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47-選択のとき 9-



「みなみっ!」

 みなみは自分の名を呼ばれたような気がして、一瞬振り返ったがそのままゲートをくぐろうとした。
 「みなみっ!」
 想は人ごみを縫うようにして走りながらもう一度叫んだ。ようやく、みなみは気付いた。
 「田嶋君?」
 みなみはゲートに並ぶ人の列から抜けた。想が駆け寄ってくる。
 「間に合った・・良かった・・」
 想は膝に手をあて、肩で大きく息をしている。、
 「見送りになんて来なくても良かったのよ。それもそんなに慌てて・・」
 みなみは首をかしげて笑った。
 「違うんだ。みなみ・・違うんだ」
 「え?」
 「オレも一緒に行く」
 「え?」
 みなみは想の行っていることの意味がわからない。
 「オレはみなみと結婚する。子供は二人で育てるんだ。だから、一緒に行ってみなみの両親に頭を下げる」
 「何言ってるの?それはダメだってあれほど・・」
 想はみなみの言葉をさえぎって強く抱きしめた。みなみの持っていたボストンバッグが床に落ちた。
 「いや。ダメと言われてもオレは決めた。文句は言わせない。もっと素直になれ。もう無理しなくていいんだ」
 みなみの目から涙がどっと溢れでた。
 「田嶋君・・ありがとう。でも、どうして?」
 「クミだ。今まで内緒にしてきたけど、クミにはちょっと変わった能力があるんだ。それでアイツには全部わかってたんだ。オレの本当の気持ちも、みなみの気持ちも・・そして、お腹の中にいる赤ん坊の気持ちも・・・。詳しいことは後で話す。クミの手紙も見せよう。それよりチケットを買うのが先だ」
 二人の様子を伺っていた回りの数人の人から小さな拍手が起こった。想はみなみの手を引いてチケット売り場に急いだ。

 その頃、クミは空から富士山を見ていた。初めて乗る飛行機だった。
 (想ちゃん・・間にあったかなぁ?)
 そして、隣に座る蓮沼に言った。
 「先生。わたし、飛行機に乗る前にシアワセをあげました。それも3人の人にです。そして、これからもいっぱいあげます」
 「そうね。がんばろうね」
 蓮沼の励ましにクミは「はいっ」と手を上げた。それを見たスチュワーデスが「何か御用ですか?」と言ってきた。クミは顔を赤くしてうつむいた。
 
 北海道に向かう飛行機の中で想は思った。
 みなみは自分の本当の気持ちを裏切ってまで、オレのことを考えオレのために最善の決断をした。クミは自分の生きがいをちゃんと見つけて自分の未来を決めた。結局、オレだけ最後まで自分では何もできなかった。でも、オレも来年はオヤジになる。しっかりしないとな・・。そして、クミには礼を言わなきゃな・・。隣の席のみなみは「クミの手紙」を見て静かに涙した。

46-選択のとき 8-

夕方、クミが想のマンションに戻ると想はもうベッドから起きていた。
 「ただいまー。あ、もう起きて大丈夫?」
 「あぁ・・まだ、ちょっとボーっとしてるけどな。寝すぎたせいだな」
 想は笑いながら、まだ靴をはいたままのクミを抱きしめた。
 「迷惑かけたな」
 想はクミの唇に軽いキスをした。
 「えへへ」
 クミは照れ笑いしながら、そのキスを受けた。
 
 夕飯のとき、クミは良くしゃべった。ユキちゃんと亮太がとてもうまく行っていて、飽きもせず毎日会ってセックスしているらしいこと。自分の母がスーパーの魚担当の人と付き合っていて、デートした後は魚の匂いですぐにわかること。祖母のこと。蓮沼先生のこと。病院で出会った自閉症のみどりちゃんのこと。そして、なぜだか突然あんぱんまんが頭に浮かんだこと。今までに何度か聞いたことまで、口から飯粒を飛ばしながらしゃべった。そんなクミの話を想はずっと笑顔で聞いていた。しゃべりすぎて最後は舌がうまく回らなくなったときは大笑いした。そんなにクミに何か良いことがあったのかと想が聞くと、「想ちゃんがずっと病気で寝てるから、今までしたい話ができなくて溜まってた。それに想ちゃんが元気になってうれしいから」とクミは答えた。
 その夜、二人は何日ぶりかで一緒に風呂に入って背中を流し合った。そして、今までしてきたように裸で抱き合ったまま眠った。想がクミの体をすっぽり包み込むように抱く。やさしく暖かい安堵感をお互いに感じた。セックスは必要なかった。
 想が見た夢にヘビは出てこなかった。一羽のハトが空で円を描くように飛んでいた。そのハトはやがて空に吸い込まれるようにいなくなった。

