今日はちょっと日本での思い出話から離れようと思う。
うちの子は今年14歳になる。日本だと中一なのだが、イタリアではすでに中三で進路を決めなければならない時期に来ている。
ちょうど進路を決めるために動き出す時期に、年末商戦及び日本行で忙しくしていたせいもある。加えて私が外国人でこの国の制度をよく理解していなかった。夫が自分の進路を決めたのはなんと半世紀近く前で、そのころと大分事情が変わってしまっている。そして教えてくれる人が周りにいなかったし、自分たちも誰かに聞こうとしなかった。さらに学校からも全く指示がなかった、と、ないない尽くしのヘマで、私はこれはどうにかなることではなかった、と思っている。なったとしたら何か見えない力が働いたとしか思えない。
学校からは推薦される学校が三つ提示された。
音楽科、美術科、語学科である。
私の理解している範囲では、イタリアの場合学校の偏差値はなく、何を勉強したいのかを優先し、学校も学ぶことによって分かれる。だが実際には学校のレベルと言うのはもちろんあって、いわゆる進学校はクラッシコと言われるもので、日本で言う文系学科。理系に進む人間もまず言葉に対しての基礎がしっかりあったほうが大学に行ったときに有利である、と言う考えなんだそうだ。理系学科ももちろんあって、こちらも進学校になるんだと思う。
うちの子は残念ながら日本で言うところの五教科のような学科より体や手を動かす学科のほうが好なこと、それと母親が日本人であることを加味して三学科を薦められたのだと思う。
だがしかし、親のひいき目で見ても、うちの子が音楽や美術を勉強してプロを目指すレベルにあるとは到底思えない。言葉に巧みな人間でもない。でもそれは親の思い込みかもしれず、この年齢に伸びしろはまだいくらでもあるだろうし、大事なことは本人がどれだけ好きか、情熱があるかなので、親が口は出さないが吉、と思っていた。
そもそもこの年齢で進路を決めさせるのが酷と言うものだ。日本の中一の少年少女に将来を見据えて何を勉強したいか答えられる子はそういないと思う。中にはもちろん早熟な子はいるだろうし、それはイタリアでも同じだけれども、やはり少数派と言っていいと思う。せめて15になるまではまだまだ子供過ぎる。
初めイタリアの制度を聞いた時は、早くに進路を決めてくれるやり方に感嘆していた。早く決めて早くスタートを切れば早く人生を固められると思った。自分が色々迷って30過ぎて学校に行き直したりしたこともあって、14歳で大まかな人生の道筋を決められるならば、それは凄い事だと思った。だが実際に蓋を開けて自分の子を見れば、そんな大それたことを決められるほど自分が出来上がっていないのだった。
当たり前と言えば当たり前で、逆に必要以上に遠回りする子を作ってしまう気がしている。うちの子もそちらに入ってしまう可能性は高い。
とはいえ、多分美術科に行くのだろう、と思っていた。願わくば文系理系問わず、進学校で頑張って見ると言ってほしかったが、それは口が裂けても言わなそう。美術系に行って何になれるのか皆目分からないが、本人が望んでいるのなら仕方がない。
ところが、それが突然去年の暮れ辺りから音楽科に行く、と言い出した。
最初にそれを聞いた時は「あなた、何を考えいるの」と思わず言ってしまった。音楽科と言うからには音楽家を目指すのだろうが、そんなことを学ばせてきたことは全然ない。習い事で楽器を習っていたならともかく、趣味でギターに触るレベルである。
そんなにギターが好きならギター教室に通ってみたら、と勧めてみたが、自分でやるんだと言って聞かなかった。自分でやれるレベルで良いのなら、それはそれで仕方がない。所詮、そのレベルで終わるが、本人の望んでいることなので強制はできない。
それでも学校では重宝がられて、コンサートがあればギターを担当するようになっていた。
本人が音楽科に行きたいと言い出したのも、音楽科の先生が薦めたからだという。先生が薦めてくれたのだから、間違いないと本人は信じている。
私も先生が薦めたからにはこのレベルで入れるものなんだ、と思った。つまり、イタリアの高校の音楽科とは、日本で言うところの部活の吹奏楽部レベルなんだろうか。吹奏楽部に入るのに経験はそれほど問われないだろうから。
その後、保護者面談で音楽科の先生と話をした。進路は音楽科を考えているようです、と言うと、「あーそうですが、そうですね、いいですね」とそれ以上の会話はなかった。担任の先生とも話をしたが、同じような反応で、結果、冒頭に述べた「音楽科、美術科、語学科」の推薦が提示されてきた。
