にあたっていたものの、午後5時15分以降は無人で、夜間でも出入り自由の状態になっていたそうだ」。(未解決本)

 

・果樹実証圃の東側に接する農道(砂利道)の北側突き当りの路上から、千穂さんの車のタイヤと同じ模様のタイヤ痕が採取された。(消息筋)

 

・「絞殺した遺体を乗せて、車は再び発進した。(中略)果樹実証圃内の道をそのまま直進し、裏手の用水沿いに右折して隣町の鶴来町に入るルートをとった」。(未解決本)

(鶴来町はその後、2005年2月1日に松任市などと合併して白山市となった)

 

・果樹実証圃の東側に接する農道(砂利道)の奥に、ガソリンの給油チケットが捨てられていた。これを手掛かりに捜査した結果、その農道(砂利道)に、事件当日(9月30日)の午後9時半頃から午後10時頃までの間に、1台のアベックの車が入り込んでいたことが判明した。(消息筋)

(消息筋によると、このアベックが事件に関係しているということではなく、「このアベックの車が、その時間帯に、車1台分の幅しかない当該農道に入り込むことができた」という事実から、千穂さんや犯人の当夜の動きについてある種の推測が可能・・・ということらしいのですが、そのあたりについては、ここでは割愛します)

 

・距離的なことについて、千穂さんの右片方の靴が発見された果樹実証圃の敷地の一角は、
金沢スイミングクラブ三十苅教場の職員駐車場からは直線で5km弱離れており、千穂さんの矢頃島の実家からは、直線で700mほど離れている。

金沢スイミングインストラクター殺人事件

金沢スイミングインストラクター殺人事件

(1枚目は、遺体発見現場と殺害現場の位置関係、直線で5km弱。2枚目は1994年5月撮影で、千穂さんの実家と殺害現場のあたりを少し拡大したもの。千穂さんのミラージュファビオのタイヤと同じ模様のタイヤ痕が採れたのは、赤丸から画像向かってほんの少し右斜め上の路上と思われる)

 

・千穂さんは農協の生命保険に加入していた。ただしこれは、千穂さんの父親が農協の担当組合員として保険加入の実績を高めるために家族で一様に入っていたもので、保険の加入状況などに不自然さはなかった。(消息筋)

 

・千穂さんは毎日の出来事などを簡単に日記として書いていたが、事件発生の5か月前から書かれておらず、その理由は最後まで不明だった。(消息筋)

 

・「当時、千穂さんに特定の異性はおらず、水泳仲間に仲の良い男性の同僚がいた程度だったという。また退社後、金沢方面に出るのも、ショッピングや友達とカラオケに行くくらいだったそうだ。『身辺調査を進めれば進めるほど、千穂さんの堅実な行動ぶりが浮かび上がる』という警察関係者のコメントも肯かないわけにはいかなそうだ」。(未解決本)

 

・DNAによる捜査について、1992年の事件発生当時、他の都府県ではすでにDNA型による個人識別を犯罪捜査に利用しているところもあったが、石川県警はまだその段階にはなく、また、DNA型を識別するのに必要な試料(この事件においては唾液)の証拠の保全措置もなされていなかった。

そうである以上、例えば、2007年の時効前に新たな技術で当時の試料(唾液)からDNAを抽出できたとしても、それは不適切に(いわば雑に)管理された試料から抽出されたDNAということになり、法廷においては個人識別の証拠として使えないということになる。(消息筋)

(2007年の時効直前に、

「当時より進歩したDNA鑑定などの科学捜査も駆使し、事件解決に全力を挙げる(原文ママ)」

との警察談話がマスコミにより流されているが、試料の適切な保全措置がなされていなかったとすれば、「進歩したDNA鑑定を駆使し・・・」といった警察談話も、実は空しいもの---きつい言い方をすれば「ポーズだけ」---だった可能性もあるかと。 ← ブログ筆者の感想)

 

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■ 目撃情報

 

・事件当日(9月30日)の午後7時15分ごろ、千穂さんがスイミングクラブ職員駐車場から、いつもの帰宅時とは逆方向の山側に向けて車で走り去るのを、同僚のコーチが目撃していた。(消息筋)

(目撃時刻については、午後7時15分の他にも、午後7時20分、午後7時25分という情報もあり、若干の幅がある)

 

・事件当日の午後7時30分ごろ、黒色のミラージュ・ファビオが、金沢市内の「有松交差点」を左折するのが目撃されている。この車は、男性が運転し、助手席に女性が乗っていたという。(消息筋)

金沢スイミングインストラクター殺人事件

(画像向かって右上に有松交差点。スイミングクラブ職員駐車場からは---直線距離ではなく---約5km離れている。2点間には途中に信号がそこそこあり、グーグルによると、車での所要時間は14分となっている)