 翌朝、想が目覚めたのは10時を過ぎていた。まだ、高熱の余韻が残っていて必要以上に想を休めようと体が睡眠を欲したのだろう。ところが、部屋にクミはいなかった。昨日、用意してた沖縄へ持っていく荷物もない。
 (あれ?なんだよ。ちゃんと起こして、「いってきます」くらい言ってきゃいいのに・・)
 ブツブツ言いながら、起き上がると一通の手紙が枕元に置いてある。
 (手紙を書いたからいいって問題じゃないだろう・・まったく・・)
 しかし、その手紙を読み進めるうちに想は愕然となった。全身が震える。涙が溢れる。
部屋を見回すとクミのものは何一つ残っていない。こうしちゃいられない。想は決断を迫られた。時計を見ると、ギリギリだがまだ間に合う。もちろん飛行機の飛び立つ時間にだ。急いで身支度を整え、クミの手紙を無造作にポケットに押し込むとマンションを飛び出した。
 (あのバカ・・バカタレ!ホントにバカタレだ!)
 時間のたつのが妙に遅く感じられた電車の中でも想は頭の中で「バカタレ」と言い続けた。今にもこぼれそうな涙は懸命にこらえた。
 モノレールを降りてから、想は全力で走った。土曜で混雑する空港の人ごみを掻き分けながら懸命にその姿を探した。
 (どこだ?どこにいるんだ?もう・・搭乗者用の待合に?いや・・まだ、その辺にいるはずだ。今、ここで見つけられなかったらオレはもっとバカタレになる)
 15分ほど探しただろうか?ようやく想はチェックインしようとしているその姿を多くの人越しに見つけた。想は周り中の人が振り返るほどの大声で叫んだ。

ご無沙汰です

諸般の事情によりしばたく休んでいましたが、

また再開します。


少数の読者の方々・・

どうもご迷惑をおかけしました。


また、とぎれとぎれになる可能性大ですが

よろしくお願い申し上げます。


45-選択のとき 7-



 クミは帰りの電車に乗っていつものような不快感を感じなかった。それほど、混雑していなかったせいもあるかも知れないが、これほどリラックスして電車に乗ったのは何年ぶりだろう?一人の少女の病状を回復させたことで得た自分の力に対する自信が、今までは一方的に流れ込むばかりだった他人の意識をある程度抑えることもできるようにさせたようだ。
 「沖縄であなたのおばあちゃんのことを調べた後は、ぜひ病院で働いて欲しい。あなたの力でたくさんの人を助けてあげて欲しい」と蓮沼に言われた。誰かのために自分が存在していると思えることがクミに生きがいと喜びをもたらした。このことを早く想に伝えたい。想はきっと喜んでくれる。でも、想の病気はもう治っただろうか?電車の車窓を流れる風景のスピードがもっと上がればいいのにとクミは思った。

