私が住んでいる地域では大貴族と知られている人から連絡があり、話がしたいと言う。もちろん私ではなく、夫とである。

イタリアには今現在貴族はいないが、「かつて貴族だった」家系の人たちはいる。そういう人たちと割とかかわりがあるのだが、今回呼ばれた人はけた外れの土地の持ち主で地元でも名前を言ったらすぐに分かる。以前突然我が家を訪れてきたことがあったが、もうかれこれ10年も前だろうか。その後交流が無くなっていたが、自宅に呼ばれたのは初めてで、どんな暮らしをしているのか、私も好奇心で付いて行った。

 

お昼をどうぞ、と言われたが、それはお断りした。自宅でお昼を食べた後、暗くなる前に寄らせてもらって、その後用事がある、とか言えば私と娘が付いて行ってもおかしくないだろう、と色々頭の中で作戦を考えて行ってみた。

これだけ名の知れた人だもの、さぞかし立派なお屋敷に住んでいるんだろう。

 

入り口の構えはそれほどでもない。大体大金持ちの家の構えは意外に質素なことが多い。何にもありませんよ、と言うアピールなのかもしれない。その後の屋敷に着くまでの森は樹齢500年は越えそうな栗林がまず現れる。その後も畑が続き、それから第二の門があり、お屋敷に到着、となる。門から家まで車なしでは移動できないのも、大貴族の家ならではである。

 

屋敷はそれほど大きくはないが、もちろん普通の家より大きい。そして古い。

中に入ってまずいくつも動物のはく製の頭。居間。食堂。とにかく古い。掛けられた絵。古そう。
居間の裏の部屋はなんと小さな教会になっていた。そこにも大きな宗教画がかかっている。聖母マリアの絵だった。そこでどんな奇跡をこの聖母が起こしたのか、聞かされる。

何でも家の主人の肺がガンとの誤診だと分かったのは、この聖母のお陰だそうである。

 

その後居間のある二階から一階に行き、美術品類を見せてもらった。とにかくとにかく古い沢山の食器類。美術館並みのアンティーク中のアンティーク。300年は越えるという。なんとなく和を感じる絵柄で、陶器の歴史を考えると、その年代に爆発的に東洋的なデザインの食器が貴族たちにもてはやされたのは想像できる。が、それは言わずにひたすら見目美しさを褒めて話を聞いた。それらを直に手に持たせてもらったのだから、貴重な経験であることは間違いない。想像以上に軽いのには驚いた。

これだけ山のようにあるのだから、普段使いにしているのだろうか、と思ったら、飾っているだけなんだそうだ。
それはそうだ、大事に扱わなければならない貴重な人類の宝だろう。私は本当に物の価値の分からない人間である。

 

そんな宝の山に埋もれて暮らしている彼らの家は、なんだか生きながらにして墓の中にいるようだ。家の中も墓のようだが、本当に祖先の墓を守るのは彼らの大事なお役目なんだろうと思う。それは与えられたものだけが担う役目で、誰もが憧れるような代物ではない、と思った。

 

 

先日娘が14歳になった。
14歳になると「セミ大人」扱いになる部分がある。
まずこちらではバイクの免許が取れる。日本では16歳だが、14歳はさすがに早すぎる感じがある。

現に甥っ子は14歳ですぐにバイクに乗り始めたが、間もなく鎖骨を折る事故を起こした。

うちの子はバイクは禁止にしている。なので、18歳の車の免許までまだ自由に動くのは我慢させる。

 

それとグーグルのアカウントは、自分で管理できるようになる。

だが、さっそく新しいアプリを入れたのだが、一応今まで通り親に断りのメッセージが来た。そのアプリが危なっかしい。

14歳から出会い系っぽいアプリも解禁されるものがあるらしい。ダメとも言い切れず、

「なんかちょっとこわいね」
とだけ、言っておく。

やはり引き続き親の管理下の下に置くことにしよう。携帯の使用時間も今までと同じにする。

 

最近我々はある賞を頂くことになった。

賞を与える人たちと言うのは、ボランディア事業ではなく、それなりに見返りを求めている。賞をもらえるまでも大変だが、もらった後も大変だ。決めなければいけないことが色々増えた。

冬に向けて今年は薪を結構大量に買った。暑いうちは寒い日なんて来なさそうだが、この乾燥した夏に薪を買うのがベストだ。その薪を積み上げる仕事を地味に毎日やっている。忙しいのにそんな仕事、と思っていたが、やってみる見るとパズルをやるようで楽しい。が、まだ先は長い。

 

