私たちは皆同じものを見て同じものを聞いて同じように感じていると思っている。
それは大きな勘違いだ。
ある人に見えるものがある人には見えないし、
ある人には聞こえて別に人には聞こえないものがある。
ある人は月を美しいと思い、あっちの人はそんなものはどうでもいい、と思っている。
そのぐらい人間はバラバラだが、必ず似た感性の持ち主はいる。
だからと言って、似た感性の持ち主が、親だったり子だったり、恋人だったり配偶者とも限らない。
案外違う感性の持ち主が、自分の隣にいるものかもしれない。
私たちは皆同じものを見て同じものを聞いて同じように感じていると思っている。
それは大きな勘違いだ。
ある人に見えるものがある人には見えないし、
ある人には聞こえて別に人には聞こえないものがある。
ある人は月を美しいと思い、あっちの人はそんなものはどうでもいい、と思っている。
そのぐらい人間はバラバラだが、必ず似た感性の持ち主はいる。
だからと言って、似た感性の持ち主が、親だったり子だったり、恋人だったり配偶者とも限らない。
案外違う感性の持ち主が、自分の隣にいるものかもしれない。
今回のことのようなことが起きた時、私は自分の意識を二つに割っている。
一つは現実に対処する意識で、もう一つは上から下を眺めている意識。
動物を絞めるときも同じで、一つは現実の対処する意識で、もう一つはそれを眺めている意識。
人間の意識は幾層にも分かれている、と言うことは仏教でも他の宗教家でも言うらい。
そして今日聞いたラジオでも、心を忘れて現実に対処すると人間は強い、と聞いて、
まずまず私のやり方は間違っていない、と言う気がしている。
今年は水の上に金属が浮いている状態の年なので、
それをそのままイメージすると船になる。
船でなければ金属を水の上に置くと下へと沈んでいくので、
上のものが下に近づく、という意味になる。
指導者が国民に近づく、という意味にとらえれば、
国民に寄り添おうと声明を出した世界の指導者たちの顔が思い浮かぶ。
だが、それは私の祖国に当てはまるだろうか、と今年が始まったころ考えていたのだが、
どうも違う。
今の状況を見て、はっきりわかった。
大きな鉄の塊が川底に沈んでいるのである。
鉄の塊が水底にあっては錆びるだけ。役に立たない。
悲しいかな、今のわが国には指導者がいなのであった。
できればここでもう一度、「国民の気持ちに近づいた指導者」が現れることを祈る。
志村けんのことを考えている。
コロナで入院している、と聞いて、正直難しいな、と思った。
なので、亡くなってしまった、と聞いたとき、やっぱり駄目だったのか、と思った。
多くの人がショックを受けている中、割と冷静に受け止めているつもりだったが、
徐々にその死の意味が自分の胸にも迫ってくるものがある。
改めて彼の人生がどんなであったのかを見ると、人を喜ばすために捧げられた人生だったことを知り、
人のために尽くしたからこそ、多くの人に惜しまれてやまない一生だったのだ、と思うのである。
最も輝ける人生は、人のために捧げられた人生だと思う。
だがそのためには、自分の力を最大限に発揮できる環境の中で自分が与えられた役目をしっかり果たさなければならない。
自分のお役目を人のために最大限に果たしたとき、その仕事を人々が喜び、彼にもっと頑張ってほしいと思う。
その思いを受けて、またもっと力を発揮する。そういう大きなエネルギーの循環が生まれ、その人の人生は大きく輝き始めるのだ。
だが、そういう恵まれた人生を歩める人は少ない。
だからこそ、愛され惜しまれるのだ。
たとえそうありたいと願ったところでなかなか手に入れられなくても、私たちは誰でも自分の最も合った環境と役目を探し出そうとし、自分らしく輝きこうと足掻いているのである。
最初に買い物に出た時に思ったことだが、もしかしてやはり品薄になっていくのは必須じゃないだろうか、と思った。
ほとんどの商品がメイド・イン・チャイナなのである。
中国どころかどこの国からも飛行機が飛んでこない今、徐々に品物が少なくなっていく可能性はある。
外で買えるものが制限されているので、ネットで探すとこちらもない。
そうこうしているうちに日本からも空路を絶たれた。
明日からだそうである。
なので当分日本から買い出しはできない、と言うことになる。
国内も危うい。
買い物ができないので宅配を使う人が多いのだが、そこに制限が入りつつある。
配達する人を保護するためである。
今朝、引き取りの手続きを取ろうと思ったら、うちから出したいものが宅配会社 が出した条件に収まらない。
それで頭を抱えている。
まるでゆっくりと血管が詰まっていくように、経済活動が止まっていくように見える。
本当に止まってしまったら、何が起こるのだろうか。
まだ峠は越えていない。
むしろこれからだ。
今月3月は感情的に妥協ができない月だった。
だから、世界がこの状況を受け入れるのに時間がかかってなかなか行動に起こせなかった。
どこも、である。
一番に始まったイタリアも遅かった。
なぜイタリアが?ちがう、行動が遅かったのだ。受け入れられない事実だったのだ。
日本はいまだに受け入れていない。
武漢、イタリア、スペイン、フランス、ニューヨーク、これだけ前例があるのに、なお許せない事実に目を背けている。
だが、来月は拡大の月。
今までの様にはいかなくなるだろう。
一人一人が、何よりも命を守ることを第一に考えてほしい。
私から見ると「なんでそうなる」と言う意見が増えるそういう時である。
たださえストレスのたまる時期なのに、イライラするので読まないようにしているのに、つい目に入ってしまう時がある。
どう考えても、オリンピック延期になってから日本の感染者増えたでしょ?