 その頃、麗子は想と病院にいた。熱は下がるどころか40度近くまで上がり、額の傷も大きく腫れてきたからだ。自分で歩くこともままならない想をタクシーの運転手に手伝ってもらいなんとか病院までたどり着くことができた。想が点滴を受けている間に聞いた担当医の話だと、傷口からばい菌が入ったかららしい。抗生剤と解熱剤を飲んで、しばらく安静が必要だと言われた。
 夕方遅くに帰ってきたクミは麗子からそのことを聞いて、想を麗子の部屋から移動させた。
 「後はわたしがやります。ありがとう麗子さん」
 (クミちゃん・・なんか、妙にしっかりしてきたな)
 麗子もクミの変わりように気付いた。
 (そろそろ、想君との関係も終わりにした方がいいかな)
 麗子はうつむき加減で苦笑した。
 「じゃ、がんばってね。もし意識が戻ったら教えてね」
 「はい」
 ベッドに横たわり苦しそうに息をする想はとても話を聞ける状態ではない。クミは想の手を握り、心の中に今日のことを語りかけた。想に届いているのかどうかはわからない。けれど、一生懸命に自分の気持ちを伝えた。ただ、語りけかけている合間に見える想の意識はクミをうれしくも悲しくもさせた。
 「想ちゃん・・・」
 昨晩、一睡もしていないにもかかわらず、今日は病院でがんばって疲れていたクミは想の手を握ったまま、頭をベッドの空いた部分に乗せて、いつのまにか眠ってしまった。そして、クミが見た想の夢は・・・
 想は今日もヘビにからまれていた。執拗に追いかけてくるヘビから逃げ惑っている。ただ、延々とその場面が続いているだけだった。
 
 翌日、想の意識は戻ったが起きられる状態ではなかった。
  「クミ・・オレはどうしたんだ?」
 想には一昨日からの記憶がない。みなみの部屋を出てから、自分で電柱に頭を何度かぶつけてマンションまで来たのはわかる。けれど、それ以降の記憶が失せている。
 「想ちゃんはね・・頭の傷からばい菌が入って熱が出てマンションの前で倒れました」
 想の横にチョコンと座ってクミは答えた。
 「そして、麗子さんに部屋まで運んでもらって、病院も連れて行ってもらいました。だから、ちゃんとお礼を言わなきゃだめです」
 「そっか・・」
 まだ、頭や関節がズキズキ痛む。熱が高いようだ。想は自分のだらしなさを恥じた。みなみに辛い選択をさせたばかりか、麗子やクミにまで迷惑をかけている。
 「何か食べる?」
 「いや・・水だけくれるか?」
 「うん」
 横になったまま、想は水を一口飲んだ。
 「想ちゃん・・わたし、一人で電車に乗れるようになった」
 「へぇ・・・そりゃすごい!あ、そうか昨日、病院へ一人で行ったのか?」
 「うん。それでね・・・。先生のお手伝いをすることに決めた」
 「大丈夫なのか?」
 「うん。想ちゃんのおかげ。それでね、土曜日から沖縄に行きたいの」
 「沖縄?」
 「おばあちゃんのことを調べに行くの。蓮沼先生と一緒に。でも、想ちゃん病気で・・」
 「あぁ・・オレはもう大丈夫だ。だから、行っておいで」
 「ホントに大丈夫?」
 「大丈夫だって!ちょうど週末だし・・麗子さんもいるし」
 「じゃあ・・行ってくるね。あ、先生に電話しなくっちゃ」
 クミは想に微笑みかけてから、携帯で蓮沼に電話した。そのときの弾んでいるクミの声を聞いて想は思った。
 (クミも自分のやりたいこと見つけて、ちゃんと自分で決断した。やっぱ、だらしないのはオレだけだな)
 「あ・・麗子さんに知らせなきゃ・・ちょっとお隣に行ってきます」
 「うん・・呼んで来て」
 すぐに麗子が入ってきた。
 「良かったー。もう、ホントにビックリしたのよ。血だらけで倒れてるんだから・・」
 「すいません・・いろいろ世話になっちゃって。もう、大丈夫みたいですから」
 ちょうどそのとき、想の携帯が鳴った。クミが携帯を想に渡した。みなみからだ。
 『今日どうしたの?学校サボったでしょ?あんなことがあった後だから心配になっちゃって』
 「いや・・ちょっとな」
 想は病気になったことを言わなかった。
 『そう?何もないのならいいんだけど・・』
 「うん・・大丈夫だ。悪かったな、あ、明日も休むよ・・でも、心配することじゃないからな。あ、それからあさってからの北海道、気を付けてな。何時の便?」
 『うん・・がんばってくる。えーと、12時の便』
 「そっか・・じゃあ・・」
 「この前の女の子?」
 電話を切った想に麗子が聞いた。想はただの友達だと答えた。
 (そうさ・・ただの友達だ・・)
 それから、しばらく3人で雑談をした。その途中でクミは、土曜から1週間沖縄に行くのでその間、想のことを頼むと麗子に話した。

