久々の更新です。

寄っていただきありがとうございますラブ


下の子が小学校入学して

名前書きやら準備やら

一段落し、朝の時間がぽっかり空く

しあわせな時間を満喫中。



給食が来週から始まるまでは

仕事もそんなにガツガツできないなと

今週まではのーーんびりウインク

熱田さんの樹〜ドキドキ



そしてシリーズ化して

21まで来ましたが。


今ClubHouse流行ってますね。

あれで時々お話に参加させて頂いたりも

する中で、ごく数人の方からだけど

Zoomとかで教えてほしいと

お声を頂きます。


妊娠中の事とか

お産の事とか

産後の事とか。


1年ほど前まではオンラインで

ご相談受けますよ〜と言って

割と高額で個別にやって

その宣伝もしたりしてたけど


今はもうすっかり

お金云々よりはやっぱり

一人でも多くのどなたかが

安心出来ることを

大事にしたいという

初心に戻り、


色々改めました。


ClubHouseでの

これが響いています。

教えてもらって

ほんとそれ❣️と思った次第です。



もしよかったら

メッセージくださいね。


インスタの方が今は楽だと聞くので

インスタ載せておきます。

子どものLegoメインですがウインク


さて21(やっと始まる21)グラサン


今は40代でも初産の方増えてますが

以前は35を超えるだけでハイリスクでした。


その44歳初産のMさんがお産になる時

貴重児なので、予定帝王切開を

Mさんも旦那さんも決めての入院でした。


貴重児とは、今後子どもを望めないかもしれないから

今のこの胎児がぜっっっっったいに無事で

五体満足でないと嫌だーーという感じ。

不妊治療で最後の受精卵での妊娠の胎児とか

高齢だとかハイリスクだとか、ね。


今でも44歳初産は少ないかもしれない中

Mさんと旦那さんとの出会いから

赤ちゃんがやってくるまでも

素敵なエピソードだった記憶があります。


Mさんと旦那さんはお知り合いの紹介で

知り合って、旦那さんはジャズ演奏家

Mさんもジャズ好き。

お付き合いして数回のデートで結婚を決め

お互いに年齢も年齢だからと

子どもはご縁に任せると言うつもりだったそう。


それが知り合って半年後には妊娠発覚。

結婚を決めた頃だね〜と話してくれました。


ジャズを聞くと

すごく楽しそうに反応してた赤ちゃんで

病室にもジャズの音が時々流れてました。


そして出産の日

無事にオペを終えて赤ちゃんにも会えて

パパになった旦那さんも涙目。


オペの後は大体2日目には立ってみましょうと

そう言う段階になります。

オペ後長い間動かないと

血液の流れが悪くなって

万が一固まったりして血栓ができたりしたら

大変なことになりかねない、

と言う理由もあります。

予防はしますが、何より動かすことが大事。


さぁまずは立ってみましょう。


と言うときが一番血栓に注意が必要です。


Mさんは健康体ではありましたが

高齢で初産でオペ後...

2日目には髪の毛が真っ白でした。


立つまではできましたが

その後前側で支えていたわたしに

どっと倒れてきました。

気を失ってます。


もうここからは何が何だかでしたが

支えつつ怪我をさせないように抱え

叫ぶ!

叫ぶ!

叫ぶ!

新人に毛が生えてたくらいだったので

叫ぶしかできませんでした。

そして気を失った人間はとてつもなく重い...

1週間ほど身体中が筋肉痛となり

腕の筋も少し痛めました。


この経験のおかげで

この後こういう事も考えてボディワークも

自然に身につきました照れ


スタッフ総出で助けに来てくれて

Mさんはゆっくり回復

ほかに何も問題を残さずに回復でき

翌日には赤ちゃんのお世話も始め

無事に退院できました。


良かった良かった。


熟練の先輩方の動きの速さと

手際の良さに感動しました。

その動きを盗み自分も

できるようにと励んだなぁ〜

何事も経験させて頂けて

有り難いですおねがい


旦那さんがすごく穏やかで

お二人ともお二人をすごく大事にされていて

もう雰囲気が、あーー〜良いなぁ〜ラブラブ

だったなぁ〜照れ


あ、インスタは

papagon117

です。探してみてねウインク


今日も寄っていただいて嬉しいです。
ありがとうございます照れ

震災に遭われた皆様
今もご苦労多いかと思いますが
心より御多幸多きこと
お祈り申し上げます。

久しぶりの投稿になりますが、
このシリーズが20までも続くとは..
びっくりなのと同時に
吐き出して気がつき、記憶の整理ができ
わたし自身の垢がかなり落ちました。


そして今日の光〜
綺麗ですねおねがい




さて記念すべき(?)シリーズ20...


