で、結局である。

結婚をしたい場合は、自分の相手に願うことをたった一つだけ天に祈り、「こういう人が現れたら結婚します」と誓う。

でも自分の願いをぐっ掘り下げたら別に結婚はしなくてもいい、と言うことになる可能性もある。
それでもどんな人生にしたいか、と言うのは多くの人が思うことであると思う。

そこで自分の人生は何を求めるのか、たった一つだけ願いが叶う、という仮定で掘り下げる。
叶いますように、と祈って、何をすればいいか考える。

別に自分の欲しい物を誰かが持ってきてくれるわけではないので、行動する。情報を集める。


私はこれが結構楽しい、と思う。

やっと楽しいと思えるようになった。

 

アラフィフ、年の功である。

 

 

 

巷がいよいよウイルスの話で騒がしくなっているので、別の話をしようと思う。

 

結婚で悩む人と言うのはすごく世の中多いと思う。

結婚できない、出会いがない。

できる人とできない人との違いは何なのか?

などなど、、、、色々記事が上がってくるし、ブログで書いている人もたくさんいらっしゃる。

 

私は結婚しているが、自分でなぜ結婚できたのか、いつも考えるのである。

そしてなぜ飽きずにまだ一緒にいられるのか。

喧嘩はするけど別れたいと思ったことはない。多分夫も思ったことないと思う。多分。

 

できる人とできない人に違いがあるのだろうか?

いったい両者の違いは何なのか。

その答えの一つが、先日ある人の話を聞いて、ちょっと見えた。

 

結婚したい人は何をしたらよいか。
結婚したい人は天に向かってたった一つだけ「自分はこういう人が現れたら結婚する」と誓うと、いつか現れる。

でも願いはたった一つだけ。

あれもこれも条件を付けない。

たった一つだけ自分の中で「これ」を決める。自分の本音の本音、相手に求めるものは何か、ぐっと深層心理を探ってみるのだそうだ。

 

確かに、結婚相手を探すとき、私はそれをやっていた。

夫はその条件に合う人だ、と思って結婚を決めた。これは間違いない。


それともう一つ、相手の役に立ちたい、と思える相手か。 できればお互いにそう思える相手同士か。
それが結婚の長続きのミソ。


物質的なもの、表面的なことを条件にすると、結婚しても途中で挫折しやすくなる。

玉の輿に乗りたい、とか、かっこいい人、肩書がある人、がそういうことらしい。

なるほどなぁ、である。

結婚できる条件、と言うのは確かに存在している、と思える話だった。
 

 

 

 

学校が一斉休校になったその日、私の住んでいる県の一番大きな町の大学で感染者が出た。

一人は大学教授で一人は女学生だったそうである。
これはしばらくそちら方向にはいかないほうがよさそうだ、と思って2日もたたないうちにうちから15kmぐらいの町で4人感染者が出た。

これはもうあらゆるとことに感染者がいるのだと思う。


その一方で大したことはない、今までと同じ動きを!と、盛んに声を上げている人たちもいる。

子供の体操教室は、学校が休校になったのに教室を続けるのはおかしい、と言うのが大半の親の意見なのであるが、

教室の先生は、消毒はしっかり行っている、1メートル以上距離を置かせて運動させるので問題ない、と続行宣言。

しかし、ほとんどの子供たちが休む、と連絡。そう言ったのにもかかわらず、それでも続行宣言。そしてしかも開始30分前に時間繰り上げてやる、と。

もうこれは先生もこの状況にキレているとしか思えない。

 

教室を閉鎖しない、と言っているということは、月謝の払い戻しはない、と言っているわけである。

 

この国もパニックを起こし始めているのは間違いない。

 

 

全国一斉休校となった。

ただし日本との違いは、15日までと期間が限定されていること。

気分的には違う。

多分休校されることになるかもしれないとは思っていたが、結局急に言われたのと同じで、学校は何も準備がないまま子供たちを家に帰した。

宿題やら遅れてしまう授業に関しては何も連絡はない。

前から休校になった地域はオンライン授業を始めたところもあるらしいが、ネットやパソコンがない家はどうなるのか?その辺はよくわからない。

体育館関係も使用できないようなので、体操教室も閉じられた。

子供は宿題もなく、かなり退屈している。大人は子供に振り回されて、ほぼ日本とお同じ事が起こっているので、これは笑えない。

給食は日本と違ってなく、毎日家で食べるので、食事の用意のリズム等は全く同じである。
 

明日予定されていたイベントの仕事もなくなった。

こちらは集客がままならなかったようだ。

時期が時期だけに難しいと思う。

世界中コロナ騒ぎで、特に私の今いる国は色々大変である。
が、大変だけれども祖国と違うのは封じ込めを一生懸命やっているおかげで、私が住んでいるところで生活の不自由はない。

いつもと同じである。

いつもと同じように生活を続けている。

イベントの企画も色々出てきている。

私は、こういう状況なのであまり積極的に動くと動き損になると思っている。

それでも話は進んで行く。

3月末に組まれたイベントに、主催者はどうやら私を組み込もうとしている。仕事として受けたのは夫であるが、私と直接話をしたい、と主催者が言ってきた。

スカイプなりなんなりのビデオを使った話し合いをしたいのだが、と言う。

話をする前に何の話かは大方見当がついている。

日本食を出したいのだろう。

 

固いことを言えば、飲食には許可がいるはずで、許可ない場所で作られたものは提供してはいけないはずである。

そこを無理無理押してくるのは間違いない。


それとそういった依頼は、私がやる気がない。

本職はそれではないからである。

 

