香川女子高生殺人事件・その1 | 雑感

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たまに更新。ご覧いただきありがとうございます。(ごく稀にピグとも申請をいただくことがあるのですが、当方ピグはしておりません。申請お受けできず本当にすみません)

香川女子高生殺人事件

(弘法大師空海もその修築に携わったことで知られる香川県まんのう町の満濃池。かつてこの池に棲む龍神が小蛇に化けてひなたぼっこをしていたところ、鳶に化けた近江比良山の天狗がそれを拉致監禁したことでひと悶着起きたという。)

 

※※ パソコンからご覧の場合で、画像によってはクリックしても十分な大きさにまで拡大されず、画像中の文字その他の細かい部分が見えにくいという場合があります(画像中に細かい説明書きを入れている画像ほどその傾向が強いです)。その場合は、お手数ですが、ご使用のブラウザで、画面表示の拡大率を「125%」「150%」「175%」等に設定して、ご覧いただければと思います※※

 

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1997年3月に発生した表題の事件は、未解決事件について関心を持って調べている人々の間ではけっこう知られている事件だろうと思うのですが・・・なぜか、ウィキペディアには載っていません(たぶん)。

ウィキではなく個人でブログをされている方々のとこには結構載っているのですが、改めてこちらでも、この事件について地図や写真なんかを盛り込みつつ、概要だけでもまとめておく意味はあると思いましたので、今回、取り上げさせていただきます。

(97年発生につき、時効にはかからず、捜査継続中の事件です)

 

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1997年(平成9年)のカレンダー

香川女子高生殺人事件

 

この事件は1997年3月15日(土)の午後10時過ぎに、

香川県三豊郡詫間町松崎に住む県立高校1年女子・真鍋和加さん(当時16)がJR詫間駅近くのアルバイト先(ローソン詫間駅前店)で勤務を終えた後、

同店向かい側の路上で小雨の中、傘も差さずに一人立っているのをバイト同僚に目撃されたのを最後に行方不明となり、

3月17日(月)の午前10時ごろ、香川県仲多度郡琴南町川東焼尾の山林で他殺体となって発見されたというもの。

 

※ 和加さんの実家のある三豊郡詫間町(みとよぐんたくまちょう)は、2006年1月1日に周辺の6町と合併して「三豊市詫間町」となり、

遺体が発見された仲多度郡琴南町(なかたどぐんことなみちょう)は、2006年3月20日に周辺の2町と合併して「仲多度郡まんのう町」となっている。

 

それと、この事件は遺体発見日時がやや変則的で、

遺体が発見された琴南町川東焼尾の山林所有者は、3月16日(日)の夕刻に自己の山林内斜面に「マネキン」が不法投棄されているのに気づいたが、その時は午後6時を回っていたこともあってそのまま帰宅し、翌17日午前に最寄りの駐在所に「自己の山林にマネキンが不法投棄されている」旨を訴えて出たところ、それを受けた駐在署員が現場に赴き、それがマネキンではなく「人間の遺体」であることを発見したと。

(なので遺体発見日時としては「3月16日(日)の午後6時ごろ」などとすべきかもしれません)

 

下の図、赤ピンの先あたりが香川県三豊市詫間町。

他の諸都市との位置関係を確認いただければと。

 

香川女子高生殺人事件

 

大雑把ですが、行方不明現場や遺体発見現場その他の位置関係は下図の通り。

 

香川女子高生殺人事件

 

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■ 被害者の真鍋和加さんについて、わかっていることを列挙してみると、

 

・実家は香川県三豊市詫間町松崎(事件当時は三豊郡詫間町松崎)

 

・香川県立観音寺第一高等学校の1年生(当時16)

 

・家族構成(事件当時) → 両親と姉が一人いた。その他の兄弟姉妹がいるかは不明(情報拾えず)

 

・真鍋家は夫婦それぞれの給与所得のほかに、アパート経営などの別所得もあった。

 

・高校に通う時は、家から自転車でJR詫間駅まで行ってそこの駐輪場に自転車を置き、JR予讃線で高校のある観音寺駅まで行っていた。

 

・高校ではギター同好会に所属

 

・音楽が好きで、東京までコンサートに出かけるなどしていた。

 

・X JAPANのHIDEさんの大ファンで、骨髄バンクへの呼びかけなど、彼の積極的な社会活動にも共鳴していた。

 

