林稲荷神社・須賀稲荷神社参拝〜江古田原沼袋の戦いの記憶残る地にて | 観音様とのお約束、高津天心ブログ

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な~んの縁か、江戸川の地で観音様から光を当てていただけるようになりました。
少しでも神様のお役に立てるように、自分が日々感じた事を文章にしてみようと
思いました。
高津理絵さんから公認された御心カウンセラーです。

さん
といえば

実家のお隣さん
もう会社辞めちゃった
破茶滅茶だった先輩
そして
私が昔恋を寄せた相手
と、ま〜頭に浮かんできますが
🙄🤔😅
今回は
そんな林と名のつく神社に
やってきました。

というのも
今回の神社が私の敬愛する武将
太田道灌公と縁のある神社の
近くにあって、尚且つ祠の彫刻が
見事であると知ったので実際にこの目で
見てみようと思い二社まとめて廻って
見ることにしたんです。

大江戸線
新江古田駅から歩いてすぐの
静かな住宅地。
土着ってこういう感じなのかな~
🙄🤔
ちょっと土臭い神社
でした。

林稲荷神社


江戸時代は将軍家の直轄地
で鷹狩りなどに使用されていた
ってことなので
江戸時代にはこの江古田って
物凄く自然が広がっていたところ
だったんでしょうね。
私の住む江戸川区も直轄地だったかどうかは?
ですがかなりの自然が広がっていて
私がおつとめに足を運ぶ観音堂も
昔の名主さんであった家の敷地内にあり
将軍が鷹狩りに来た時には
休息所にもなっていたって聞いたことが
あります。

ま〜江戸時代って
人口がどんどん増えるに従って
街作りが進みインフラも整備されていった
のでしょうが
ちょっと江戸から外に出るとまだまだ
大自然が広がっていたのでしょうね。

そんな江古田も昔は
中荒井村北於林と呼ばれて
いたそうです。

於林とは御林
とググると出てきますね。

御林ってことは
幕府の許可なく木々を伐採することは
罪とされたのでしょうね。
ご禁制のひとつだったのでしょうが
この神社の由緒書きによると
干ばつのために農作物が取れなく
生活に困って人たちが禁を破り
木を切った挙げ句それを売って生活の足しに
していたのですが禁を破る、それって幕府に
知れたら皆命がありませんよね。
そんな危ない橋を渡らざる負えない状況を
なんとかしたいと思っていた村の長の
夢枕に稲荷神が白狐を連れて現れ
今の干ばつによる苦しみは水源がないことだ
と言って長に水源の場所を教えたそうです。
そこに井戸を掘ってみると水が湧き出てきて
その水で畑が潤い農作物も取れるようになった
ので禁を冒すという危ない橋を渡ることは
無くなった。このことに対する村人の
感謝がこの神社の始まりだっていう
伝説。
🤔🤔😁

その長は
稲荷信仰をされていたのでしょうかね?

そんな神社に入ってみると
これぞ稲荷社!!っていう
在りように心が自然と踊ります。
😁🤔😁

鳥居の前に目が三角になっている狐さん
2体がお出迎え。

⚡⚡
お前だな?
遠くから我らに念を送ってきた奴は
⚡⚡

って
おっしゃるので
私◯◯と申します。
この地が太田道灌公に縁のある地と
知ってやってきました。
よろしくお願いします🙏
私をここに導いて下さってありがとうございます。

