「あら?今日はひとりなのね」
「はい、想ちゃん熱出しちゃって・・」
「そうなの・・大丈夫?」
「うんと・・隣のお姉さんに頼んできたから」
「それなら心配ないわね・・じゃ、早速始めましょうか」
蓮沼は検査をする部屋へクミを案内しようとした。
「先生・・今日は、検査を受けに来たんじゃないんです。ちょっとお話していいですか?」
「えぇ」
蓮沼はクミに椅子を勧め、自分は机の角に尻を乗せた。
クミはぎこちなく淡々と話し始めた。まず、自分の祖母のこと。そして最近、自分の”力”が以前よりも強くなったと感じること。中でも、みなみのお腹の中の赤ちゃんとの意思疎通ができたことを話したときには力が入った。 蓮沼は冷静に聞いているようで実は驚きを包み込んでいた。そして、話の最後にクミは聞いた。
「先生、わたしのこの力でたくさんの人をシアワセにできますか?わたしもおばあちゃんみたいにたくさんの人を助けてあげられますか?」
クミの目には力強い意志が宿っていた。蓮沼はクミの前にひざまづき、クミの手を両手で柔らかく握った。
「できるわ。私なんかの何千倍も人にシアワセをあげられる。でも、わかるわね?あなた自身がうーんと強い心を持たないと、人にシアワセをあげる分だけ辛い思いをすることになるわよ」
「はい。今日は一人で電車に乗れたし、頭の中が気持ち悪くなったけど我慢できました。だから、先生のお手伝いをできると思います」
知らない人が聞いたら、全く意味不明の言葉だが蓮沼にはクミの言いたいことがわかった。
「私の手伝い?それは逆よクミちゃん。あなたが本気を出したら手伝いをするのは私のほうになるわね。私は行動や言葉からその人の心を推測するだけ。でも、あなたははっきりと見えるのよ。これには天と地ほどの差があるのよ」
「うーん・・よくわかんないけど、クミは人にシアワセをあげたいだけ。でも、どうすればいいのかわからないから先生にお願いしないと・・あ、それとわたし沖縄に行きたいんです。おばあちゃんのことをもっと良く知りたいから」
「そうね。それはいいことよ。うーん・・・私も興味あるなぁ。沖縄のシャーマンのことは少し勉強したけど、まだ不思議だと思うことがたくさんあるから・・。よしっ!クミちゃん二人で沖縄に行きましょう。私は決めたら早いわよ。どう?土曜から1週間ほど」
蓮沼はクミを応援したかった。クミ自身がこの道に進もうと決めたのなら、できることは全てやってあげようと思った。
「え、本当ですか?でも、わたしお金ないし・・想ちゃんが寝てるし・・今、返事しなきゃダメですか?」
「お金のことは心配しないでいいのよ。あと、旅行の手配も全部こっちでするわ。でも、彼のことは心配ね。じゃ明日、返事をちょうだい。それでどう?」
クミはしばらく考えていたが、元気良く「はい」と手を上げて答えた。
「よーし。いいぞー」
勝ち名乗りを上げるチャンピオンのように蓮沼はクミの挙げた手を取った。クミに流れ込んだ蓮沼の心は喜びと期待に溢れていた。クミにはその感覚が快感だった。人の喜びは自分をもうれしくする。
(そっか・・わかった。わたしは大丈夫だ。人のこういう気持ちがあればやっていける。泣きたくなるほど辛い心もわたしの中には入ってくる。でも・・大丈夫)
クミは少しだけ力の使い方がわかったような気がした。そして、ひとつ疑問が生まれた。
「先生・・わたしは人の心が見えるけれど・・わたしの心を人にみせることはできるかしら?」
蓮沼は「うーん」と考え込んだ。今のクミの気持ちを知っている自分では相手として相応しくない。
「じゃあね・・ちょっと試して見ましょう」
そう言って看護士を一人呼ぶと耳元で何かを告げた。
「今ね、私が担当してる入院患者さんの一人に来てもらうわ。その人の心を見た後、クミちゃんが思ったことを伝えてみて」
5分ほどして、さっきの看護士が一人の小学生くらいの少女を連れてきた。全く表情がなく、目線は宙を見据えている。
「みどりちゃん。いらっしゃい。調子はどう?」
蓮沼が話しかけても、指を一本咥えただけで少女の表情は変らない。
「この子はね、みどりちゃんって言うの。10歳よ。でも、自閉症と鬱病を患っているの。もう3年前から入院しててね。お父さんやお母さんにも心を開かないの。機嫌が悪いと自分で自分の首を絞めたりするほど重い心の病気」
クミは大きく深呼吸した。自然に流れ込んでくるものは何度も見てきた。けれどこうして自分の意志で人の心を見ようとするのは、まだ数回しか経験がない。ゆっくり、その少女に近づき、跪いて目線の高さを合わせた。そして、少女の両手をそっと胸に抱くようにして握り締めた。その瞬間、クミは叫びたくなるのをグッとこらえた。それは、電車の中でもよおす吐き気とは比べ物にならないほどの嫌忌感だった。暗い牢獄の中に少女は監禁されていた。牢の番人は・・お母さんだ。でも、お母さんは人ではない。ネコとサルを掛け合わせたような顔をして尻尾の先が鏃状に尖っている。そのお母さんがときどき手にした三叉の槍で少女を突っつくのだ。少女は狭い牢の中を逃げ惑うが逃げ切れず、体中のあちこちに傷が浮き出てくる。少女は「助けて~」と叫んでいるが、誰も助けには来ない。そして、その牢獄の隅に縮こまり震えているのだ。
クミはそこで一旦、少女から手を離し蓮沼の顔を見た。
「先生・・この子はお母さんにいじめられて・・・こうなった」
蓮沼がぎょっとしてクミに聞きなおした。
「虐待を受けていたと言うの?」
クミは黙ったままで頷いた。
蓮沼はみどりの両親を知っているが、とてもそうは見えない。品のあるやさしい顔をした母親だ。今まで、そんなことは思いもよらなかった。
「きっと、小さい頃どこかに閉じこめられて・・何かで叩かれた」
(そんなことまで・・!)
蓮沼はクミの力のすごさを感じずにはいられない。
(この子は・・やっぱり精神医療に革命を起こすわ)
大袈裟な表現ではない。ここまで心の中がわかるだけでも次の治療にどれだけ役立つことだろう?
クミはしばらく何かを考え込んでいたが、再び少女の手を握り締めた。今度は、さっきよりずっと力を込めて指を絡めるようにした。
クミは思いつきで自分を「あんぱんまん」にした。そして、牢の番人である気味の悪い姿の母親に「あんぱんち」を見舞った。番人が気絶した。その瞬間だったのだろう。蓮沼は思わずみどりに駆け寄った。
「みどりちゃん・・」
病院に来て以来3年間、一度も笑ったことのなかったみどりが声を出して笑った。そばにいた看護士も驚きと感動で目に熱いものがこみ上げた。
「クミが悪い人を退治しましたー」
「クミちゃん・・あなた・・すごいわ」
蓮沼はみどりと一緒にクミをも抱きしめた。 みどりはクミの手を力強く握り返した。そして、それまでぼんやり宙を見ていた目をクミに移し、「あんぱんまん・・」と小さな声でつぶやいた。
「もう大丈夫だわ・・原因もわかったし。あの子はもう治ったも同然。あとは私がやる。それにしても、クミちゃん・・あなたはやっぱり・・」
蓮沼はその後、言葉を続けられなかった。
クミは「ふうっ」っと大きく肩で息をして、ニッコリ笑った。
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