 

・事件当日の午後8時40分ごろに、千穂さんのものと思われる黒色のミラージュ・ファビオを目撃した女性がいる。

この女性が、金沢市「大額3丁目」の大通り(片側2車線)を自宅に向かって車を走らせていたところ(西進していた)、車の前方左側にある小道から黒色ミラージュが現れて大通りを左折したため、女性はこの車の後ろを追従する形になった。

この女性は日ごろから占いに凝っており、前を走る黒色ミラージュのナンバー4桁の合計数が、占い的な凶数である「19」になることに気づいた。

(千穂さんの車のナンバーは、「石川58 む 1954」。1+9+5+4=19)

黒色ミラージュは低速度で走っていたが、女性は、その黒色ミラージュに近づくのは災いのもとになると考え、追い越しをかけず、後ろから追従していた。

女性はそのまま100mほど低速度で黒色ミラージュの後ろを走り、電車の踏切を渡って右側にある深夜スーパーへと入り、黒色ミラージュと離れた。

黒色ミラージュはそのまま大通りを直進していったという。

この女性は、普段から同型のミラージュを「欲しい車」と思って興味を持っていたこともあり、車の特徴などについてもはっきり覚えていた。

また女性は、自車のヘッドライトで、前方を走る黒色ミラージュのリアウィンドー越しにその車内の様子を見ていたが、それによると、黒色ミラージュを運転していたのは、その後ろ髪からみて若い男と思われ、助手席については、背もたれシートが見えない状態で倒されていることも確認していた。(消息筋)

(この黒色ミラージュの「低速度」について、「時速20~30キロ」としているネット情報も見られる。いずれにしても、ノロノロ運転をしていたというのは間違いないかと。もしかすると、追い越し車線からさっさと抜き去ってもらいたいがためにそうしていたのか、という気もするが、よくわからない)

金沢スイミングインストラクター殺人事件

金沢スイミングインストラクター殺人事件

(1枚目は現在のグーグルマップより。2枚目は、事件の約1か月前に撮影されたもの。見比べてみると、大額3丁目から西に延びる大通りについては、当時と今とで、さほど変わってないように見える。地元の消息筋は、黒色ミラージュが姿を現した小道についてはっきりとは明かしていないが、その手記の中で、小道とその他の地点との位置関係や距離に関するいくつかのヒントと、あまり上手ではない図を示しており、それによると、黒色ミラージュが姿を現したのは、上のピンク色の〇で示した3つの小道のうちのどれかで間違いないかと)

 

・上の女性による目撃情報は確度の高いものと思われたが、反面、当時の捜査陣を混乱させたという。

というのは、黒色ミラージュは、とある小道から大額3丁目の大通りに現れたわけだが、その小道を南に(つまり黒色ミラージュが現れた向きとは逆方向に)500mほど曲がりくねりながら進んだ先に金沢スイミングクラブ三十苅教場の職員駐車場(遺体発見現場)があり、

仮に、午後8時40分ごろに女性が目撃した黒色ミラージュが確かに千穂さんの遺体を乗せた車だったとすれば、犯人の行動としては、

午後8時前後に矢頃島の農業試験場果樹実証圃で千穂さんを殺害(死亡推定時刻)、

そこから遺体を乗せた車(黒色ミラージュ)で北上を開始し、三十苅町の金沢スイミングクラブ職員駐車場あたりに至るもいったんそこをやり過ごし、

午後8時40分ごろに、大額3丁目交差点から西に延びている大通りに入ってしばらく西進し(この時に占いに凝った女性に目撃された)、

どこかの地点で再び南下して、午後8時45分~午後8時50分ごろに三十苅町のスイミングクラブ職員駐車場に車を放置したという、

いわば、外周を大回りするようなコースを辿ったことについて、当時の捜査陣は適切な理由を見いだしきれず、長らく謎のままとされたという。(消息筋)

(一部には、「遺体を乗せた車を放置するため職員駐車場に入ろうとしたときに、付近に人が居たため駐車場に入れず、いったんその場をやり過ごして、付近を1回りしていたのではないか」等の推理はなされていたとのこと)

 

・地元の消息筋が明らかにしていない目撃情報として、

「9月30日の夜、殺害現場である果樹実証圃裏の農道入り口に止まっていた白色カリーナ」

「9月17日の夜、スイミングクラブ駐車場で千穂さんの車に一緒に乗っていた男性」

というものがある。

これらの目撃情報は、時効1か月前の北國新聞(本社石川県金沢市)の記事中で触れられており、そこには、

「時効が迫る中、捜査本部が注目するのが白色のカリーナと安實さんの車に同乗していた男性。カリーナは事件当日の9月30日夜、殺害現場の県農業試験場果樹実証圃(現・農業総合研究センター)裏の農道入り口付近に止まっていたという目撃情報がある。男性は事件前の同17日夜、スイミングクラブ駐車場で安實さんの車に一緒に乗っていたところを目撃されているが、この同乗者やカリーナ運転手は判明していない。」