 翌日、想の具合が快方に向かっているのを確かめて、クミはおかあさんに沖縄へ行くことと、病院で働くことを言うために自分のアパートに戻った。電車に乗るのはもう怖くなかった。今まで片道5時間かかっていたものが30分足らずで済んで、あまりの早さに当たり前だと思いながらも少々驚いた。
 アパートには母がいなかったので、クミは手紙を書いて置いておくことにした。同時にクミは母への手紙とは別にもう一通の手紙を書いた。

44-選択のとき 6-



 「あら?今日はひとりなのね」
 「はい、想ちゃん熱出しちゃって・・」
 「そうなの・・大丈夫?」
 「うんと・・隣のお姉さんに頼んできたから」
 「それなら心配ないわね・・じゃ、早速始めましょうか」
 蓮沼は検査をする部屋へクミを案内しようとした。
 「先生・・今日は、検査を受けに来たんじゃないんです。ちょっとお話していいですか?」
 「えぇ」
 蓮沼はクミに椅子を勧め、自分は机の角に尻を乗せた。
 クミはぎこちなく淡々と話し始めた。まず、自分の祖母のこと。そして最近、自分の”力”が以前よりも強くなったと感じること。中でも、みなみのお腹の中の赤ちゃんとの意思疎通ができたことを話したときには力が入った。 蓮沼は冷静に聞いているようで実は驚きを包み込んでいた。そして、話の最後にクミは聞いた。
 「先生、わたしのこの力でたくさんの人をシアワセにできますか?わたしもおばあちゃんみたいにたくさんの人を助けてあげられますか?」
 クミの目には力強い意志が宿っていた。蓮沼はクミの前にひざまづき、クミの手を両手で柔らかく握った。
 「できるわ。私なんかの何千倍も人にシアワセをあげられる。でも、わかるわね?あなた自身がうーんと強い心を持たないと、人にシアワセをあげる分だけ辛い思いをすることになるわよ」
 「はい。今日は一人で電車に乗れたし、頭の中が気持ち悪くなったけど我慢できました。だから、先生のお手伝いをできると思います」
 知らない人が聞いたら、全く意味不明の言葉だが蓮沼にはクミの言いたいことがわかった。
 「私の手伝い?それは逆よクミちゃん。あなたが本気を出したら手伝いをするのは私のほうになるわね。私は行動や言葉からその人の心を推測するだけ。でも、あなたははっきりと見えるのよ。これには天と地ほどの差があるのよ」
 「うーん・・よくわかんないけど、クミは人にシアワセをあげたいだけ。でも、どうすればいいのかわからないから先生にお願いしないと・・あ、それとわたし沖縄に行きたいんです。おばあちゃんのことをもっと良く知りたいから」
 「そうね。それはいいことよ。うーん・・・私も興味あるなぁ。沖縄のシャーマンのことは少し勉強したけど、まだ不思議だと思うことがたくさんあるから・・。よしっ!クミちゃん二人で沖縄に行きましょう。私は決めたら早いわよ。どう?土曜から1週間ほど」
 蓮沼はクミを応援したかった。クミ自身がこの道に進もうと決めたのなら、できることは全てやってあげようと思った。
 「え、本当ですか?でも、わたしお金ないし・・想ちゃんが寝てるし・・今、返事しなきゃダメですか?」
 「お金のことは心配しないでいいのよ。あと、旅行の手配も全部こっちでするわ。でも、彼のことは心配ね。じゃ明日、返事をちょうだい。それでどう?」
 クミはしばらく考えていたが、元気良く「はい」と手を上げて答えた。
 「よーし。いいぞー」
 勝ち名乗りを上げるチャンピオンのように蓮沼はクミの挙げた手を取った。クミに流れ込んだ蓮沼の心は喜びと期待に溢れていた。クミにはその感覚が快感だった。人の喜びは自分をもうれしくする。
 (そっか・・わかった。わたしは大丈夫だ。人のこういう気持ちがあればやっていける。泣きたくなるほど辛い心もわたしの中には入ってくる。でも・・大丈夫)