・将来は音楽大学への進学を希望し、楽器のキーボードを欲しがっていた。

 

・キーボード代金の半額くらいは自分で捻出しようと、自宅から(直線距離ではなく)約1.3km離れたコンビニでアルバイトを始めた。

(このコンビニはローソン詫間駅前店。同店の2000年の住所は「香川県三豊郡詫間町松崎2780-67」とある。← 2017年3月現在と同一住所)

 

・同店でのバイト開始は1997年1月半ばごろから、勤務は週に1~2回程度。ほどなく目標金額を達成し、行方不明になった3月15日(土)はバイトの最終日だった。

 

・和加さんは通常、学校帰りに直接バイト先のローソンに出勤するということはなく、必ずいったん帰宅して着替えてから、自転車か徒歩でバイト先に向かっていた。

 

・携帯電話は持たず、連絡にはポケットベルを使用していた。

 

・「事件当時は髪を金髪に染めているとか、夜、遊び歩いていたなど根拠のないひどい報道もありましたが、本当に娘はまじめな性格で、知らない人の車に乗るような子ではないんです」。(父親談)

 

・「あの娘は黙って殺されるような子じゃないんです。正義感も人一倍強い子でしたから、おそらく犯人に対して相当きつい言葉を言ったと思います。普通ならその言葉がずーっと耳に焼き付いて離れないと思うんですが・・・。その言葉を思い出したら、何とか罪を悔いて自首してほしい」。(父親談)

 

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■ 和加さんが行方不明になった当日(1997年3月15日)の状況

 

・その日は土曜日で、高校の授業は午前中で終了した。

午後2時からサークル(ギター同好会)仲間たちの発表会がある予定だったが、

和加さんは姉が嫁ぎ先から姪っ子を連れて遊びに来る予定になっていたため

サークル仲間の発表会には顔を出さず、午後1時前には下校、

午後1時半前後に帰宅し、しばらくは姪っ子と遊んですごした。

 

・午後3時過ぎ、姉の車に乗せてもらい近くの町の本屋やコンビニに立ち寄った後、

午後5時前にバイト先であるローソン詫間駅前店まで送ってもらった。

(バイトの勤務時間は午後5時~午後10時だった)

香川女子高生殺人事件

(向かって右下、大きな水色の丸で囲んだエリアに和加さんの自宅。左上、水色の四角で囲んだところにローソン詫間駅前店。自宅とローソンは歩いて1.3km程度。ローソン前の水色とピンクの丸の部分については後述)

 

・当日は客の出入りも多く、和加さんが退店するところをはっきり覚えている人間はいないが、

タイムカードによると、和加さんのその日の退勤時間は「午後10時1分」となっていた。

 

・午後10時過ぎ、バイトの同僚が、迎えに来た家族の車に乗って帰宅する際、

ローソン詫間駅前店とは交差点を隔ててちょうど反対側の歩道で小雨の中、傘も差さずに立っている和加さんの姿を見た。

(これが、和加さんの生前最後の目撃情報)

香川女子高生殺人事件

(ローソン詫間駅前店あたりを拡大してみる。

水色の四角で囲んだ部分がローソン詫間駅前店。

枠中に2つの建物が写っているが、当方が調べた限りでは、下のは旧建物ですでに取り壊し済み、上のが新建物でこれが現在営業中の店舗。このグーグルの画像は少し古いのだと思われる。ちなみに新店舗は、

香川女子高生殺人事件

当方が参照した未解決事件本には、

「和加さんは、コンビニとは交差点を隔ててちょうど反対側の歩道にある電信柱のそばに立っていた」

「その電信柱のそばに目撃情報の提供を呼びかける立て看板が見える」

とあるので、私の感覚ではその位置は画像中のピンク丸のあたりかと思われるのだが、ストリートビューで見てみると、ピンク丸ではなく、水色丸そばの電柱に事件情報募集の看板が出ている。

見ての通り、この交差点付近は、ローソンの店舗あたりも含めて重機で掘り起こし中で、道路の拡張工事やそれに伴う建物移転などがあったらしく、97年の事件発生当時とは、いろいろなものの位置が微妙に変わっているのかもしれない)

香川女子高生殺人事件

香川女子高生殺人事件

(1枚目の画像は交差点を南側から望んだもの。「ローソンと交差点を隔てて向かい側」ならピンク丸の位置という気がするのだが、情報提供を呼び掛ける立て看板は水色丸の位置に出ている。2枚目の画像はその看板。2枚ともに2012年7月撮影のストリートビューからの画像。画像中のローソンは、現在取り壊し済みの旧店舗だと思われる)

 

※ ところがここで問題が・・・。

事件の約1か月後、1997年4月20日に空撮された画像を見てみると、上でローソンの旧店舗とか新店舗とか言っていたエリアには、建物が何もないように見える。私には建物が建っているようには見えないが、建っているのだろうか? 

