自分の中で不安が袋の中に入っていてる。それはちょうどゴムの中に入った羊羹とかあるいはもっとどろどろと固形にはならないようなもので、ちょっとした刺激であふれ出てきてしまう。

普段は何でもない。何もなければ何もない。刺激がなければ収まっていてくれる。
だから刺激をなるべく避けたい。人にも会いたくない。誰にも。

仕事の時は大丈夫だ。仕事の顔をするから。でもなるべくプライベートをつつかれるようなことをしないでほしい。表面的な付き合いで終わってほしい。

これって解決方法はあるんだろうか?誰かに相談する?誰に話すの?どうやって?
 

コロナ、ウクライナ侵攻、世の中の諸々の動き、変化。値上げ。物が届かない。届けられない。
それでも人々は今までと同じ便利な生活を望む。世界がこんなに変わろうとしているのに。
私も状況を見て上手に泳ごうとする。今までと同じ、何でもない振りをして。泳がなければ溺れる、と言う緊張感。

でも泳ぐのやめてしまおうか、と一瞬思う。

世の中の人を金持ちと貧乏人に分けるとしたら、私は完全に貧乏のほうに入っている。貧乏人は世の中が変わると色々振り回される。この激しい世の変化の中、やはり「ほしいから買う」と言う発想は貧乏人は際限なくできるわけではないし、しないほうが賢明だと思った。
その代わり「ほしいなら作る」とか「ほしいなら発想を変える」と、頭を使うことは際限なくできる。これが楽しい。
うちに端材やパレットが沢山あるので、それをリサイクルしてい見ることにした。最初は長年土の中に埋もれたように庭先に置いてあったパレットを掘り起こし、靴箱を作ることにした。

あともう少しで完成するが、その前に使い始めてしまった。時間があって天気がいい時にもう少し手を加え、色を塗って見ようと思う。

2月に買ったある大きな買い物の取り付けがやっと終わった。良い感じである。

夏の間にあと二つ買って取り付けたい。
冬が来る前にさらに二つ。

お金がかかる。頑張って働こう。
頑張って成果が出る世の中でいてほしい。

もう長い事健康上の不安を抱えている。解決策が見つけられなくて、どうしていいか分からない。

手あたり次第相談に乗ってくれる医者を探すべきなんだろうか。
それとも小康状態でいてくれ、と祈って過ごすべきなんだろうか。

ちょうど1週間前、買い物に出かけた。棚があちこち空で、金曜日の夜はこんな感じなんだろうか、と思った。日本ではあまりないが、棚が空になることが良くある。でも私の記憶だとそれは日曜の夜から月曜の朝なのだが。月曜の午後になるとやっと補充されてまた戸通りに戻る。金曜土曜は買い物客が多いので、ちょっと不思議に思っていた。
その原因が実はウクライナ侵攻だったのだ、と数日後にニュースとYouTubeを見てようやく気が付いた。よくよく考えてみたら、なくなっていてのは小麦粉、パスタ、砂糖の棚だった。そういえば友人の一人がひまわり油がない、と言っていた。

どうやらこの事態の備えとしてパスタと小麦粉の買いだめに走っているようである。

完全に出遅れてしまった。

昨日コロナのせいで長いこと外食していなかったので、親族友人と夕飯を食べに行った。レストランに入る前にワクチンパスポートをチェックするのだが、なんと私のワクチンパスポートが切れていた。期限は4日前。

ワクチンを打ちつつその恩恵にあずからず、ワクチンパスポートをまともに使ったのが今回初めてだったことが原因である。むしろこのワクチンパスポートに関する法律のばかばかしさが増した愉快な経験だった。そのまま私だけ家に帰り、納豆ご飯をどんぶりで食べて大満足であった。
3回打つとフリーパスになるが、私は今のところ打つつもりはない。

同じく昨日、子供のクラスメートが遊びに来ていて、迎えに来た母親と話をしたところ、その子はワクチンを打ってから心臓に不調が出て定期的に検査が必要になってしまったという。なので3回目は慎重に考えている、と言うことだった。

 

私達が知らないうちに、一線を越えてしまったんだ、と思わせる戦況。もうこれからは多分どんどん状況は悪い方向に行くばかりなのではないだろうか。
合理的に考えて原発を破壊したり核を使用するなどありえない、と思わないほうがいいかもしれない。相手の思考が合理的に判断しているのではなく、侮辱された、仕返ししてやる、思い知らせてやる、と言うことが原動力なのだったら、原発の破壊も核もありうる。
合理的とは何なのかと考えたら「やったら損するから」、と言うことだろう。だからしないだろう、と普通は考えるが、もし損してもやりたいと思っていたら?そもそもこの戦争そのものが損ばかりなのになぜ続けるのか、それは損得ではない証拠ではないか。たとえ自分たちも被害を被っても、その困難が自分たち民族をより強くする、と考えていたら、どんな恐ろしい結果を伴ってもやるのではないか。
おそらく「損か得か」と言う資本主義的な考え方は彼らが思うアメリカ的なやり方なのではないだろうか。自分たちはお前たちとは違う。それを示したいなら、損得は考えないもっと別の大義のために動くに違いない。アップルもマクドナルドもディズニーもフェイスブックも何もかも、欧米から来た腐った文化は消し飛んでくれた方がいい。出ていくなら出ていくがいい。我々ロシア民族はそんなものがなくても全く構わない。
そもそもNATOは参戦しないと言いつつ、ウクライナを支援する基地がウクライナ国内にあって今日爆破された。NATOがウクライナに協力しているというのは、たとえウクライナがNATOに加盟していなくても実質的に参戦と同じではないだろうか。NATOが参戦したら第三次大戦がはじまるので参戦はできないと言いつそれではまるで詐欺である。相手が参戦と同じと判断していたら、相手の攻撃はより過激になっていく可能性は高い気がする。もちろんウクライナ戦の軍事的に補給路を経ちたい、という「合理的な判断」ではあるだろうが、その裏に「バカにするな」と怒り狂うプーチン氏の顔が見える気がする。
これが一部プーチン氏を支持する人たち、あるいは大部分のロシア人の考え方かもしれない、という私のただの妄想であることを祈る。

今までやってきているロシアへの対応が、私には間違っているように思えていたところ、いったいロシアが、あるいはプーチン氏は何を考えているのか、色々見ているうちに中村先生のインタビューに辿り着き、なるほど、と思った。
こちらから見ると全く合理性に欠ける決断であっても、正しいと思って突き進んでいるからには、正しいと思う理由があるはずだ。自分の正義は相手の正義とは違うわけだから。
欧米の文化一辺倒に対抗したい、と言う考え方は分からないでもない。対抗、抵抗、ならまだしも、破壊、はやっぱり理解できないが、でも中村先生のお話ではそれはロシア人のメンタルの一部らしい。