長距離バスに乗り、次の目的地ホーチミンまで移動。
ホーチミンはベトナム南部の大都市。
街をプラプラ観光していると、
「ホーチミン ハ ワルイヒト イッパイ ダカラ キヲツケテ!」と
怪しいおじさんに声をかけられた。
いやいやそれはお前の事だろう。って思いながらも
時間があったので、話を聞いてみた。
「フーサン ハ アンシン。ガイド スルヨ。シンジテ!」との事。
志村けんのガイドもした事があるとか何とか。
ここでも紹介文の書いてある手帳を見せられた。
フーさんの凄いのは、どのページに何が書かれてるか把握してる事。
素早くパラパラとページをめくって「コノヒト ハ メコン川 イッタ。タケシ、カナガワケン!」と、
営業ツールとして完全に使いこなしてる。凄い。
熱意に押されてお願いする事にした。
この右側がフーさん。宝くじ買ってるところを撮ったんで、
ちょい悪人に見えるけどいい人。
フーさんに案内してもらい、ホーチミンの街観光。
まずはチョロン地区の皇后宮。
ここは恋愛成就の神様で、
フーさんもここでお願いしたら子宝に恵まれたそうな。
ちなみにフーさんは20歳くらい歳下の嫁さんを持つ猛者。
「ココデ オネガイ シタラ カノジョ デキルヨ!」との事で
お願いをしてみたけど、今日現在ご利益はないな。
フーさん、どういう事や。苦情申し立てる。
次に向かったのは、19世紀終わりに建てられた
サイゴン大聖堂と中央郵便局。
中央郵便局では今なお郵便業務が行われている。
せっかくなので、日本に絵ハガキを出してみた。
切手代は10,500D(40円くらい)で、到着までは1週間くらいだった。
バリ島で買った絵ハガキだったけど、いいよね!
日を改めて、
フーさんおすすめのメコンデルタに連れて行ってもらう事にした。
バイクに乗って半日くらいでメコンデルタに到着。
ここはメコン川がベトナムを通って、南シナ海に流れ込む手前あたりの場所。
早速小さな船に乗り込み、クルーズ開始。
船で川上に浮かぶ島をいくつか回り、
ココナッツ工場を見たり、
ココナッツ教団(教祖様はココナッツしか食わなかったそうな)跡を見たり、
フルーツ農園でフルーツを食ったりした。
少し船の運転もさせてもらった。
しばらくすると日も暮れてきて、夕暮れ時の時間。
空と共に川面も染めるメコンデルタの夕焼けは、
息を飲むくらいの鮮やかな赤色だった。
沈んで行く夕陽を眺めて夜を迎えると、
真っ暗になった川辺にかすかに光が見えた。
蛍だ。
川辺の木の枝に蛍が止まって、瞬いている。
それをフーさん、虫捕り網で枝をガッスガスはたいて捕る、捕る。
あーあーもっと丁寧にだな。
節子も蛍はすぐ死んでしまうって言ってたやろ。
これ分かりにくいけど、捕まえられた蛍たち。
何度も俺の体の周りで瞬いて、飛んで行った。
何だかゴメンやったね。蛍。
そういえば昔は実家の近くにも蛍いたけど、最近見ないな。
なんて少し懐かしくなった。
夜は近くのホテルに泊まり、
翌日は朝から水上マーケットを見に出かけた。
ここは船の店が集まってマーケットの様になっている場所。
各船は看板代わりに商品を竿の上に吊るしている。
水上で生活をする人たちの知恵が垣間見られていいね。
商品は芋とか果物とかが多いな。
その後、フーサンの嫁さんの実家に寄って休憩。
何とも穏やかで幸せなひととき。ビールとハンモック。
その家の便所。
排泄物は池の魚が食べるというエコな仕組み。
俺もここでウンコ出来たし、色んなキャパシティが広がってきたよ。うん。
ハンモックでひと眠りしてると、バタバタと起こされた。
何事かと思いきや、釣りに行こうぜってさ。
フーさん元気だわ。