と念を送ると
三角の目に威圧感を感じていたのが
だんだん三角が丸くなっていくような
🙄😁
見えない扉の鍵が開いたような
感じがしました。


小さな祠
赤色の柵と幟が
結界のような働きをしている。

守られている
感がすごく強くて神社の祠というよりも
さながら要塞
という感じです。


その要塞チックな祠に
施された彫刻が見事で
いろんなものが彫り込まれています。


龍、狐、虎、鶏、馬
が踊り、側面の人の彫刻は
日本の古事記や日本書紀に出てくる
シーンんなのでしょうかね〜?
🤔🤔


こちらは
猿田彦命と天之鈿女命だったり
するのかな?
🤔🤔


壁面彫刻って
理解に難しものが(私には)多いです。
😅🙄😁


祠の前面には
扉を開いても良いが開けたらちゃんと
閉めて行けと書いてあったので
お賽銭いれて扉を開けてみました。


開けると飛び出す絵本のように
何かが出てくるわけではありませんが
きれいにちゃんと人の手が入って
管理されている事が分かって
ホッとするのと同時に
狐さんに再度感謝の念を送りました。


この先も自分の人生が
良き方向に進んで行きますように
と手を合わせました。

凹凸のある土地にある神社
祠の横の道を上がっていくと
祠裏にも2体の狐の石像が
置かれていました。


お互いを見つめあうような
感じで置かれている狐さん。
右側の狐さんの破損がこれ以上進まなければ
いいのですがね。
🤔🙄😰

神社の入口には
庚申塔があります。
寛文3年ってことは四代将軍
家綱公の時代
そこから今にのこる庚申塔
疫病、災難除けに一役も二役もかって
くれたことでしょうね。
🤔🤔
ただただ感謝。


庚申塔に手を合わせつつ
林稲荷神社から次の稲荷神社に
向かいます。

徒歩7分くらいの距離に
今回私を江古田の地へと導いた
稲荷神社

須賀稲荷神社

がありました。

広い境内に小さなお社ひとつ。

由緒書きによると
牛頭天王こと
素戔鳴尊
宇迦之御魂神
をそれぞれ祀っていた祠を合祀して
ここに祀っているとのこと。

このエリア一帯が戦の場となった

江古田原、沼袋の戦い

長尾景春の乱が発端となり
それに組みした
豊島氏の起こした乱を鎮圧すべく
この地に来た道灌公がここで戦勝祈願を
されたという伝説が残っている、
道灌公縁の場所なんです。

ここでの戦いに勝利して
道灌公の軍事力、名声はマックスまで
上がったのでしょうね。


私もまだまだ目の前の戦
日々の仕事に毎日立ち向かっていかねば
なりません。
何卒武運長久のご利益を
お与えくださいと手を合わせました。


にしても
このお社屋根の造りが独特ですね。
鎧兜みたい。
🙄🤔

道灌公はここでの戦いに勝って
戦の日々が一旦終わりを見せたのかな。
30年近くに及んだ関東の争乱が
集結、
それを成し遂げた道灌公。
武将としてのみならず知識人、文化教養の
高さも持ち、それに
インフラの整備など他方面にわたって
力を尽くされた英雄です。

でも
戦いのあと仕えていた上杉定正に
謀殺されてしまいます。
😰😱😓

仕えるだけ仕えた挙げ句
その君主に斬られるなんて・・

私も今の会社に入って◯◯年と
なりますが、今もその上司、会社側の
動きに、あっこれって後ろから斬られる
ってことになるのかなって思うことが
多いです。
尽くすだけ尽くしてきたのに
自分はタダのピエロだったの?って
思える瞬間・・切なく悲しくなりますね。
😰😱😰😓

この神社
目の前が小学校なんです。

鳥居の先に見えるグラウンドを見ていると
⚡⚡
いやいや
お前のやったことは
次の世代に残っていく
諦めることなく
己の道を進んでいけ‼
⚡⚡
エールを頂いたような気になりました。



道灌公も1人で戦っていたわけではなく
戦勝祈願する時はその後ろに何百もの
部下が道灌公の背後から手を合わせて
いたのかもしれませんね。
そんな光景が学校のグラウンドに
見えてきます。

私も気持ちを新たに
また頑張って行こうと思いました。
😁😁

稲荷神
狐さん
そして道灌公

それらが集結した江古田という土地に
呼んでいただけたこと

ただただ
感謝です。


観音様とのお約束です。