とある。

記事中では、白色のトヨタ・カリーナが「果樹実証圃裏の農道入口付近」に止まっていた時間帯については触れておらず、不明。

この点、地元の消息筋的には、殺害現場の東側に接する農道(当時は砂利道、幅は車1台分)で千穂さんと犯人が車2台で落ち合ったとする見方には、ある理由から否定的な見解を示しているが、そのあたりについてはここでは割愛します。

また、「男性は事件前の9月17日夜、スイミングクラブ駐車場で安實さんの車に一緒に乗っていたところを目撃されている」という点について、事件の約2週間前にこういうシーンが目撃されていたとすれば、この男性はけっこう怪しい気もするが、記事中にもある通り、この男性について、何者であったかは判明していない。

 

・また、消息筋が明らかにしていない別の目撃情報として、

「(遺体が発見された)駐車場から犯人らしき人物が逃走している姿を目撃した人がいないわけではない。毎日同じ時間にジョギングをしている会社員の証言によると、『午後8時50分頃、身長180センチくらいのスポーツマンタイプの男が、駐車場あたりから金沢の方向へ走っていくのを見かけた』という。20代前半とみられるその男は、慌てた様子で流しのタクシーを捜しながら、約1キロほど歩き続けて姿を消したそうだ」。(未解決本)

(その20代前半とみられる男の目撃情報として、『約1キロほど歩き続けて姿を消したそうだ』という部分の状況を想像しにくいのですが、とにかく、そういう目撃情報があったとのこと)

 

・ちなみに、現在の果樹実証圃敷地の様子は・・・

 

金沢スイミングインストラクター殺人事件

 

画像を見る限り、更地に・・・。

 

石川県農業試験場はその後、「石川県農業総合研究センター」となり、

矢頃島の果樹実証圃は、2004年度以降のいずれかの時点で廃止されたとのこと。

 

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■ まとめ

 

記事中、情報ソースの一つとした「地元の消息筋」について、

こちらは、この事件を実際に担当した石川県警の元刑事さん(N氏)のことです。

N氏が定年退職後の2011年、事件について認(したた)めた手記が

 

『千穂ちゃん、ごめん!---実録・殺人事件捜査の裏に隠された真実』

 

という電子書籍となっており(ブクログのパブー)、

情報の多くはここからとらせてもらいました。

 

N氏は、捜査本部が立った1992年10月から

捜査一課特捜係長としてこの事件の捜査に携わり、

1993年10月に他の事件に専念するためにいったん戦列を離れ、

小松、津幡、金沢東の3警察署の刑事課長を務めたのち、

2002年からの約2年間、捜査一課特捜班長として再びこの事件を担当した人物であり、

特捜班長時代には、過去の捜査についての徹底的な洗い直しをしたとのことで、

金沢スイミングインストラクター殺人事件については、最も詳しい人物の一人とみて間違いはないかと。

 

N氏としてはこの事件について、

世間に対し、あるいは警察の身内に対し、声を大にして伝えたいことがある一方、

立場的にそれは憚られるとして、目立たない形で関心のある人々にだけ---

この場合は有料電子書籍の形で---伝えることにした・・・とのことで、

当方的にも、N氏の名前や著書名をブログで大っぴらに出すことが憚られ、

なんとなくここまで、「消息筋」などとぼかして表記していました。

 

手記を読んでみて感じたのは、この金沢の事件も含めて

世間には「難事件」「未解決事件」とされる事件は多いですが、

実は、ややこしいのは事件そのものというよりは、

それを捜査する側の捜査指揮のまずさであったり、

あるいは、階級だのメンツだの保身だのが絡んだ人間模様であり、その人間模様こそが

一つの事件を「難事件(未解決事件)」化してしまう原因の一つとなっているのかもしれない、

ということでした。

 

ちなみにN氏としては、事件にまつわる様々な状況から、

千穂さんの交友関係内にあった、ある一人の人物をクロと見て迫っていたらしく、

N氏的な見立ても手記の中で紹介されていますが、

さすがにそこまでをこちらで紹介するのは遠慮したいですので、

関心のある方は、手記のほうで見ていただければと。

 

自分的には、ここでいつもの妄想を展開する気もありませんので、

この事件については、

このあたりで一区切りとしたいと思います。