近くの川で釣り。
始めミミズを餌に釣ってたんだけどイマイチ。
色々試した結果1番食いついた餌が、そこらに生えてる葉っぱ。
5匹くらい釣れた。ベトナムの魚はよう分からん。
嫁さんの実家にお礼を言ってホーチミン方面に戻り、
向かったのはクチ・トンネル。
ここはベトナム戦争時にベトナム兵が使用していた地下通路。
トンネルの全長は200kmにものぼる。
アメリカ兵に「クチのベトナム兵はどこにもいないがどこにでもいる」といわしめ、
恐怖に陥れたトンネル。
入り口はこのように隠されていたんだね。
トンネル内部に入ってみると、こんなに狭い。そして蒸し暑い。
当時はこんな灯りもないので、ここをランプを持って移動していたとの事。
こんな狭い所を、中腰で何kmも。凄い体力だ。
戦時中はベトナム兵はトンネルの中に潜みながら、生活を続けていた。
昼は食料となる米を植え、夜は攻撃を繰り返す生活。
自分たちの村を、生活を守るため、絞り出された民兵の底力。
本当に凄い。としか言えない。
その後に続いて訪れたのは、
ベトナム戦争の記録を残している戦争証跡博物館。
ここには当時の爆撃機や戦車の展示もあるが、写真パネルの展示が多い。
家が焼かれ、愛する人が死にゆき、
さっきまで目前で物を売っていたおばさんが殺された。
こんな事が実際に起こる、戦争。
またベトナム戦争では、
ベトナム兵の隠れ場となる森林を枯らすために、枯葉剤が大量に散布された。
その影響でベトナムでは後に奇形児が多く産まれている。
アメリカはベトナム帰還兵(アメリカ兵)の枯葉剤訴訟に対しては
1億8,000万ドルの補償金を支払ったにもかかわらず、
ベトナム側の枯葉剤被害者に対しては
奇形などの症状と枯葉剤の因果関係を証明できないと訴えを棄却し、
未だにベトナム人に対しては一切の補償が行われていない。
※ちょっとショックな写真なので、小さめに掲載。
クリックすれば大きく見れます。
ホーチミンに来た際には、
是非、戦争証跡博物館にも訪れてみてください。
ホーチミンはベトナム南部の大都市。
街をプラプラ観光していると、
「ホーチミン ハ ワルイヒト イッパイ ダカラ キヲツケテ!」と
怪しいおじさんに声をかけられた。
いやいやそれはお前の事だろう。って思いながらも
時間があったので、話を聞いてみた。
「フーサン ハ アンシン。ガイド スルヨ。シンジテ!」との事。
志村けんのガイドもした事があるとか何とか。
ここでも紹介文の書いてある手帳を見せられた。
フーさんの凄いのは、どのページに何が書かれてるか把握してる事。
素早くパラパラとページをめくって「コノヒト ハ メコン川 イッタ。タケシ、カナガワケン!」と、
営業ツールとして完全に使いこなしてる。凄い。
熱意に押されてお願いする事にした。
この右側がフーさん。宝くじ買ってるところを撮ったんで、
ちょい悪人に見えるけどいい人。
フーさんに案内してもらい、ホーチミンの街観光。
まずはチョロン地区の皇后宮。
ここは恋愛成就の神様で、
フーさんもここでお願いしたら子宝に恵まれたそうな。
ちなみにフーさんは20歳くらい歳下の嫁さんを持つ猛者。
「ココデ オネガイ シタラ カノジョ デキルヨ!」との事で
お願いをしてみたけど、今日現在ご利益はないな。
フーさん、どういう事や。苦情申し立てる。
次に向かったのは、19世紀終わりに建てられた
サイゴン大聖堂と中央郵便局。
中央郵便局では今なお郵便業務が行われている。
せっかくなので、日本に絵ハガキを出してみた。
切手代は10,500D(40円くらい)で、到着までは1週間くらいだった。
バリ島で買った絵ハガキだったけど、いいよね!