 クミは少しだけ力の使い方がわかったような気がした。そして、ひとつ疑問が生まれた。
 「先生・・わたしは人の心が見えるけれど・・わたしの心を人にみせることはできるかしら?」
 蓮沼は「うーん」と考え込んだ。今のクミの気持ちを知っている自分では相手として相応しくない。
 「じゃあね・・ちょっと試して見ましょう」
 そう言って看護士を一人呼ぶと耳元で何かを告げた。
 「今ね、私が担当してる入院患者さんの一人に来てもらうわ。その人の心を見た後、クミちゃんが思ったことを伝えてみて」
 5分ほどして、さっきの看護士が一人の小学生くらいの少女を連れてきた。全く表情がなく、目線は宙を見据えている。
 「みどりちゃん。いらっしゃい。調子はどう?」
 蓮沼が話しかけても、指を一本咥えただけで少女の表情は変らない。
 「この子はね、みどりちゃんって言うの。10歳よ。でも、自閉症と鬱病を患っているの。もう3年前から入院しててね。お父さんやお母さんにも心を開かないの。機嫌が悪いと自分で自分の首を絞めたりするほど重い心の病気」
 クミは大きく深呼吸した。自然に流れ込んでくるものは何度も見てきた。けれどこうして自分の意志で人の心を見ようとするのは、まだ数回しか経験がない。ゆっくり、その少女に近づき、跪いて目線の高さを合わせた。そして、少女の両手をそっと胸に抱くようにして握り締めた。その瞬間、クミは叫びたくなるのをグッとこらえた。それは、電車の中でもよおす吐き気とは比べ物にならないほどの嫌忌感だった。暗い牢獄の中に少女は監禁されていた。牢の番人は・・お母さんだ。でも、お母さんは人ではない。ネコとサルを掛け合わせたような顔をして尻尾の先が鏃状に尖っている。そのお母さんがときどき手にした三叉の槍で少女を突っつくのだ。少女は狭い牢の中を逃げ惑うが逃げ切れず、体中のあちこちに傷が浮き出てくる。少女は「助けて~」と叫んでいるが、誰も助けには来ない。そして、その牢獄の隅に縮こまり震えているのだ。
 クミはそこで一旦、少女から手を離し蓮沼の顔を見た。
 「先生・・この子はお母さんにいじめられて・・・こうなった」
 蓮沼がぎょっとしてクミに聞きなおした。
 「虐待を受けていたと言うの?」
 クミは黙ったままで頷いた。
 蓮沼はみどりの両親を知っているが、とてもそうは見えない。品のあるやさしい顔をした母親だ。今まで、そんなことは思いもよらなかった。
 「きっと、小さい頃どこかに閉じこめられて・・何かで叩かれた」
 (そんなことまで・・!)
 蓮沼はクミの力のすごさを感じずにはいられない。
 (この子は・・やっぱり精神医療に革命を起こすわ)
 大袈裟な表現ではない。ここまで心の中がわかるだけでも次の治療にどれだけ役立つことだろう?
 クミはしばらく何かを考え込んでいたが、再び少女の手を握り締めた。今度は、さっきよりずっと力を込めて指を絡めるようにした。
 クミは思いつきで自分を「あんぱんまん」にした。そして、牢の番人である気味の悪い姿の母親に「あんぱんち」を見舞った。番人が気絶した。その瞬間だったのだろう。蓮沼は思わずみどりに駆け寄った。
 「みどりちゃん・・」
 病院に来て以来3年間、一度も笑ったことのなかったみどりが声を出して笑った。そばにいた看護士も驚きと感動で目に熱いものがこみ上げた。
 「クミが悪い人を退治しましたー」
 「クミちゃん・・あなた・・すごいわ」
 蓮沼はみどりと一緒にクミをも抱きしめた。 みどりはクミの手を力強く握り返した。そして、それまでぼんやり宙を見ていた目をクミに移し、「あんぱんまん・・」と小さな声でつぶやいた。
 「もう大丈夫だわ・・原因もわかったし。あの子はもう治ったも同然。あとは私がやる。それにしても、クミちゃん・・あなたはやっぱり・・」
 蓮沼はその後、言葉を続けられなかった。
 クミは「ふうっ」っと大きく肩で息をして、ニッコリ笑った。