色々ネットでリア充な若者たちの写真を見ているうちに、腹筋が割れているのはカッコイイな、と思った。この年でもできるだろうか。腹なぞ割れたことがないので、そういう体になって見たい。と言うことで、昨日から腹筋を始めた。娘には「なりっこない」と言われたが、まだ腹筋割れに挑戦できるぐらいの残りの人生時間はあるだろう。

楽しみが一つ増えた。

友人から送られてきたインドネシアの森林伐採問題について、何とメッセージを送るべきか考えていた。
まともに話をしたら、私と彼女との考え方の違いが浮き彫りになり、きっとぶつかり合うことになるだろう。だからそれは避けたい。

こんな事はコロナの時もよくあった。

 

昼寝をしていたらやっと言葉が浮かんだ。

 

「度し難い」

 

人間は度し難い、これなら自分の気持ちに一番近い一言だろうか。

 

改めて度し難い、の意味を勉強する。度し難いとは仏教の用語で救うのが難しい、と言うことらしい。救いようがない、希望がない、と訳しやすい言葉を考えて行くうちに、なんだか度し難い、とは違うニュアンスになっていく。意味はそうなのだがちょっと違う。

 

「度」あるレベルに達すること。それが「し難い」難しい、ということだから、解脱の境地に立つのは難しい、と言うことだろう。

難しい、とは言っているが、不可能、とも言ってない。仏教の教えから考えて、たとえ難しくても絶対的にそこを目指すべきだということが、この言葉の裏には隠れていると思う。救いようがない、希望がない、だと、見捨てたほうが良い、と言う感じがする。私はそこまで絶望していない。

 

それで、「我々の世界は困難に満ちている」Il nostro mondo è pieno di difficoltà.と言うことにした。それだと、現状を言っているだけ。度し難しのように何を目指すべきか見えない。ちょっと宇宙から人間の所業を見つめて「度し難し」と嘆いているような、そういうニュアンスの言葉を、イタリア語も英語にも私は見つけられなかった。

 

この夏最も暑い日が、この8月下旬になってやってくるなんて、誰が思うだろう。今日の外の気温は多分40度に達している。夜は暑さに汗が噴き出して目が覚める。

 

このままどんどん気温が上がるようになったら、外では暮らせないな。穴を掘って地下に行ったら多少涼しいかもしれない。

どんどん加速する地球の温暖化、気候はどんどん変わっていく。恐ろしい、と思っている人たちが沢山いる一方で、それを止める手立ては全くない。

森林破壊は今すぐやめるべきだ。それは理屈で分かっている。だが、経済成長も国家には必要だ、と言うことなのだろう。何でもインドネシアの森林破壊は進める方向らしく、どこかの企業に権利を売ったとかどうとか、日本では全然話題にもなっていないが、その動きを止めるために、ある友人が署名をしてほしい、と言ってきた。
 

気候が変わって今までの生活を脅かされるのは嫌だ、と思っている人は、インドネシアなぞ行ったことがなくても、森林がなくなってますます温暖化が進むのは恐ろしいから、即署名するだろう。

だが、この森林破壊を進めている人たちはきっとそれがなければならないと思っている。理由は自国の利益、自分の利益の為だけかもしれないが、それでもそれが彼らの正義だ。

 

森林伐採で利益を得るのは一部だが、気候が守られれば世界中の人が今までの生活を続けられる。

だから、どちらがより正しい生き方かと言えば、森林を守るほうだろうが、果たして署名で森林が守られるか、と言うと、まあそれはない。ネット署名をすることで自然を大事にした人たちの数はある部分可視化するがただそれだけで終わり、ただ単に自分の情報を相手に与えるだけで、後はうっとおしいほどあれやこれやと署名のお願いが来ることになる。

 

と言うことで、その友人には悪いが、署名はしない、と言う結論に達した。

 

だが、しかし、今その友人と次の会話をどうするか、悩んでいる。

 

 


 

三つ折りにできるマットレスは、真ん中が硬くてあとの二つは柔らかいという変な作りで、寝てみると腰が反ってしまい寝苦しいので、頭と足を高くするように座布団を入れたりしてみたけれども、やはり具合が悪いので、トッパーを購入した。そのトッパーが届くのが1週間以上かかり、ようやくこれで安眠を手にしたと思ったのだが、昼寝をしてみた夫曰く「まあまあ」。なるほど、やはりトッパーを乗せたところで背中の硬さは気になる。

 

それでどうしたものか考えた。
もしかしたらマットの位置を変えられるのでは?