香川女子高生殺人事件

仮に建物が建っていないとすれば、和加さんがバイトしていた1997年1~3月当時のローソン詫間駅前店は別の場所にあった可能性があると思い、調べてみると、同店は

「老朽化や道路の拡張などにより、2度の移転を経ている。2度目の移転を経たときに、新店舗として”三豊詫間駅前店”と改名した」

とあった(ググれば出ます。つまりローソン詫間駅前店として最初に開店したのをA店とすると、それが移転してB店となり、さらに2度目の移転で現在営業中のC店=改名して「三豊詫間駅前店」となったと)。

とすると、当方が先に「取り壊し済みの旧店舗」などと言っていた建物は、実は1度目の移転を経た時のB店であり、和加さんがバイトをしていたのはその前のA店だったのかもしれないなと。

とするとそのA店の位置はどこだったのか?ということになるのですが・・・

私としては、参照した未解決事件本にはこの交差点の写真を掲載しつつ「この交差点わきに和加さんがバイトしていた店舗があった」と書かれていますし、現にこの交差点わきに目撃情報の提供を呼び掛ける立て看板も立っていることもあり(ストリートビュー)、店舗の位置が事件当時とは変わってきているとしても、この交差点わきのどこかには違いないだろうとは思うのですが・・・。

ともあれ、和加さんがバイトしていたローソン詫間駅前店の位置を正確には特定できていませんので、そういった位置関係については微妙に間違えている可能性もあるということで、読み進めていただければと。

 

と書いていながらすみませんが、

さらに調べた結果、和加さんがバイトしていたローソン詫間駅前店の位置は、当初画像で示していた水色の四角で囲んだ位置で間違いはなく、和加さんが立っていたのはそれと交差点を隔てて向かい側にあるピンク丸の位置で間違いはないようです。

(混乱しました、すみません)

 

・和加さんはその日、姉の車でバイト先まで送ってもらった関係上、

帰宅する時は自宅に迎えの車を要請するか、約1.3kmを歩いて帰るか、

あるいは他の誰かに送ってもらうかという状況だったが、

自宅に迎えの車を要請する電話はかかっていない。

 

・それまで無断外泊などはなかった。

 

・バイト後に誰かと会う約束をしているという話もしていなかった。

 

・「3月のまだ肌寒い時期に、和加は薄い綿シャツ(Tシャツ、長袖)1枚で出掛けています。トレーナーでもなく、コートも着ていません。それに電話代の小銭を除けば、財布も持ってはいません。そんな状態で、夜どこかに出掛ける予定で行くわけは、まず無いと思うんです」。(母親談)

 

・その日はバイトの最終日だった。

 

・和加さんが勤務を終えた時刻頃の自宅の状況は、

父親は1階で、子連れで遊びに来ていた姉は2階で、それぞれすでに就寝していた。

確定申告の締切日(3月17日)が目前で、母親は居間で孫をそばに寝かせて申告書づくりをしているうちにいつの間にか寝入ってしまい、

翌日(3月16日)朝5時過ぎにふと目が覚めて玄関に行ってみると和加さんが履いて出ていた靴がなく、

不安になり2階の和加さんの寝室に行ってみるとベッドはもぬけの殻だったという。

 

香川女子高生殺人事件

(詫間町から5km前後離れている香川県多度津町の1997年3月15日正午~深夜にかけての気象データ。和加さんがバイトを終えた22時頃には多度津町の観測点の気温は10℃を下回っており、おそらく詫間町でも似たり寄ったりだったのではないかと想像される。

こういった状況の中、和加さんは当日、上は長袖Tシャツ1枚でバイトに出ていた)

 

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「その2」へ続く