なので答えは聞く前からNOである。

 

だからと言って話す前からNOを言えないので、電話で話をするのはいいですよ、と言って、電話をする日時を決めた。
それからどんな日かちょっと見てみると、どうやら私がどう思おうと無理やり押し切られる働くことになる日、と出た。

何事も初めが肝心なので、スタートする日は良い日を選ぶほうがいい。何が幸いするのかは、最終的には神のみぞ知るだが、小さなトラブルはストレスになるので、避けたい。

 

もしやるとしたら自分の意志でやりたい。押し切られて嫌でもやる、と言うのは苦しいものである。
そもそもそういう仕事は受けたいと思っていないのだから。

 

なので、まず話し合いはひとまずキャンセルした。

 

それからじっくり日にちを見る。

やらねばならないのなら、自分で進んで気持ちよくできる日を選ぶ。

この日ならよかろう、と言う日を選び、先方に伝えた。

今返事を待っている。

 

 

 

 

 

どさくさ紛れて動き出していることがあるらしい。

あの人は今年はかなり強いので、止めたいと多くの人が思っても止まらないかもしれない。
 

重い金属の塊が、水を生みながら渦を作り沈んでいく。
その中にどんどん人が吸い込まれていくイメージ。

 

どんなに運が強くとも、どんなに人や世の中を動かす能力があっても、

過去に禍根を残しては意味がない。

それどころか、恨みと苦しみを生み、それを浄化するのにいったいどんなに時間と労力を使い果たせねばならないのか。

 

それでもこの運命から私たちは逃れなれないのだろうか。

幸せの形というのは人それぞれ違う。

人生の中で一番自分た大事にしていること、と考えるとよいと思う。

 

これまで何度もお金の話をしたのは、お金にこだわる人が多いからだ。

お金を持つこと、財を持つことが幸せだというのは、幸せの一つの形に過ぎない。

健康が第一だ、と思う人もいるだろう。

名誉、人から評価されることた第一だ、と思う人もいる。

家族を持つこと、子供が宝だ、と思う人もいる。

自分の趣味、楽しみを第一に考える人もいる。

 

大抵の人はたった一つだけではなく、複数持ちたいとのだがろうが、どれをどのくらい持ちたいと思うか度合いがそれぞれ違う。

自分はどれが一番大事だと思っているだろうか、自分の人生設計をするときに迷ったら自分に問うてみるといいと思う。
例えば10あるうち、お金はいくつ、健康寿命はいくつ、と数に当てはめていくとよりわかりやすいかもしれない。

 

 

お金というのは、扱い方によって意味が全く変わる。

 

お金とは愛、というのは正しい。

魅力ある人にお金を出す。魅力のあるものにお金を出す。
魅力があると思うから、自分の財を差し出す。

魅力がその人の財を削り出す。
魅力を感じる、愛を持つ、その同等の価値の財を相手に渡す。


誰かから削り出された財を家に持ち帰る。

その財で家族を養う。
愛は形になって子供を育てる。
愛で財を得、財は人を養い再び愛になる。

 

だからお金は愛だ、と言える。お金を愛と同等であるとして扱えば、お金は循環し、私たちは幸せに満たされる。

だが、いつもお金を得るとき、たとえ相手がそれを喜んで差し出したとしても、それが相手から「奪う行為」なのである。そして幸せや愛、安心を与えず奪えば、お金は暴力になる。お金と愛情はいつも同じ価値をもって人と人の間を行き来させ、自分のところにいつまでも置かず、次の人に渡し、再び愛の形に変える必要がある。

我が祖国のトップたちにはそれが全く分からないらしい。

これでは国民の心がささくれる。

愛情を与えてもらえず親に食べるものも与えられない子供たちがぐれていじめで心の隙間を埋めようとするように。

 

 

 

 

 

 

 

 

日本の友人たち、家族から悲鳴が届く。

いくら何でもハチャメチャすぎる。

 

いきなり何も準備なく対策もなく学校休校。しかも年度末。

共働きしている人は。片親の家庭は。子供たちの食事は。病院勤務の人は。

次々イベントが中止になる。イベントで食べていた人が食べれなくなって、何か手を打たねば、と必死に考えているところに、突然学校を閉められてしまい、途方に暮れている。

いったい今の政権は何を考えているんだろう。
なぜ野放しにしておくのだろうか。

 


 

絶対にいいから、と勧められても勧められても拒否をしていたインスタを始めた。

今机に座って仕事をしていることが多いので、片手間暇つぶし。

どんなものか試してみてもいいかなという気分になった時にいやるのがいい。

 

アカウントは作るのがあっという間だった。

特徴を自分なりにとらえて、これは文章を書かないでやってみよう、と決める。

投稿すると他の物にも同時に投稿できるらしいが、同じ物は作らない。

いわゆるインスタ映えを探す。

 

フォローがフェイスブックと同じだとつまらないので、それもなるべくやめる。

最近フェイスブックの広告が本当にうざったいのでどうにがしてほしい、と思っていたので、インスタは出ないならいいな、と思っていたら、

今日から急に広告が入り始めてがっかりである。

 

タダだからしょうがないか。

さて、仕事にプラスかどうか?
多分思ったように別にプラスでも何でもないと思う。

プラスに生きるお仕事もあるが、うちの場合はほぼ関係ない。

見るほうは楽しいし、インスタ映えごっこは面白いかもしれない。