Lさんの話をしましょう。

長くなります(苦笑)


Lさんとの経験はわたしの成長を

すごくすごく長く促進し続けた

そんな経験でした。

彼女がお産したお子さんが成人した数年前

やっと、呪縛とも言える自分からの自分を

解放できました。


この光に寄り添ってもらいながら思い切って

吐き出します。なんか丸い光が

オーブのようにそばにいてくれてますラブ



Lさんは地方の大学病院から

マターナル(母体搬送)されてきました。

最後の砦でありNICUには

世界で有名な先生もいた。

そして小児心臓外科もある。

彼女のお腹にいる胎児は

左心低形成という心臓の奇形がありました。


その他諸々、その左心低形成に影響を受けて

心機能に諸問題があり

陣痛に耐えられるかも

五分五分

生を受けて生まれてこられるかの可能性も

五分五分

生を受けて生まれてきたとしても

その後順調に生きられる可能性も

五分五分


Lさんと向き合って何度も何度も話しました。


普通、赤ちゃんの心音が苦しいサインを出すと

緊急に帝王切開をし

赤ちゃんを救う事を優先しますが


Lさんの赤ちゃんは緊急だと判断して

緊急帝王切開した時に


小児心臓外科医やNICUの体制が整っているか


が重要になりますから

出来るだけ緊急事態は避けたい

出来れば予定帝王切開がベター

と言う小児科からの結論が出ました。


それで産科はどうするか

になるのですが、

わたしはその時とてもとても違和感があって


その論争の中にLさんが居なかった。

彼女の要望や希望が何も反映されてなかった。

んです。


Lさんと何度も話をして

Lさんの気持ちも揺らぐので

結論は出せません、当たり前です。

簡単に結論が出せるはずもない。

我が子の命を救う話なんだけど

お母さんであるLさんがそこにいないんです。


それを主治医含め医師側は

「心音が危険な場合は緊急帝王切開が当然」

と言うだけ。

まぁそれはそうなんだけども

今ならそう言う意味も理由も全部わかる

けれど、当時のわたしは若かったので

そんな言葉を聞かされて

もう黙ってられず

「胎動を感じて赤ちゃんの無事を願っているのは

あなたじゃない、Lさんなんです!!!」

(気持ちはもう号泣して訴えてる感じ)


と、休憩室へ向かおうとしている

主治医の背中に廊下いっぱい響く声で

怒鳴ってました...(若い...あ、でも今でも

そのお母さんの気持ちも大事にしろや、

おい!ってお母さんを護るべく熱い心は

持ってますよんウインク)


それから、まぁまぁ医師側から助産師側へ

あいつ(あいつはわたしねキョロキョロ)は〜みたいな話が

出たっぽいですが、

当日の師長が庇って下さったらしく

(まぁこれも後にやっかみという形で

わたしの前に現れましたが)


主治医他、医師がちゃんと(そう、ちゃんと!)

Lさんとご主人と

対話を進めることになりました。


ご主人はもちろん赤ちゃんも助けたい

けれど何よりLさんを優先して欲しいと。

Lさんは健康なので

Lさんの命か赤ちゃんの命かという選択ではなく


Lさんの気持ちを優先して下さい


と言う意志でした。

(素敵なご主人なんです〜)