日を改めて、
フーさんおすすめのメコンデルタに連れて行ってもらう事にした。
バイクに乗って半日くらいでメコンデルタに到着。
ここはメコン川がベトナムを通って、南シナ海に流れ込む手前あたりの場所。
早速小さな船に乗り込み、クルーズ開始。
船で川上に浮かぶ島をいくつか回り、
ココナッツ工場を見たり、
ココナッツ教団(教祖様はココナッツしか食わなかったそうな)跡を見たり、
フルーツ農園でフルーツを食ったりした。
少し船の運転もさせてもらった。
しばらくすると日も暮れてきて、夕暮れ時の時間。
空と共に川面も染めるメコンデルタの夕焼けは、
息を飲むくらいの鮮やかな赤色だった。
沈んで行く夕陽を眺めて夜を迎えると、
真っ暗になった川辺にかすかに光が見えた。
蛍だ。
川辺の木の枝に蛍が止まって、瞬いている。
それをフーさん、虫捕り網で枝をガッスガスはたいて捕る、捕る。
あーあーもっと丁寧にだな。
節子も蛍はすぐ死んでしまうって言ってたやろ。
これ分かりにくいけど、捕まえられた蛍たち。
何度も俺の体の周りで瞬いて、飛んで行った。
何だかゴメンやったね。蛍。
そういえば昔は実家の近くにも蛍いたけど、最近見ないな。
なんて少し懐かしくなった。
夜は近くのホテルに泊まり、
翌日は朝から水上マーケットを見に出かけた。
ここは船の店が集まってマーケットの様になっている場所。
各船は看板代わりに商品を竿の上に吊るしている。
水上で生活をする人たちの知恵が垣間見られていいね。
商品は芋とか果物とかが多いな。
その後、フーサンの嫁さんの実家に寄って休憩。
何とも穏やかで幸せなひととき。ビールとハンモック。
その家の便所。
排泄物は池の魚が食べるというエコな仕組み。
俺もここでウンコ出来たし、色んなキャパシティが広がってきたよ。うん。
ハンモックでひと眠りしてると、バタバタと起こされた。
何事かと思いきや、釣りに行こうぜってさ。
フーさん元気だわ。
近くの川で釣り。
始めミミズを餌に釣ってたんだけどイマイチ。
色々試した結果1番食いついた餌が、そこらに生えてる葉っぱ。
5匹くらい釣れた。ベトナムの魚はよう分からん。
嫁さんの実家にお礼を言ってホーチミン方面に戻り、
向かったのはクチ・トンネル。
ここはベトナム戦争時にベトナム兵が使用していた地下通路。
トンネルの全長は200kmにものぼる。
アメリカ兵に「クチのベトナム兵はどこにもいないがどこにでもいる」といわしめ、
恐怖に陥れたトンネル。
入り口はこのように隠されていたんだね。
トンネル内部に入ってみると、こんなに狭い。そして蒸し暑い。
当時はこんな灯りもないので、ここをランプを持って移動していたとの事。
こんな狭い所を、中腰で何kmも。凄い体力だ。
戦時中はベトナム兵はトンネルの中に潜みながら、生活を続けていた。
昼は食料となる米を植え、夜は攻撃を繰り返す生活。
自分たちの村を、生活を守るため、絞り出された民兵の底力。
本当に凄い。としか言えない。
その後に続いて訪れたのは、
ベトナム戦争の記録を残している戦争証跡博物館。
ここには当時の爆撃機や戦車の展示もあるが、写真パネルの展示が多い。
家が焼かれ、愛する人が死にゆき、
さっきまで目前で物を売っていたおばさんが殺された。
こんな事が実際に起こる、戦争。
またベトナム戦争では、
ベトナム兵の隠れ場となる森林を枯らすために、枯葉剤が大量に散布された。
その影響でベトナムでは後に奇形児が多く産まれている。
アメリカはベトナム帰還兵(アメリカ兵)の枯葉剤訴訟に対しては
1億8,000万ドルの補償金を支払ったにもかかわらず、
ベトナム側の枯葉剤被害者に対しては
奇形などの症状と枯葉剤の因果関係を証明できないと訴えを棄却し、
未だにベトナム人に対しては一切の補償が行われていない。
※ちょっとショックな写真なので、小さめに掲載。
クリックすれば大きく見れます。
ホーチミンに来た際には、
是非、戦争証跡博物館にも訪れてみてください。