小津(おず)橋
の先に何かが待っている
その何かはもう私がそこに行くことを
すべに知っている・・
🤔🤔
白蛇が現れ困っている人を
難から救ったという話が伝わる
お社がある。
白蛇🐍が龍へと変わっていく
とするなら、もうその昔、その時現れた
白蛇は龍神となってこの地域の方々の
平和な今を守っていらっしゃる
のでしょうかね〜
🤔🤔
前回のブログで取り上げた江東区
牡丹住吉神社
から歩いて5分くらいのところに
そ~っと静かに祀られた神社がありました。
私グーグルマップを見ながら
門前仲町駅から歩いて来たのですが
最初マップを見ながらも
その前を素通りしていた事に
気付きませんでした。
😅😅
扁額というか、案内看板がなければ
正直この辺りに住んでる人しか
知らないだろうな〜ってかんじで
本当にその先に足を踏み入れてもいいのか
少し躊躇しながらも
他人様の敷地?に入って行くと
家と家の間にひっそりと
お社が祀られていました。
鳥居が割と大きくて、よくある
街なかのお稲荷さん
っていう感じともこれまた違った
印象。
🤔🙄
ここは
江東区古石場の
⭐二社神社⭐
二社っていうくらいですから
神様二柱をミックスしてお祀りして
いるわけですよね。
鳥居をくぐると
それまで吹いていなかった風が吹いて
注連縄の紙垂れが小刻みに動きはじめ
ました。
何かが私を見ている・・
👁🗨👁🗨
って言うのが良く分かるように
波動圧を全身に感じるようになりました。
御祭神は
白龍大明神
塩竃大神
となっています。
元禄時代に時の奉行にお願いして
ここに玉智稲荷大明神
っていう、ま〜徳の高い狐さんを
祀っていたそうな。
その後津波がこの辺りを襲って
甚大な被害を被った時、ある人が避難
に遅れて逃場がなくなり、命からがら
この神社の境内に生えていた銀杏の大木に
よじ登って津波に流されないよう
耐えていたら、なんと
白蛇が現れその人が銀杏の枝を離さない
ようにその手と枝に巻きついて
流されないように守ってくれたんだとか
😳😳
その後助かったその人が
その白蛇が津波で命を落とされた方々の
魂の化身であったのではないかと思うようになり
その白蛇を白龍大明神として
玉智稲荷大明神と共にここに祀ったことから
その後二社大明神として長く祀り上げる
ことになったんだとか。
🤔🤔🤔
昔は今の江東区、港区ってほぼ海であり
埋め立てによって広がってきたエリア
であるので、昔は津波や高潮なんかで
悲惨な状況なることが多かったんでしょうね。
だからこの神社は
この辺りの守り神であるわけですね。
お社には大きなヘビ🐍が置かれて
この神社誕生秘話を教えてくれている
ようです。
狐憑きの私からすると
狐さんの神通力がヘビとなって
その人を助けたのかな~って思ったり
するのですが、ここって狐さん、狐さん
っていうお稲荷さんではく
やはり水神様、辯財天
って言ったほうがいいくらい。
やっぱヘビ🐍さんの
力が強い。
ここに来た時は不思議な感覚に
包まれて、ただただ手を合わせて
いたのですが、こうしてブログを
アップしていると、脳裏に映ってくる
映像には白装束の女性。
番町皿屋敷のお岩さん👻や
鬼滅の刃登場する蛇鬼といった
おどろおどろしい感じでは全くなくて
大袈裟に言うと聖母マリアのような
優しいかんじの女性の姿
ヘビさんの化身
なのでしょうか・・
🤔🙄
洲崎弁天社
ま〜なんにしても
ここに白龍
白蛇っていうと
鬼滅の刃の柱のひとり
伊黒小芭内を思い出すのですが
姿ではなく、目を閉じて直立不動。
ただ
ちょっと寂しそうで憂いを秘めた
かんじの表情
🤔😅🤔
私は
枝と人とを結んだという行動に
HELPING HANDとでも言うのでしょうか
私と神
私と眷属さん
そして
私と幸運、お金、健康
と強くガッチリと結ばれるよう
お取り図りいただきたいと願い、
手を合わせておりました。
お社の横に朽ちた木が残って
いました。これがその昔