Lさんと色々話していて

彼女の気持ちを何度も何度も

時間をかけて傾聴しました。

時にはムッともされましたし

泣くLさんと一緒に心で泣いたり。


帝王切開をしてのちにもし赤ちゃんが他界したら

傷を見て自分は自分を責め続ける気がする。と。

赤ちゃんが赤ちゃん自身で決めた命の選択を

帝王切開という形で救う事ができても

その後にもし他界したら

わたしはきっと後悔する、

もっとお腹の中で対話・胎話してたかったと

思うと思う。

陣痛中にもし他界したとしても

わたしは赤ちゃんの意思で陣痛を起こしたんだから

産んであげたいというそういう事を

赤ちゃんのためでもあるけど

自分のためにもそうしたいと思う。と。


母は強し


そこからまた主治医とわたしの名がつけづらい

バトルを繰り返しながら

結果、主治医はNICUと小児心臓外科と

色々話し合ってくださり


自然陣痛を待つことになりました。


日勤を終えて帰ろうと挨拶に行ったら

「おしるしがあったー」と教えてくれて

わたしはお産の時には一緒にと思って

病院側にも協力をお願いしていましたし

いよいよだけど、予定もあるし、

一回帰って数時間後の連絡を待とうと

思って一旦帰宅しました。


ヘルツ(心臓)もちのお産は速い

のはもう知ってましたので


携帯を常にチェックしながら

プライベートの用事を色々こなし

夕飯を友達と食べるその時


運悪く携帯の電波が入らなかった場所だった...


そしてわたしは15分おきに

電波が入るところへ行っては

留守電のチェックをするけど

留守電に何も入っていなくて

数時間後

病院からの電話で

生まれたと知らせが入り


即駆けつけ

それまで何度も何度も合間を見ては

電話をくださっていた先輩方に

頭を下げて


お産に立ち会った医師からは

怒鳴られました。


もう本当に

不甲斐なし。を知り

穴があったら入りたい。を知った。


それでも赤ちゃんは無事に生まれて

NICUでお父さんも赤ちゃんのそばで

見守っておられて、Lさんには

「帰ったばっかりだったのに

来てくれたの〜ありがとう〜」

とまで言われ


その日は帰りましたが

もうどうやったらこの申し訳なさを

伝えられるかが全くわからないくらい

落ち込みました。


私が落ち込んでいることは

どうでもよくて

この先Lさんの赤ちゃんが無事に育つことに

全力を尽くそうと決意したんだけれど


自分も自責の念や自戒もふくめ

毎瞬毎瞬何やってんだ、情けないと思って

反省し続けてた上に

周りの評価や噂にどんどん追い詰められ

おかしくなっていくという経験も

もれなく付いてきました。


Lさんはストレスが重なり

そりゃそうです、生まれた我が子がNICU管理の元

オペ等の話がどんどん進むわけで

産後の体なのに聞いて理解して同意して

の慌ただしさで、おっぱいが止まりました。


わたしは若かった幼かったので

自分が取った行動に申し訳なさすぎて

Lさんに会う資格がないと責め続け

熱発してしまい2日後出勤した時は

おっぱいが止まっていました...