見たら、マットカバーは取り外し可能で、簡単に3つのマットの位置を変えられた。

そこで、頭と背は柔らかく、足元を固くして、その上にトッパー、としてみたら、今度こそ「これなら」と言う感じになった。

 

マットが80ユーロぐらい。トッパーが100ユーロぐらいで、合計180ユーロ。

夫はあまりこんなことでお金を使いたくなかったようだが、自分たちの年齢、地球環境の変化に合わせて、それなりに何か投資しないといけないんじゃないかな。

 

それにしても夫の鼻声が気になる。

この時期特に体調を崩しやすい。また入院なんてならないといいのだけど。

 

 

 

昨日「トッパーがまだ来ない」と書いた後すぐに届いた。

届けた人物がどんな顔をして持ってきたのか、残念ながら見なかった。

とにかく、これでもし暑い日が来ても、夫は応接間で腰を痛めずに寝られそう。

ここ数日はそれほど暑くないので、一緒のベッドで寝ている。

ただ、もともと暑がりで白血病持ちで汗をかきやすい夫にはやはりい暑いらしい。

 

なかなか体を休めなかったからだろうか、娘が鼻かぜを持ちこんだせいか、夫もすっかり体調が悪くて思うように動けないらしい。

もっと早くトッパーが届いてたら、と、ちょっとだけ思う。

 

昨日は午前中出かけていたので、荷物がどうなったか調べていなかった。

帰ってきて追跡を見たら、今日も来ないらしい。ご迷惑おかけします、もうしばらくお待ちください、でもどうしてもブツが欲しいなら取りに来い、連絡先はここ、と出ている。

なんなん。しかも今日出かけた町ではないか―。知っていたら取りに行ったのに。

電話した。出ない。それどころかミラノの事務所に回された。で、ミラノの人、出ませんよー。

 

しょうがないので、他に電話番号がないか、ネットで探す。

フリーダイヤルが見つかった。

かけた。

AIがイタリア語でしゃべれ、と言う。何言っているか分からないです、さようなら、と切られる。どうやら私の発音はAIにはイタリア語じゃないということらしい。

娘を呼ぶ。娘にしゃべらせたら、AIは理解したが、番号を知っているなら追跡ページを見ろ、と言う。なんだよ、それ。

オペレーターを呼ぶ。出ない。

 

最後の手段。購入先に電話する。すぐに出た。19日に買ったものがまだ届きません。

分かりました、催促します。

そして今日。

追跡は「今日お届けの予定です」の文字が初めて出た。がしかし、もうすでに午後の5時。これは今日中に着くのは怪しい。

 

つづく。

 

 

新しく購入したマットレスの具合が悪くて、その上に乗せるマットレストッパーを購入したのはちょうど1週間前になる。

まだ来ない。

すでに月曜日に我が県の集荷所に来ている。それから昨日配達される予定が、午後に変更されて今日、そして今日は「なるべく早く配達いたします。申し訳ございません」の文言。集荷場からここまでわずか30㎞の距離である。が、遠い。
理由はあまりこの辺を回っていない宅配会社だからだ。日本だと佐川かヤマトか郵便か、そんなところだろうが、この国はもっと宅配会社が多い。
それにしても。
イタリアらしいっちゃらしい話だ。

とにかく幸い昨日も今日も涼しい。

頼む、明日には届いて送れ。

子供がバレーボール合宿から帰ってきた。
合宿中にかかってきた電話は、まるで退屈で死にそうな声でかけてきたくせに、実は相当楽しい時間だったらしく、また来年も行くんだと張り切っている。
バレーボールの練習だけでなく、プールで泳ぐわ、誕生日パーティーはあるわ、ラフティングには出かけるわ(ラフティングはかなり危ない思いをしたらしく、擦り傷を作っていた。水難事故をここの所よく聞くのでちょっと冷や汗が出る話)、色々盛沢山だったらしい。

メンバーは州の各町のチーム合同で集まっていて、しかも男女混合、ほぼ半々、と言うのを、送られてきた写真で初めて知った。

これは大人の管理が大変だわ、と思っていたら、案の定、コーチは男女の部屋の間に椅子を置いて寝ずの番だそうである。特に男の子たちが隙を見て女子部屋に侵入しようとしていたらしく、女の子たちは対策としてドアを開け放して寝たとか。
まるで盛りの付いた犬みたいなので、思わず笑ってしまった。

 

普段男女一緒の練習はないので、それはそれで刺激があっただろうが、さらにセリエAの選手も来ていたらしく、それもまた学ぶものが多かったみたいだ。

 

セリエAと言うことは、完全にプロ選手なわけだが、子供たちもセリエAのスポンサー提供のTシャツをおこぼれでもらってきた。それがうちの子にはすごく嬉しい事らしい。企業宣伝と言ったらそれまでなのだが、誰かに応援してもらっている、頑張るとご褒美をもらえる、もっとうまくなるとお給料が出る、そんな感覚でとらえているみたいだ。