さて、調べてみると11月にはすでにオープン・デイなる物が各学校で開催された。いわゆる学科説明会なのだが、うちの子に「始まっているよ、行ったほうが良くない?」と言っても、頑として行かない、という。なぜならバレーボールのチームに入っていて、試合と重なっていたからだった。年明けに行くからいい、とバレーボールを優先した。音楽科のオープン・デイは来年もあるから、その時に行く、と言う。美術科は見なくていいの?他の学科も見たほうが良くない?と言うと、友達が見てきた話を聞いたから行かなくていい、と言う。
本人は良くても親はなるべく学校を見てみたい。だがうちの子は頑固だった。
そうこうしているうちに日本に出発し、2週間後年が明けてこちらに戻ってきた。オープン・デイは続いていたが、日本に行っていた間の分を取り返したい、と、やはりバレーボール優先である。音楽科のオープン・デイは月末に行けばいい、と言っているが、申し込みは月末に締め切りである。私だったら考える時間を考えてなるべく早く学校に行ってみたいと思うのだが。
ところが、である。昨日の事だった。義姉がやってきて「音楽科は試験があるらしいよ」と言ってきた。さもありなん、である。あって当然だろう。
子供に確認すると、そんなものは絶対にない、ありえない。という。どこの学科もそんなことはやらないし、そもそも音楽の先生からも聞いていない。あったら言ってくれるはずだ。それもそうである。
それでも念のため学校のサイトを開けてみた。そこで見落としていた情報に気が付いた。
申し込みは9日まで。そして試験の日程。何と試験最終日は情報を見ている今日その日であった。しかも子供が弾けるギターの試験が最終日に当たっているのは皮肉としか言いようがない。
子供に見せると、「こんなのは絶対にウソ、間違った情報で、きっと去年の話。ありえない!」とキレてしまった。
子供曰く、学校の申し込みは9日から月末まで。それまでに申し込めばいい。だから9日に締め切りなんてありえない。試験があるなんて聞いてない。あったらどうして先生たちは教えてくれなかったの?
そうなのだが、イタリア理論で行けば「自分の事だから自分で調べて自分の責任でやれ」と言うことなんだと思う。
もう一度サイトをよく見た。だが、やはり私たちの理解は間違っていなさそうだ。申し込みはとっくのとうに終わっていて、試験も私たちが気が付いた日に終わった。
「学校に電話してみたら?」と夫に言うと、「いや今さらでしょ。明日オープン・デイだから、明日行って聞いてみるしかない」と半ばあきらめている。
そう、おかしなのは、オープン・デイで学科説明会がまだあと4回残っているのに、もう申し込みが終わっている点なのである。
なんだかモヤモヤして仕方がない。
ちょうどその話をしていた時に、クラスメートのお母さんから電話がかかってきた。そこのうちの上の子が音楽科に通っていて、今日が最終試験だと知っていて、様子を聞きに電話をかけて来てくれたのだった。いや、実はかくかくしかじかで、申し込みもしてなかったし、試験も受けてない、と言うと、「今すぐ学校に電話すると良いわ」とアドヴァイスをもらった。
電話をすると、職員は誰もいなかった。しかも明日、明後日のオープン・デイは悪天候のため中止。雪が降るかもしれない程度の予想で降ってもいないのに中止である。つまりやらなくてもいいオープン・デイなのかもしれない。
朝に雪が降っていなければ、明日、教員がいるので電話してください、と言うので、今朝電話してみた。結果、話ができる人間は月曜日に来るので月曜日に電話してほしい、という。
私の予想では、現状打破は相当難しいのではないか、と思う。
つまり、こういったイレギュラーな入学申し込みをしているということは、それだけ申し込みが多い、人気が高い学校であるということだろう。うちの子のように中途半端に楽器に触れているレベルの子が入れる学校ではない。こういった情報が手に入る位置にいる親の子が試験を受けている、と想像もできる。要するに、個人で楽器を教えている先生と学校にコネクションがあり、お習い事ですでに楽器を習っている子たちが優先されている可能性は高い。
とどのつまり、うちの子は箸にも棒にも引っかからない。
それでも挑戦する価値はある。だから月曜日に電話はしてみようとは思う。
だが、それにしても学校の進路指導はお粗末すぎる。そこまで厳選された世界なら、無責任に薦められて傷つくのは子供だ。
なんだかなー、である。
うちの子はと言うと、さっさと気持ちを切り替えて、今日もバレーボールの試合に出かけている。