だって検査数増えてるんだもの。今まで断っていたのを少し増やした。
と言っても東京で一日全部100人ですと。その半数以上が感染者。
おかしい、と思うのが普通。
それでも頑張って「オリンピックと関係ない」と、 関係ある、と言う人に怒っている人がいるので、
私はここで怒っている。本人にはぶつけずに。
おかしいだろ!
和牛券にお魚券に旅行券。
それでも怒らないどころか、やつらをかばうおかしな人たち。
まだまだ収束には時間がかかりそうな気配である。
持久戦であることは分かっているので、自分の中のバランス感覚を失わないように静かに暮らす。
ニュースもほどほどに、あまり情報を自分の中に入れすぎてパンクしないようにする。
が、時々顎が外れそうなニュースが飛び込んでくる。
和牛券。
昨日義姉がちょっと寄って行った。
本当はそれも禁じられているのだが、立ち話でそのうち現金が振り込まれてくることになってい る、と言う。
月600ユーロ。
銀行に振り込まれるまでは信じられない、と言っていたけれども、とりあえず600ユーロの収入があるだろう、と思うのと、
和牛券が配られるかもしれない、では全然違う。
この穏やかな春の景色の中でウイルスが暴れまわっているとはシュールだ、と友人は言っていたが、
ウイルスが猛威を振るうかもしれない不確かな状況の中で、政府が和牛券を配り和牛を買うほうがよっぽどシュールである。
先日ドイツの友人から、メールが来た。
こちらがどうしているのか心配と、あちらの様子を伝えるものだった。
今は普通にジョギングに出ているけれども、それもできなくなるかもしれない、と言っていたが、
それからすぐにドイツも外出禁止令が出された。
今朝再びその友人からメールが来た。
まるで戦 争みたいね、と言う私の言葉に、本当に、と同意し、
春の穏やかな景色の中にいると、まるでシュールな夢を見ているみたい、と書いてあった。
普通じゃないと思えるのはウイルスが引き起こしている諸々だけれども、
実はもしかしたらウイルスがなかった時の私たちのやたらと忙しく世界を動き回る景色のほうが、
ずっとシュールなのかもしれない、と思った。
今朝一番におかしなビデオが出回っているのを見た。
日本がコロナウイルスから救われているのはある新薬のおかげであり、
御覧の通り東京はマスクなしの普通の生活を取り戻している、と言うのである。
ある外国人のビデオであるが、正体不明の人物である。
昨日千人近い死者が出てしまった私の居住国の国民はこのニュースに飛びつき、
わずかな時間にかなりの人数が見たらしいが、私は物の半分も見て「見るに値しない」と思い、止めてしまった。
腹立だしいと思ったのは、このビデオをシェアしていた人物がマスコミ関係の人物であったことである。
しかもご丁寧に、私の携帯に本当かどうか確認のメッセージが届いていた。
たまたま携帯を開けなかったので(最近とにかくメッセージが多いので鳴ってもすぐに開けない)、
わざわざ夫に同じ内容のメッセージを送っていた。
おかしい、と思ったのか、それとも朗報、と思ったのか、その後も私たちのところにこのビデオの真意を訪ねるメッセージがさらに別の人物からも来た。
そうこうしているうちに、日本に住む某ジャーナリストにある若者がインタビューをし、その内容がSNSを使って流れ、
それ以外にも間違いを正した記事が出てきて、おかしな外国人のビデオも姿を消した。
まあ、その内容がセンセーショナルなほど、再び流れてくる可能性はあるけれども。
今多くの人の命が失われている。そういうデリケートな時期だからこそ、情報に対し慎重にならなければならない。
色々なテロ事件、震災、私たちは最近何度もこういう経験をし、失敗もしてきたはずだ。
自国のことであればなおさら慎重に、冷静になるべきなのだ。
こういう歴史的な出来事だからこそ得る経験が必ずある、と言うのは、その某ジャーナリストの言葉である。