流されそうになった人をその枝に
留まらせ命を救った銀杏の大木の
残骸だったりするのかな~って
妄想しながら静まり返った狭い境内で
ちょっとこの神社の歴史にシンクロ。
銀杏の大木はもう
存在していませんが
ここに御神木としての大木が
ないってことが
ちょっとこの神社のカラーというのか
属性というのか、ま〜歩み方が左右されて
来たのかな~って妙に思いました。
🤔🤔🤔
津波という自然現象や
東京大空襲などで神社は場所を変えられたり
また、一度は消滅したりと紆余曲折を
経て今にたどり着いた。
最初はおいなりさんとしての稲荷神社で
奉られたいたものが、時の流れとともに
狐さんから蛇、龍へとバトンタッチ
されたように思います。
神社の由緒書き
や昔の地図を見ると、この神社と
木場にある洲崎弁天社と何らかの
関係があるのを物語っているような。
洲崎弁天社といえば
私が以前に参拝した木場洲崎神社の
境内にあります。
(リブログ参照😁)
そこで私が見たのは大蛇。
この神社も洲崎弁天社の御離れ神社
のような役割だったのかな〜って
思うんです。
とこの神社が波除柱となって
津波や高潮のような海がもたらす
災難からこのエリアを守る結界としての
役割を江戸時代から担ってきた・・
そんな存在だったように
私の脳裏でシンクロします。
二社神社って社号がついていますが
あとから
玉智稲荷大明神から
白龍大明神へと
その神性、ま〜色が変わっていき
本来なら
白龍大明神社
てなことで落ち着くところに
やはり二社っていうことでその後
塩竃大神を持ってきた・・
ってかんじなのでしょうかね~
(すべては私の想像です😅)
🤔🤔🤔🤔
御神木としての木があるかないか
っていうのは
私の経験上
稲荷神社の狐さんって拝殿にドシッと
した感じでおられるというよりは
境内の木の上いらっしゃるか
狐の石像を通してパワーを放たれたり
ってことが多い。
でも基本は上から、背後から
見られているのですが、ここは木は
なくてあるのはヘビの置物のみ。
ヘビ🐍さんが宙を舞っているのは
見たことが無く、ヘビから進化した龍神
となって宙を舞う。
銀杏の御神木に宿っていた
玉智稲荷大明神は銀杏の大木が
なくなるのと同時に
白龍大明神バトンタッチされて
眷属から神の領域へとジャンプアップ
していったのかな~
(あくまでも私の妄想です😅)
眷属ヘビ🐍の存在によって
このあたり守られているのでしょうね。
まさに伊黒小芭内と鏑丸(かぶらまる)↑↑
のような感じなんでしょうね。
🙄🤔😅🤔
神社を離れて
また小津橋へ。
なんでもこの橋って
肥料問屋をしていた小津本家によって
かけられたそうで、運搬作業の効率化を
図る目的でかけられたんでしょうね。
その橋を眺めながら
私も自分の希望すること、したいこと、
自身の向上に繋がっていくことへの
架け橋をかけていただけたように
思いました。
今やりたいことが
実現できるように。
🙄😄😄
橋の下には
石のアート彫刻像が置かれていました。
この辺り古石場と呼ばれています。
江戸時代
この辺りは木材や石材集積地
であり
江戸城築城に必要な石や
江戸の町の家屋の土台石の加工場で
あったそうです。
というのも
津波の甚大な被害によって
幕府はこの辺りへの人の進入を禁じたり、
その後大規模ば埋め立事業事が始まって
その結果
いまの江東区になったわけですが
やたらと浸水することが多かったので
石置場にするしかなかったのでしょうね。
🤔🤔
にしても
こんな大きな岩を見ていると
炭治郎のように
それを斬り裂くくらいの闘志を今持って
前に進んでいけ‼と神様から
言われているようにも感じます。
が宿るとするならば
そのご利益を受けにいけと
今回またこの地に導かれたように
思います。
または
このエリアに
石=意志を置け‼
と
引っ越しを計画している私に
そう神様がおっしゃってくれている
のでしょうかね~・・
🤔🤔🙄😁
観音様とのお約束です。