※今回のブログには痛ましい内容や画像が出てくるので、
見たくない方は閉じてもらった方がいいと思います。
国際バスに乗って、ベトナムからカンボジアに移動する。
カンボジアのVISAは、国境でアライバルVISAを取れる。
行く前はカンボジアに対して恐ろしいイメージを持っていて
何か賄賂とかいるんじゃないかって思ってたけど、大丈夫だった。
着いたのはカンボジアの首都のプノンペン。
ベトナムの都市などに比べると規模は小さいが、想像していたより大きな都市だ。
大変失礼な話だが、車なんかも普通に走っていて驚いた。
普通の大きめの町。
カンボジアは今回の旅で是非訪れたかった国。
目的の一つは遺跡寺院である、アンコール・ワットを見る事。
そしてもう一つはこの国で起きた大量虐殺の爪痕を、この目で見る事。
カンボジアでは1975-1979年のポル・ポト政権下で、
過酷な強制労働や処刑で約200万人もの人たちが殺害された。
当時のカンボジアの総人口が800万人足らずなので、
実に国民の4分の1の人が殺された計算だ。
1979年なんてついこの間だよ、俺の生まれるちょっと前の話。
原始共産制(※1)を目指したポル・ポト政権が
大人を優先して殺害した事もあり、本当に町中で老人の姿をあまり見かけない。
町におじさん、おばさんはいるけど、おじいさん、おばあさんがいない気がする。
※1 すっごいざっくり言うと、資本主義は格差が出来ちゃうから
国民全員で人類初期みたいに狩猟採集をやって、採れたものは全員が共有しようぜって社会
かなり大きな思想の転換が必要になるので、近代社会の常識を持った大人たちが邪魔になる
ちなみに余談だけど、ポル・ポト政権当時、
医師、教師、技術者、眼鏡をかけている人(こんな理由でも!)などの知識人を全員処刑したため、
人材がおらず、子供兵士、子供看守、子供医者などが誕生する。
子供医者なんかもちろんまともな医療行為が出来るわけ無いのだけど、
実際に手術までやっていた。消毒もせずに。
当たり前のようにその後患者は死亡する。恐ろしすぎるだろ。。
まず、市内にあるトゥール・スレーン博物館を訪れた。
ここは元々学校だったものを、ポル・ポト政権が監獄として利用していた場所。
今は当時の惨状の記録を残す博物館として開放されている。
ここにはのべ2万名の人たちが投獄され、拷問された。
外観はこのように普通の学校に見える。
校舎の中に入ると、教室の内部には拷問用のベッドがあった。
むき出しのベッドの骨組みと、手錠と鎖。
ベトナム軍がトゥール・スレーンに侵攻する前に
看守たちが囚人のほとんどを殺して逃亡したため、
ここには拷問・殺害された遺体が放置されたままだったらしい。
隣の校舎の教室に移る。
ここには文字通り
囚人達がすし詰めで収容されていたようだ。
また別の教室には独房もあった。
教室をレンガと扉で仕切り、このように独房として使っていた。
拷問を受ける人たちの叫び声を聞きながら、
どのような気持ちで過ごしていたろうか。
別の教室では、拷問に使用していた器具も展示されていた。
そのうちの一つ。
このように使われていた。
その他、当時の拷問の様子、殺害の様子が
パネルで展示されている。
当時投獄されていた人たちの写真。
これを見ていると、本当に大人、子供、男、女関係がなかった事が分かる。
発見したベトナム兵が撮ったものであろうか、
痛ましく横たわる死体の写真も展示されていた。
次に訪れたのはプノンペン近くのキリング・フィールド。
約2万人が虐殺された処刑現場。
囚人たちはトゥール・スレーンからトラックでここに運ばれ、処刑された。
囚人たちは何も知らされず、移送されたらしい。
ちなみにキリング・フィールドとは、処刑場跡地の俗称。
ここだけではなく、カンボジアに何十とある。
中に入ってまず目に入るのは慰霊塔。
1988年に犠牲者を弔うため建立された。
塔の中にはここで発掘された遺骨が納められている。
おびただしい数の遺骨が、塔の上の方までびっしりと詰まっている。
ここが当時の処刑現場。これまでにここで多くの遺骨が掘り出されている。
今もなお多くの方の遺骨が埋まっており、
雨が降ると、遺骨や服が地上に出てくる事もあるとの事。
ここで穴を掘り、縁に囚人を座らせ、
次々にこん棒や銃で処刑して、放り込んでいたようだ。
後ろに並ばされて、処刑を待つ人の列が辛すぎる。
キリング・フィールドの中にある、
キリング・ツリーと呼ばれる大きな木。
赤ん坊をこの木に打ち付けて殺していたらしい。
ベトナム兵が肉片や脳みその欠片がこびりついている
この木を不審に思っていたところ、後々そのような事が発覚したとか。
キリング・フィールドを歩いていて
ふと足元に目をやると、骨や衣服や転がっている。
ここではオーディオ・レコーダーを貸し出してくれるので、
当時の説明や、生き残った方たちの体験談などを聞きながら、
見て回れるのだけど、本当に辛い。
人間はここまで非情になれるのだと、愕然とする。
処刑をやらされる兵士も壊れてしまったんだろう。
(兵士たちもやらないと自分が殺される)
恐怖と、ショックで、
感覚が麻痺して、洗脳されて、狂ってしまったんだよ。
人間の心なんてそんなに頑丈じゃない。
この地に刻まれた深い爪痕は、決して、癒える事はないです。