そこからわたしはもう立ち直れず

助産師スタッフの目線や噂話が

全部自分を非難しているように思えて

自分が壊れていく音を

聞きました。


Lさんは無事に退院されそこから

手紙のやりとりになりました。


ここ数年はわたしが海外に行ったりだったので

連絡してませんが、わたしが引っ越そうが

どこにいようが、年賀状のやりとりはあります。

来年はまた年賀状かカードを送ろうと思います。


あの時生まれた赤ちゃんは

沢山のハードルを一つ一つ越えて

成人を迎え、笑顔の可愛い方にご成長されてます。


あの時の自分がどうダメで

どうマズくてクズで

どう情けなくて

っていうもうダメダメを知って


不眠になって週に1kgずつ体重が落ちて

食べても食べても太れなくて

眠れなくなって


自分を責めた。


でもあの時の赤ちゃんは

無事に生きている。

生まれてきても生きられるか五分五分

と言われていたのに

オペに耐えてオペを超えて生きている。


そう、生きている。


この素晴らしい奇跡に

わたしは救われて、


今のわたしが在ります。

もう二度とこんな思いはしない

そしてもう二度とこんな思いをさせない

無責任なことはしないと

堅く誓った経験です。


当時色々とご迷惑をおかけした皆様

この場を借りて

深くお詫び申し上げます。


そして、また

あの時の赤ちゃんに今があること

わたしにも今があること

深謝申し上げます。



ずっと言えなかったなぁ

やっと言えたなぁ。


あーーーーーーぁ


うん


生かして頂いて

ありがとうございます。



ポンコツだったわたし


告白の巻でした。


読んでくださった方々

ありがとうございますニコニコ






今日も寄ってくださって
嬉しいです、ありがとうございますおねがい

最近光が変わったって仰る方
結構いらっしゃるけど
わたしもなんとなくは
わかる気がします。

先日熱田さんへ
古札を返納に行きました。
こんな光って初めてだなぁ〜と
思ったのがこれで


車の中でもこんな。

で、その翌日
こんな

綺麗だなぁ〜

うふふ

さてKさんのお話
彼女は2人目でヨガもやり
すらっと高身長(190cm弱かなぁ)
一人目はアジア圏でお産をしたので
アジア圏の産後ケアも
母乳マッサージも受けたことがある
とても珍しいロシア人
そしてとても遠慮がち。
背中や腰のマッサージは
たまに頼まれてやってはいました。

お産は37週あたりから、色々不安材料を
吹き込まれました(苦笑)

36歳以上39週以降の死産率は
跳ね上がる、などなど。
アメリカの健診は基本超音波は
数回のみですから
日本のように手厚くはないけれど
38週から4日ごとくらいに
NSTで評価してました。

そして彼女は自然分娩を望んでいたので
できれば自然陣痛を待ちたいと
ご主人(アメリカ人)と話し合って
ドクターにも伝えていました。
が、ご主人が予定日まで待っても
陣痛が来ない場合は、誘発だと
譲らないので、彼女は39週に入って
若干焦りを感じていました。
でも、わたしに直接は何も
言って来ないし、わたしに迷惑を
かけることになる事を心配してました。

39週6日
予定日の前日
日本人の友達のうちに
呼ばれていって
日本人の友達がいたたまれなくなって
何か聞いてもらうなり
やってもらえる事ないか
お願いしたら?と背中を押して
初めて、彼女からどうにかしたいから
お願いしたいと言ってきて

わたしはすぐ
お灸とアロマを持って
彼女のうちへ行きました。

お灸もロシア人なのに知ってて
旦那さんの方がなんだこれ?だったけど
東洋医学ではよく使う話をして
こことこことここに
ってお灸をしてから
全身マッサージをしました。

Jさんからの話を聞いてた様で
Kさんも内診してほしいと言う...
んーーー困った(苦笑)
でも彼女も訴えるなんてことは
絶対にしないから、もう時間がないから
ということで、診ました。

もう半分進んできてるんです。
これまたすぐだと。
そして今日だなと。

お風呂に入ってのんびりタイムを取った後
一眠りできたらして、上の子の預け先へ
早めに預けにいって陣痛を待ってたら
すぐだと思うと
話して帰りました。

Jさん同様
必要だったら呼んでね、と。

はい、予定日の3時ごろ
ふと目が覚めて
時間確認のためスマホみてたら
メッセージがきて、びっくり。

なんか赤ちゃんから呼ばれて起きるんだよね〜

すぐ着替えて25分後病院到着。

お産に間に合って
声かけして一緒に呼吸して
無事に産まれました〜(万歳)

スタッフに何者?と言われたので
日本人の助産師で彼女の友達
って話したら
「こっちでドゥーラやってよ」
って言われました。

のちにBirth Doulaの研修だけは受け
いつかまたBirthDoulaになって
何かできたらなとは思ってます。

旦那さんも彼女も
とてもいい笑顔で
可愛い赤ちゃんが生まれて
しかしなんでわかるの??
なんでだろうね、うふふ
ていう
その摩訶不思議な感じを
堪能した数時間でした。
その数時間後に入院して
誘発予定だっただけに
有り難がられて
またちょっと照れちゃいました(笑)

その4日後くらいかな
母乳マッサージをお願いされて
マッサージをして
もう一回ケアして
母乳育児満喫できて
あーーー良かったな
と言った感じでした。

ほんとうに
ご縁ですね(嬉)