見たくない方は閉じてもらった方がいいと思います。
国際バスに乗って、ベトナムからカンボジアに移動する。
カンボジアのVISAは、国境でアライバルVISAを取れる。
行く前はカンボジアに対して恐ろしいイメージを持っていて
何か賄賂とかいるんじゃないかって思ってたけど、大丈夫だった。
着いたのはカンボジアの首都のプノンペン。
ベトナムの都市などに比べると規模は小さいが、想像していたより大きな都市だ。
大変失礼な話だが、車なんかも普通に走っていて驚いた。
普通の大きめの町。
カンボジアは今回の旅で是非訪れたかった国。
目的の一つは遺跡寺院である、アンコール・ワットを見る事。
そしてもう一つはこの国で起きた大量虐殺の爪痕を、この目で見る事。
カンボジアでは1975-1979年のポル・ポト政権下で、
過酷な強制労働や処刑で約200万人もの人たちが殺害された。
当時のカンボジアの総人口が800万人足らずなので、
実に国民の4分の1の人が殺された計算だ。
1979年なんてついこの間だよ、俺の生まれるちょっと前の話。
原始共産制(※1)を目指したポル・ポト政権が
大人を優先して殺害した事もあり、本当に町中で老人の姿をあまり見かけない。
町におじさん、おばさんはいるけど、おじいさん、おばあさんがいない気がする。
※1 すっごいざっくり言うと、資本主義は格差が出来ちゃうから
国民全員で人類初期みたいに狩猟採集をやって、採れたものは全員が共有しようぜって社会
かなり大きな思想の転換が必要になるので、近代社会の常識を持った大人たちが邪魔になる
ちなみに余談だけど、ポル・ポト政権当時、
医師、教師、技術者、眼鏡をかけている人(こんな理由でも!)などの知識人を全員処刑したため、
人材がおらず、子供兵士、子供看守、子供医者などが誕生する。
子供医者なんかもちろんまともな医療行為が出来るわけ無いのだけど、
実際に手術までやっていた。消毒もせずに。
当たり前のようにその後患者は死亡する。恐ろしすぎるだろ。。
まず、市内にあるトゥール・スレーン博物館を訪れた。
ここは元々学校だったものを、ポル・ポト政権が監獄として利用していた場所。
今は当時の惨状の記録を残す博物館として開放されている。
ここにはのべ2万名の人たちが投獄され、拷問された。
外観はこのように普通の学校に見える。
校舎の中に入ると、教室の内部には拷問用のベッドがあった。
むき出しのベッドの骨組みと、手錠と鎖。
ベトナム軍がトゥール・スレーンに侵攻する前に
看守たちが囚人のほとんどを殺して逃亡したため、
ここには拷問・殺害された遺体が放置されたままだったらしい。
隣の校舎の教室に移る。
ここには文字通り
囚人達がすし詰めで収容されていたようだ。
また別の教室には独房もあった。
教室をレンガと扉で仕切り、このように独房として使っていた。
拷問を受ける人たちの叫び声を聞きながら、
どのような気持ちで過ごしていたろうか。
別の教室では、拷問に使用していた器具も展示されていた。
そのうちの一つ。
このように使われていた。
その他、当時の拷問の様子、殺害の様子が
パネルで展示されている。
当時投獄されていた人たちの写真。
これを見ていると、本当に大人、子供、男、女関係がなかった事が分かる。
発見したベトナム兵が撮ったものであろうか、
痛ましく横たわる死体の写真も展示されていた。
次に訪れたのはプノンペン近くのキリング・フィールド。
約2万人が虐殺された処刑現場。
囚人たちはトゥール・スレーンからトラックでここに運ばれ、処刑された。
囚人たちは何も知らされず、移送されたらしい。
ちなみにキリング・フィールドとは、処刑場跡地の俗称。
ここだけではなく、カンボジアに何十とある。
中に入ってまず目に入るのは慰霊塔。
1988年に犠牲者を弔うため建立された。
塔の中にはここで発掘された遺骨が納められている。
おびただしい数の遺骨が、塔の上の方までびっしりと詰まっている。
ここが当時の処刑現場。これまでにここで多くの遺骨が掘り出されている。
今もなお多くの方の遺骨が埋まっており、
雨が降ると、遺骨や服が地上に出てくる事もあるとの事。
ここで穴を掘り、縁に囚人を座らせ、
次々にこん棒や銃で処刑して、放り込んでいたようだ。
後ろに並ばされて、処刑を待つ人の列が辛すぎる。
キリング・フィールドの中にある、
キリング・ツリーと呼ばれる大きな木。
赤ん坊をこの木に打ち付けて殺していたらしい。
ベトナム兵が肉片や脳みその欠片がこびりついている
この木を不審に思っていたところ、後々そのような事が発覚したとか。
キリング・フィールドを歩いていて
ふと足元に目をやると、骨や衣服や転がっている。
ここではオーディオ・レコーダーを貸し出してくれるので、
当時の説明や、生き残った方たちの体験談などを聞きながら、
見て回れるのだけど、本当に辛い。
人間はここまで非情になれるのだと、愕然とする。
処刑をやらされる兵士も壊れてしまったんだろう。
(兵士たちもやらないと自分が殺される)
恐怖と、ショックで、
感覚が麻痺して、洗脳されて、狂ってしまったんだよ。
人間の心なんてそんなに頑丈じゃない。
この地に刻まれた深い爪痕は、決して、癒える事はないです。